大切な幼馴染だから
美術室に2人きりというのは意識するとやはり緊張してきてしまう。
互いに沈黙しているのでその度合いは自然と高まった。
「……」
「……」
さきほどから香織の方はキャンバスに向かいあっているものの、至近距離に座る俺の方を時折チラ見している。
そんな彼女を俺はドキドキしながらもじっと観察していた。
勝気な黒い瞳とショートボブの髪型。後頭部をふんわり丸く仕上げているのは小学生のころから変わらない。
変わらないのだが、こうやって改めて傍で見ているとこの1年でまたやたらと色っぽくなってるな。
(……ち、違う。そうじゃない)
つい思考が別方向に行ってしまうことに思わず顔を覆う。
自分の悩みをなかなか言い出せないことを陽菜の件で俺は学んでる。
だから、無理に聞こうとしちゃダメなんだ。
少しでも話しやすいように、こっちの気持ちを伝えるのがまずは先決。
「すごく久しぶりだよな。学校でこうして2人で一緒にいるのは」
「そ、そうだね。小さいころなら当たり前だったのにね」
「ああ、よ、幼稚園の時とか小学校の低学年くらいまでほんといつも一緒だった気がする」
「うん……」
大丈夫。ちょっとぎこちないきもするけど、ちゃんと会話は成立する。
どんなことを話すべきかと考えると、なぜか頭に浮かんだのは俺たちの関係性が停滞したあの時のことだった。
ちゃんと前に進むためには避けては通れないと本能が察しているのかもしれない。
「……お、俺、あの時香織のことがちゃんと好きだった」
「えっ……?」
「いや、その、あの気持ちに嘘はないから、それ自体に後悔なんてしてないからな」
「……な、なんで不意打ちするかなあ……潤がそういうこと嘘付けないのは知ってるよ」
好きという言葉を口にしただけでなんだか恥ずかしくなって口調は早口になる。
だけどそれは偽りのない気持ちで、だから顔が赤くなっているのを自覚した。
それを超えたことで、次々と言っておきたいことが頭を過る。
「……はっきりと断ってくれたからこそ、あの日のこと、今はちゃんと客観的に見れるのかもしれない」
「……そんな……あの時の私は、あれは……」
「い、いや、蒸し返そうってわけじゃないんだ……もう大丈夫だってちゃんと伝えておきたくて……」
「……」
香織は恐縮しきった顔でちょっとあたふたする。
それは少なくとも聞きたくないという顔には俺には映らなかった。
だからそのまま言葉をつづけることにする。
「あの日のことはいい経験になってるんだと思う。そのおかげで悩みを抱えているのが辛い気持ちもちゃんと身に染みて理解してる」
「……」
「俺、そのなんていうか……高校でも香織が美術部に入ったこと、知らなかった。でもさ、今こうやって頑張ろうとしてるのみたらさ、それを応援したいと思ったんだ」
「……それはどうして?」
「どうしてだろうな……なんか放っておけないんだよな。大切な幼馴染、だからかもな」
そうだ。フラれたりもしたけど、幼馴染という関係性は残ってる。
過去の出来事は失敗したかもしれないけど、今を応援する障害になんてなりはしない。
「っ! そ、そっか。そんなふうに思っててくれるんだ」
香織は感極まってように口元を抑え、肩を震わていた。
「どうかしたのか……?」
「あれ……? うんうん、なんでもないよ。なんとなくわかった。陽菜ちゃんが今の潤なら駒形さんのこともどうにかするって言ったことも。今こうして私と向き合ってくれてることも……敵わないな、ほんと」
「そ、そんな大したことじゃないけどな」
香織は少し潤んだ瞳を俺に向けてきた。
真正面に受けてたじろぎそうになるのを俺は何とか踏ん張る。
「……潤はさ、辛いとき、どうやって……?」
「そ、それは……フラれた後、その辛さを吐き出すように嵌ったのがりそヒロなんだ。あっ、そういえばまだ貸してなかったな……えっと、はいこれ。読んだ後アニメ見るとまた印象がかわるぜ」
「……ありがとう。いつも持ち歩いてるんだね」
「推し作品だからな」
「へえ……そっか。アニメを好きになることで」
「うん。あの日、りそヒロを視聴したからこそ今があると思ってる。アニメに嵌って、それが落ち込みから立ち直るきっかけになったのは確かだと思う。だからかな、りそヒロは俺にとって特別で大好きな作品なんだ」
あの日がなければ今高崎さんや駒形さんとあんな関係性になってもいないだろう。
「りそヒロか……ねえ、あの日の私のこと、潤はどのくらい覚えてるの? ちょ、ちょっとそこ聞いておきたいの」
香織は神妙な面持ちで妙なことを聞いてくる。
だがその両手はぎゅっと握りしているのをみると、何か悩みと関係があるのかと勘ぐりたくもなってしまう。
ちゃんと答えてあげたいが……。
「……あんまり覚えてないんだよな。今思うと、あの日の俺はいっぱいいっぱいで周りが全然見えてなかったっていうか、とにかく気持ち伝えようと思って、ほんとそんな感じだったから」
「そう、なんだ。だから……」
「なあ、絵が思うように進まない悩みとあの日のこと関係があるのか?」
「……どうかな、よくわからなくて……私、前に自分に向けられた嫉妬や妬みの解決が上手く出来なくて……それで、この前の駒形さんの件を潤が解決したことを知って、ちょっと、う、羨ましいと思っちゃったのかもしれない。うーん、ちょっと違うかな? ごめん、ほんとよくわからないの。どうしちゃったんだろう……」
