不穏な空気
「広瀬……」
「……」
「ああ、ちゃんと見てるから」
駒形さんと高崎さんは廊下の様子を一瞥する。
2人は僅かに不安を露にしている瞳に向け、俺は反射的にしっかりと頷いた。
それを見て安心したのか、駒形さんは真っ直ぐ立ち止まらずに進んでいく。
イベントに登場したあの時みたいにその表情は自信たっぷりに輝いてみえる。
体を縮めてきょどってしまっている高崎さんとは対照的に見えた。
「おい、写真の子、あの子じゃないか?」
「うわっ、すげえ美人」
「可愛い」
彼女の存在に気づいた男子生徒たちと女子の何人かが声を上げる。
その声はみな歓迎するように少しはしゃぎ気味だ。
「ごめんなさい。クラスの子の迷惑になるといけないので、何か話があるのなら直接お聞きしますね」
深々と頭を下げた後、例の作り笑いをみせて野次馬を見事に黙らせる。
本人だからというのもあるだろうけど、色々と対処の仕方を心得ているようにも思う。
彼女のことだ、こういう場合はこうしてとシミュレーションを重ね、計算したうえでのことかもしれない。
それ自体は対処としてさほど問題はなさそうだけど。
「おほん、現在放送中の『幼馴染は最強で最高です』でヒロイン役である甘味みゆきを演じています。もしアニメの視聴がまだでしたら、原作ともどもよろしくお願いします」
さりげなく作品の宣伝をするところも抜かりがない。
こういうアピール1つで、見てみよう、調べてみようと意識を固める気がする。
「帰りに全巻買いに行きます」
「アニメ見てみます」
案の定で……駒形さんはその声に満足そうに手を上げ応える。
彼女がこちらを振り向いたときには、ちょっとどや顔になっていた。
「……」
明らかにファンになりそうな子には、その対応で問題ないはず。
問題はそれとは違う同性や先輩たち視線だ。
彼女たちが駒形さんを見る目は、決して歓迎じゃない。
あのむっとした顔は……嫉妬や妬み、あるいは憎悪。
騒がれている駒形さんを面白く思っていないって雰囲気を否が応でも感じる。
それに気づけない駒形さんじゃないはずだけど。
対処しない、出来ない理由が何かあるのか?
付き合いはまだ浅いけど、それでも……なんだか駒形さんらしくないとさえ思ってしまう。
「広瀬君……」
「あっ、うん……俺たちも教室に戻ろう」
高崎さんを促して人だかりに近づく中、どうするべきかをすでに俺は考えだしていた。
放課後になっても駒形さんフィーバーは続いていた。
「広瀬君はちょっと時間を空けてきてください。訳は言わなくてもわかりますよね」
「ああ……」
自分がいなくなった後の生徒たちの反応を知りたいってところだろう。
彼女は集まった野次馬に作り笑いを見せ、軽く手を振り遠ざかって行く。
お昼の時と同じように対処して、高崎さんと共に階段を下りていった。
俺は駒形さんが去った後の廊下に集まった人たちの会話に耳を傾ける。
「いやあマジ可愛いわ。告白しちゃおうかな」
「相手は今人気の声優さんだぞ。簡単に付き合えるわけねーだろ」
「うるせえ。夢くらい見させろよ」
そんな冗談なのか、少し浮かれた声と楽しげな雰囲気。
お昼の時に見た女の子や先輩たちの姿は見当たらない。
俺の取り越し苦労だったかと、帰り支度を始める。
その声が漏れ聞こえてきたのは1階への階段を降りようとした時だった。
「あの1年、ちょっと調子に乗ってない?」
「あー、わかる。なんかあざとすぎだよね」
「有名人だか知らないけどさ、ちょっと顔がいいからって図に乗りすぎ」
聞き流すことなど出来なくて、中をちらりと覗き込む。
話しているのは先輩の女子グループのようで、その様子は穏やかではない。
確かに駒形さんの態度が頭に来るのは……わからなくはない。
転校生、しかも下級生がいきなり注目を浴びて気に入らない、客観的に見たらそんな感じだろう。
でもな、俺にはそこが到底納得できない。
駒形さんが努力してきたということを知っているからな。
(あー、くそ)
だからかな、あーいう態度には無性に腹が立つ。
駒形ことはの一部分だけを見てなにを腹立ててるんだよ?
