可能性があるなら
「すいません、ちょっといいですか?」
「っ!?」
近づいてきた俺の顔を見て、声を聴いて、女子の先輩たちは顔を見合わせ一瞬体を強張らせたように見えた。
その表情を見て、ちょっと興奮じみた声だったかと反省する。
ふうと息を吐いて冷静じゃなければだめだと心の中で何度も思う。
もちろん内心には怒りの感情はあるんだ。
だが、話をするうえで、ちゃんと伝えようとするうえで、それはなるべく抑え込まないといけない。
そもそも相手は上級生だ。
穏便にこの件を片付けるだけなら、彼女たちの担任に相談したり、良い手段とは思えないけど手出しできなくなるような弱みを握ったり、他にもいろいろ手はあった。
でもそれらは神崎結奈のマネージャーになった俺でなくても出来る。
駒形ことはにとって何が一番かを思えばやることは一つしか思い浮かばなかった。
そしてそれは俺だからこそ出来る部分でもある。
「な、なにあなた?」
あからさまに不機嫌な様子がその言葉からも伝って来た。
対面し改めて呼吸を整える。
「お、俺、駒形さんがヒロイン役出てる『幼馴染は最強で最高です』が大好きなんですよ」
「……だからなんだっていうのよ?」
「先輩たち、声優駒形ことはを知らないんですよね?」
「さっきそういったはずだけど、聴こえなかったの?」
「いえ、聞こえてました。おさサイのアニメも見ていないし、原作も読んでないってことですね?」
「だったらなに?」
俺はポケットから、原作のラノベを3人分取り出す。
昨日駒形さんと別れた後、布教用としてあらたに2冊買い足したものも入っている。
「……ここに新品のものがあります。読んでくれませんか?」
俺は三人にビニールカバーの付いた新品をみせた。
「……なんであたしたちが?」
「それは……えっと、さっきこう言いましたよね。『だいたいその年で出られるなんて大した作品じゃないんでしょ』……作品を読んでも、見てもいないのに大した作品じゃないと批判するのはフェアじゃないと俺は思ってしまって」
「……な、なによそれ……」
「先輩たちが言ったのは、思い込みからの言葉ですよね。俺は作品を見た上での批判なら、何とも思いませんよ。でも、見る前からの批判は納得いかないっていうか、見てないのに語るのはもったいないというか、しかもそれを大勢の目の前で主張したらそうなのかと勘違いされちゃいます。だからお願いします」
深々と頭を下げる。
教室の方から感嘆の声が聞こえた気がした。
「広瀬、先輩相手でもすげえな」
「いや、あれは今までよりも迫力あるだろう」
周りの教室からも何の騒ぎだと注目を集めてしまっているが、そんなの気にしてなどいられない。
俺は神崎結奈のマネージャーだ。
バイトとはいえ感情だけで動いて問題を起こして噂になれば、彼女の評判が落ちるかもしれない。
それを思えば頭を下げるという行為に、これっぽっちのプライドなんてないんだ。
今の俺にあるのは、駒形ことはの仕事に対する情熱熱意を目にしてほしい気持ちのみ。
それを目の当たりにしたら、あんな言葉は言いたくても言えないと、俺はどこかで考えてるし自信があるんだ。
だって、俺はアニメにあすみたんに出会ったから、神崎結奈のその演技を聞いて救われたんだから。駒形さんのあの動画を見た時も……そうだ、嫉妬や妬みを度外視するくらい……。
「駒形ことはは凄い声優さんなんです。だからメディアに取り上げられるし、人気もあるんです。読むのが大変なら、アニメの1話だけでも作品を見てください、お願いします」
床を見つめながら、俺は頭を下げ続けた。
「……広瀬の言う通りだよな。ちょっと見れば良さがわかるのに」
「俺なんて開始5分で正座だよ」
そんな教室からの擁護の声がまた聞こえてきたが、その反応に顔を上げるわけには行かない。
だが、その空気が相手側に気づかせてくれたことはあったみたいだ。
「……なんか、私たち凄い恥ずかしいことしてたんじゃない?」
「……う、うん。ていうかさ、この子なんでここまでするの……あの子が出てる作品、そんなに面白いの?」
「はい……」
「そっか。ねえ、ちょっと頭上げなよ。私たちは別に君にそんなことしてもらう必要は……」
