いつもと違う夕食
駒形さんと別れた後、俺と高崎さんは富田さんと合流して、軽く打ち合わせをこなしてこの日は解散となった。
その帰り道は、おさサイのアプリを弄りながら自宅へと足を進める。
「へえ、甘味みゆき以外もヒロイン選択できるのか……」
合間の時間を使ってのチェック作業なら負担になることはない。
おさサイは好きな作品だし、まったく億劫でもなくむしろ歓迎すらある……あー、完全に駒形さんの思うつぼだな。
ふと、その彼女の笑顔が浮かぶ。
今日の別れ際の笑顔はいつもの作り笑いとはどこか違って見えた。
素の彼女だからみせる特別なものかもしれない。
駒形さんの為に俺が応援できること、それを考えるには今のままでは圧倒的に情報が足りないな。
そんなことを考えながら、帰宅し玄関で靴を脱いでいると妹からのメッセージが届いた。
『お兄ちゃんもう帰ってる? 今日はちょっとご飯多めでよろしく。できるようなら下準備しておいて』
部活頑張ってお腹空いているのかと思いながら、短めに返信する。
洗濯物を取り込んで、陽菜の言いつけ通り少し多めにお米を研ぎ、冷蔵庫の中を覗き込む。
「……今日はハンバーグだな。途中までやっておくか……」
いつの間にか食材から、瞬時に夕食のおかずが連想できるまでになっている。
リビングのテレビでおさサイを流しながら、夕食の用意を始めた。
言いつけ通り下準備まで仕上げ、ついでにお味噌汁のだしを取るなどの作業もこなす。
それらが終わって一息つきソファに座り込み、画面に見入る。
エンディングに差し掛かったところで、背後から声を掛けられた。
「……ただいま。それっておさサイじゃん」
「おう、お帰り。気づかなかった……って、香織」
「……こ、こんばんは」
振り向くと陽菜と香織が画面を覗き見していた。
今日は長期間ぶりに幾度か会話も交わせたが、家にまで来るとは想像していないこともあり、少し緊張が走る。
「なに、あの人のマネ」
「あー、違う、違うから」
香織は高崎さんが神崎結奈ということを知らないし、ましてや俺がそのマネージャーだってことも知らせてはいない。だからかな、陽菜の言葉を咄嗟に遮ってしまった。
「これがおさサイ……この作品で駒形さんが役を演じてるんだ。私、見たことないなあ」
「……そ、そうなんだよ。香織も少しは興味ありそうだな。なら……こ、これを読んでみるといい。おさサイの原作ラノベだ」
「えっ、うん……借りちゃっていいの?」
「もちろん。それ、布教用だから」
「はあ、最近のお兄ちゃんはオタクだから。おさサイは陽菜も読んでるけど……んっ……あれ、かおりんあの人のこと知ってるんだ……」
陽菜もりそヒロに嵌り、あのイベント以降おさサイにもどっぷりと嵌っていそうなんだよな。
「えっ、うん……だって私たちの学校に転校してきたからさ。陽菜ちゃんこそなんか親しそうだけど」
「ちょっと会ったことがあるんだよ……って、転校してきた……なにそれ、陽菜聞いてないよ」
「い、いや、話す機会がなかった」
俺の言い淀む声と態度に陽菜は何かを察した顔になる。
「お兄ちゃん、今度は一体……?」
「いや……その辺は詳しく聞きたいなら後でな」
「うん……下準備出来てるっぽいね。ご飯にしよう。お兄ちゃんの財布届けてもらったから、かおりんを夕食に招待したの。陽菜は恩には報いる子だからね」
「……いきなり迷惑かなと思ったんだけどね。陽菜ちゃんがどうしても一緒に食べたいからって」
なんだか恐縮している香織の横で、えっへんとばかりに胸を張る妹はこういう時は子供っぽく見える。
そういうことか……そうだな、陽菜はそういうとこきちんとする子だ。
10分後、いつも2人きりのテーブルに幼馴染が加わっていた。
湯気が上がるご飯とお味噌汁、それにハンバーグをそれっぽくテーブルに配置し、パシャリと陽菜が写真に収めた後夕食が始まる。
「なんかごめんね。お財布届けたお礼を何度も……」
「それってお兄ちゃんもすでに何かしたの?」
「ふっ、ふっ、ホイップちゃんを頂きました」
「なにその、可愛くて甘そうな食べもの?!」
「学校の近くのパン屋さんの菓子パンなんだけど、すごく美味しいんだよ……」
「それ、陽菜まだ食べてないよ! ていうか、かおりん、私たちの仲じゃん。そんな遠慮しないでよ」
「……そういうわけでもないんだけど……んっ、このハンバーグ美味しい!」
香織はチラッと俺の方を見つめてくる。
「……」
「ほんとだ……残念ながら、それ陽菜特製じゃないんだよね。今日のはお兄ちゃんが……って、お兄ちゃんなにひたすら寡黙に食べてるのさ」
陽菜は俺を次に香織を交互に眺め小首を傾げる。