俺の質問に香織は瞬きし答えると、辛そうに顔を伏せた。
その様子をみると、どうやら自分でもほんとにわかっていないらしい。
そういえば、夕食の席でも嫉妬のことについて少し話していたっけ。
「そうか。提出期限まではまだ時間あるんだろ?」
「うん……」
「ならそんな焦った顔しなくても大丈夫だよ。話を聞いてもらうだけでも、色々吐き出すだけでも案外楽になるからさ。俺に話しにくいこともあるかもだけど、そういう内容は……そうだな。陽菜に話せば相談にも乗ってくれるからさ。あいつ聞き上手だし、頼りになるから」
「知ってるよ。妹自慢、乙です」
「あっ、その笑顔をそのまま書けばいいんだけどな」
「えっ、そ、そうだよね……」
「そんな顔するなって香織なら大丈夫だから」
「……やっぱり潤は変わったね。掛けてくれる言葉に安心感があるっていうか、実感がこもっているというか。駒形さんがなんか頼ってるのわかる気がする」
「そう、かな……」
小さいころの俺を知っている香織がいうならそうなんだろう。
実際、この短期間で色々あって経験したことで、あの日のことも今はちゃんと目を背けずに思い出せる。
「うん。なんか上手く言えないけど。変に猫被ったりしなくなったというか……それに比べて私は……」
「香織だって見た感じ凄い成長してるぞ……」
「もう、なにそれ。成長期なんだし当たり前だよ」
「まあそうなんだが……ほらこの前言ったろ、香織が香織のままでよかったって。変わることがいいこととは限らないからな。あっ、ごめん。なんかわかったようなこと言ってしまった」
つい思ったことをそのまま言ってしまったことに慌ててしまう。
それでも嘘偽りのない感じたままのことをさらに伝える。
2人きりでこれだけ話すのは本当に久しぶりだ。
「潤のくせになんかちょっと生意気……でも、ありがとう」
「香織は昔から1人で抱えて頑張りすぎるところあるからな。ちゃんと気分転換してるか?」
「……そんなこというなら、気分転換に今度付き合ってよ」
「えっ……?」
「……あっ、ほ、ほら陽菜ちゃんも一緒にまたどこか行きたいなって思ってさ」
「ああ、そうだな。また3人でどこか……」
そう口にするも以前のような関係に本当に戻れるのかはわからなかった。
だが、香織からそういってもらえたことに少し安心したのも確かだ。
その気持ちを自分でも誤魔化すように口調が少し早口になる。
「と、とりあえずお腹空いたからお昼なにか買ってくるか」
「そ、そうだね。じゃあ一緒に……」
「んっ、どうした?」
「……ごめん。やっぱり、私のも買ってきてもらっていい?」
立ち上がろうとした香織は何かを思い出したように席に座りなおす。
不安と躊躇いが混じったようなその表情は、俺の頭の中にこびりついたように離れそうにもない感じだ。
「お、おう……」
自術室を出ていくときに振り返ると、香織はつらそうな顔で両手を握りしめていた。
その後も香織の悩みの根源は結局わからない。
日も暮れ始めたのでこの日は解散となったのだが……。
「潤、ありがとうね……先に帰ってていいよ。私、鍵返さないとだから」
「……そうか。わかった。何かあったらいつでも相談に乗るから」
帰る間際になってそれまでとは違い、なんだか急に避けられているような気がした。
その態度は俺と一緒にいるところを見られたくないようにも感じる。
誰かと待ち合わせでもしているのかもしれないし、それを聞くのはお節介な様にも思えてためらってしまう。
小走りに廊下を掛けていく香織の背中を俺は小首を傾げ見送った。
☆☆☆
土曜日の夕食ということもあり、今日は平日よりも少し時間が早い。
高崎さんの件も香織の悩みもどっちも気になってあまり箸が進まなかった。
そんな姿を見て、陽菜が声を掛けてくる。
「……お兄ちゃん、仕事大変なの?」
「えっ、あっ、生姜焼き美味いぞ」
「料理の感想聞いてないし。じゃなくて、なんか眉間に皺寄せて考え込んでるからさ」
「ああ悪い。顔に出てたか……そうだ。陽菜なら何か知ってるかもしれないな。なあ、ちょっと話聞いてくれるか?」
「別にいいよ。話してみて」
夕食時ということもあるのか、妹はめんどくさそうな顔もせず、むしろ促すように俺の言葉を待つ。
「香織のこの1年の様子で何か気づいたことないか? 俺ここ最近のあいつをあんまり知らなかったってこともあるけど、悩んでる姿とか見た記憶がなくてな」
「かおりん……ああ、なにか昨日悩んでそうな顔してたね。うーん、特に私の前だと変わったところとかは……そういえば、お兄ちゃんのことをときたま聞かれてたくらい。どうしてるとか、元気とかそんな当たり障りのない内容だけど」
「俺のことを、か」
自分が振って俺が傷ついてないか心配してたのかな?
「うん。かおりんと何があったかは立ち入ったことだし、聞かないよ。うーん、今のお兄ちゃんに助言は不要だと思うけど、それでもあえて陽菜は言うよ。力になってあげてね。陽菜にとってもかおりんは幼馴染だし、お姉ちゃんみたいな人だからさ。もちろん陽菜も手を貸すから」
「ああ、わかってる。ありがとな」
「陽菜すごくいいこと言った。ごちそうさまでした」
やはりほんの少しでも誰かに話したり、聞いてもらえれば気持ちが楽になることを実感する。
食事を終えた俺は駒形さんに話を聞くべく家を出た。