「……お願いします」
「っ! ……わかった。わかったってば」
「わ、私たちはみてみるから。みんなに見られて超恥ずかしいから顔を上げて」
先輩たちの2人はそう約束してくれた。
ゆっくりと顔を上げると、リーダーらしき人の隣にいる二人の先輩は視線を向けると小さく頷く。
「……そのラノベ貸してくれる?」
「ありがとうございます……」
「……これがおさサイ、か」
「ちゃんと読んでみるね」
あとは1人だけ。
「あ、あたしはみないから。あなたたちは見たければ見ればいいでしょ」
「……いやぁ、この子があれだけ必死にお願いしたのに聞かないのはさすがに。完全に私たち悪者になっちゃってるし」
「そうよ。言ってること正論だし。見るくらいならいいじゃん」
「っ!」
あれだけ批判したんだ。周りの子が心変わりしたくらいで、はいそうですかと素直に言えるなら、そもそも大勢の前であんなことは言えないはず。
それでも、俺はこの人にも。
「……先輩にもみてほしいし、出来れば読んで欲しいです」
「だから見ないって言ってるでしょ!」
先輩は俺が渡さそうとしたラノベをひったくり、そのままそれを床に叩きつけようとする。
「っ! それはダメです」
「なに、するのよ! 放しなさいよ」
「……ラノベや深夜アニメが嫌いなら別にそれでいいんですよ。でも、それを見ずにただ作品を批判するのは作品に携わっている人たちを傷つけることになる。ましてや原作本を叩きつけるとか、ファンの暴動を買う行為だ……」
「っ!」
俺は先輩の手を掴んでなんとかそれを阻止した。
ふと我に返ると、少し感情的になってしまっていることを反省する。
もう一度計算しなおさないと。
「……私からもお願いします。作品を見て、読んでみてください」
いつの間にか近くにいた駒形さんは俺が持っていたラノベを手に取りそれを先輩に手渡そうとする。
「だから見ないって言って……あ、あなた泣いて……」
「そ、それからなら、批判だろうとなんだろうとちゃんと受け付けますから」
「……なんなのよ、あなたたちは……」
「……」
「……」
「……ちっ、わかったわよ。そこまでいうなら原作は読むし、アニメも1話は見てあげる。でも見た上でまた批判するかもしれないわよ、それで満足?」
「「はいっ」」
たしかに駒形さんの目には薄っすらと涙が浮かんでいた。
なんかスイッチ入れたのか。
それを目にした先輩は、観念したようにラノベを受け取ってくれる。
「……やばっ、チャイム鳴ってる」
「1限って数学の鬼教師」
「はやく戻らないと」
ああ、たしか毎授業で出席確認や授業態度も評価してるってあの先生か。
「あの、ありがとうございます」
「……まったくどれだけ頭下げるのよ、君は」
「君みたいな子が薦めるなら……」
「うん、ちゃんと見てみるね」
先輩たちの背中を見送ったあと教室に戻ると、どよめきが起こった。
あの先輩相手に度胸あるなとか、弄られる声に途端に恥ずかしくなりそそくさと自分の席へと向かう。
駒形さんはこっちをじっと見て、呆れた様に言葉を掛けてきた。
「向かって行ったときは……追い返すだけなのかと思いました」
「それじゃああんまりプラスにはならないだろ」
「広瀬君には呆れますね……ほんと何者なんですかって聞きたいです」
「……あそこで出てきたのは計算?」
「駒形ことはなら、あのくらいは軽いです。さすがに任せきりはらしくないですしね。広瀬君の策にそのまま乗ったまでです」
「あはは……」
俺がなぜああしたのか、すぐにわかったんだろう。
ラノベを渡したのには、原作を知って欲しい他にもう1つ期待したことがある。
とりあえずアニメを見てみてほしいと言ったのにも、駒形ことはを知る以外にもう1つ期待したことがある。
嫉妬や妬みは、それだけ見れば駒形さんにはマイナスだ。
だからそれを現状維持にするだけじゃなくプラスにしたかった。
「……広瀬君はやっぱりすごい、ね……」
「お、俺は2人を応援してるからさ。それにマネージャーだし、もしかしたらでも、そこに可能性があるんなら、ファンになってくれるかもしれない方法を選択しただけだよ」
高崎さんの声に、俺は少し恥ずかしくなりながらもそう答えたのだった。