小さいころは、こんな3人での時間は当たり前だった。
陽菜と香織は今みたく姉妹のように良くお喋りしていたこともあり、何だか昔を思い出し懐かしくもなる。
学校では話せたけど、そこに陽菜が入るとまた空気が変わる。
その辺で戸惑いがあるのか、つい話の中に入るのが憚れた。
「……ちょっと濃いかなと思ったけど、美味しいならよかった」
「何か2人とも他人行儀に見えるなあ。幼馴染なんだからもっといつもみたく仲良くしてよくない? ……あれ、そういえば久しぶりだね3人でこうしてるの……んっ、ごめん、その顔は余計なお世話だった」
「……そんなことないよ」
「……ああ、そんなことないな」
「そういうとこは変わらないな。おほん、ハンバーグはかおりんに教えてもらった料理だから、ちょっと成長をみせたかったのにお兄ちゃんにいいところ持っていかれた」
「……そういえば前に教えたね。あの時潤は食べるの専門だったのに……いつの間に料理始めたの?」
「……つい最近」
「私がビシバシと指導してるの。なんかさ、呑み込みが早くてびっくりしてる……最近のお兄ちゃん、頑張ってるからね」
2人の目がこちらを向く。
幸いにもこの場に香織がいることは幸運かもしれない。
妹だけでなく、幼馴染の話も参考になりそうだ。聞くなら今だな。
「あのさ、おさサイの駒形さんが演じてるキャラ、周りから妬まれたりしてる描写あるんだけど……女子の間での嫉妬って根深い物だったりするのか?」
「……まあ、みゆきのキャラは誤解を生みやすいからね」
「そういうのって、どう対策したらいい? 陽菜も学校じゃ目立ってる方だろ。何かやってることとかあれば……」
「……うーん、陽菜はその辺は気を配っているというか、抜かりない様にやってるよ。ほら毎回料理を撮ってるのだって、いくつかのグループに見せたりもしてるし、自慢にならない様に常日頃から謙虚さも持ってるし」
「謙虚さね……駒形さんは謙虚というより積極的にPR してるからな」
「そういうのが鼻につく人もいるから。言っとくけど、そういう人を正面から相手にするの労力使うし、厄介だよすごくね」
「……それ、私が言っておいた」
「そうなんだ。かおりんだって経験あるでしょ? 私よりありそう……」
「……私は、陽菜ちゃんのようにうまく立ち回り出来なかった……だから参考にはならないよ」
香織は心底悔しそうな顔で、ハンバーグに伸ばそうとしていた箸を止める。
「えっ、なんか意外だな。私その辺のことはかおりんを見て学んでたというか、よっぽど状況が悪化しちゃってたとか? えっ……あっ、ごめん。この話やめよう」
「ふっ、気を使ってくれてありがとう。陽菜ちゃん大人になったね」
「もう、すぐ子ども扱いするし!」
「なんていうか、小さいころの癖かな」
「もう……ただ、私やかおりんが忠告しても、それでも今のお兄ちゃんはどうにかすると思うけどね」
陽菜の言葉に俺は苦笑いで応える。
そんな俺を香織は少し不思議そうな顔で見ていた。
夕食を終え、陽菜と香織は楽しそうに洋服やら日々のカロリーについて談議している。
お互いの部活についての話題も出たが、陽菜は頑張ってることを笑顔で話していた。
そんな2人を俺は明日の神崎結奈の予定を確認しながら見守る。
「かおりん、またいつでも来てね……ほら、お兄ちゃん。送って行って」
「お、おお」
ものすごく近所だが、それでも遅いこともあり何かあったら大変だということで、香織と共に外へ出る。
「……」
「……」
陽菜がいない空気はやっぱりちょっと違うな。
何を話したらいいものか。
「ごめんね、なんかいきなり押し掛けちゃって……」
「……いや、ちょっとびっくりしたけどな。なんか久しぶりな感じだった。今日1日」
「う、うん……まさか、潤の手料理が食べられるとは思ってなかったよ」
「は、半分は陽菜だけどな」
「それでも、うん、ちょっとびっくりしたかな……あ、あのさ」
「な、なんだよ?」
香織は急に足を止め、俺の顔をまじまじと見つめた。
「……あー、やっぱりまた今度にする。今日はありがとう。おさサイ読んでみるね」
「お、おう。こっちこそありがとな」
香織は俯き加減で駆けていき、自宅へと入って行く。
それを俺は最後まで見送り、家へと引き返す。
よかった。夕食のときはどうなることかと思ったが、まだ慣れも必要だけどちゃんと平静を保てた。
少しだけ昔の関係に戻れたかもな。
そんなことを思いつつ、歩いているとスマホが鳴った。
『もしもし広瀬……』
「おう、ほんと電話してきたのかよ。おさサイのアプリならちゃんと」
『ねえ、今って暇?』
「……はっ?」
それは駒形ことはからの電話だった。