先輩たちに何か一言言ってやりたい気さえする。
「……ああいう姿、見苦しいったらないよね」
そうそう、そんな言葉を投げてやりたい気分。
「って、香織!?」
「しっー。陰でこそこそとさ、しかもグループ組んで」
底冷えするような声だった。
今まで見たことの無い冷たく見える香織の顔だった。
見ているこっちが思わずドキリとしてしまう。
いつの間にかやって来ていた香織は、俺の肩に遠慮がちに触れ小声で囁きながら、少し開いた隙間から室内を覗き込んでいた。
「駒形ことはさん。どこかで見た顔だと思ったよ……有名人と知り合いなんだね」
「ま、まあな……」
「先輩だし厄介だよ、ああいうのは。あの手の人たちとは関わり合いにならない方がいいよ」
「出来ればそうしたい、けどそういうわけにもいかないんだよな……んっ、お前、あの手のタイプとか関わった経験あるのか?」
香織の目は嫉妬深い視線の方を見つめている気がした。
睨みつけるような敵対の目。
そしてちょっとずつ引っ張られる。
それはここから離れたい、俺にも離れてほしいという意思さえ感じる。
「えっ……?」
「いや、なんかそんな感じがしたから……」
「……まあ、見たことはあるかな……駒形さんは有名人だし、ある程度は仕方ないのかもしれない……落ち度もあったかもしれないけど、でもあんな陰口叩かれるようなことは……あっ、ごめん。なんか愚痴っぽいね。気づかれちゃうよ、行こう」
香織に言葉でも促され、俺はその場を離れた。
「どうしたもんかな……」
「……なんか、一生懸命、だね」
「そ、そうか。ちゃんと考えないと、手を抜いてるって怒られそうだからな。それに……この問題からは目を背けることは出来ない」
「それって……ねえ、見てたのって偶然?」
「うーん、その辺話すとは長いぞ」
「えっ……やばっ、部活に遅れちゃう。じゃあまたね」
部活に慌ててかけていく香織を見送り、俺も高崎さんたちと合流した。
学校から少し離れた公園だったので、生徒は見当たらず駒形さんもいつも通りで少しほっとする。
高崎さんの方は、傍に居たことで見知らぬ人の視線を一手に受けていたこともあり疲弊しているようにも見えた。
高崎さん、オンとオフをうまく使い分けているからな。
余計な気苦労はなるべく背負わせたくない。
高崎さんのためにも駒形さんの件をきちんと対処しておかないと。
「駒形さん、先輩の女子や同性の視線なんだけど……気づい」
「その話、今は止めて!」
「お、おう……」
有無を言わせない顔で圧も凄くて、その顔でも目を合わせてくるわで従わざるを得ない。
だけど、気づいてて対処しないことは、なんとなくわかった。
その理由を聞いておきたかったが、こっちもどうやって助言をすべきかは悩んでいることもありこの場では適切ではないか。
「ごめん。私が頼んだのに……」
「別にいいよ。なんか事情があるのはわかるし、俺もちゃんと力になりたいからな」
「……ふっ、やっぱりあなたに頼んで正解だったかな? それじゃあ私も打ち合わせがあるから」
「ことはさん、また明日」
「ええ、また明日ね、2人とも」
悩んでいるのかわからないほど、明るい笑顔を俺たちに向けて駒形さんは去っていく。
「広瀬君……」
「うん、あの笑顔は曇らせないようにするよ。そんな心配しなくて大丈夫。俺たちも打ち合わせに行こう」
「はい……」
まだ何の戦略も考えも浮かんでいないけど、それでも俺は彼女を安心させる言葉を吐き出していた。




