お礼
授業中、高崎さんは時折ぼんやりとしていた気がする。
「じゃあ、ここに入る単語を……高崎」
「えっ、はい。あ、えっと……ノットオンリー・バットオルソー……です、か?」
「そうだね……座っていいぞ」
だけど、先生に当てられれば、多少まごつくもののいつも通りちゃんと答えることができていた。
その辺はさすがにプロだな。
声優業と学業を抱え、そのどちらも手を抜かず一所懸命。
だからこそ俺も。
そう思うと、富田さんから渡された高崎さんの今週のスケジュール表に自然と眺めてしまう。
俺に出来る事はたいしたことじゃない。
ほんの少し背中を押す。せいぜいそんな程度のことなんだ。
それは今までもそうだった。
「ひ、広瀬君……今週の雑誌インタビューちょっと確認してもらってもいい?」
「ああ、そうだ! これ、大丈夫とは思うけど、俺なりにちょっと考えてみたんだ。確認してみて……その、お節介かもだけどさ」
「うんうん、そんなことっ……ない、よ!」
昨夜、インタビューの内容に対しての神崎結奈の受け答えの台本を書き記していたものを彼女に手渡す。
ノートを受け取った高崎さんはそれををぎゅっと抱えたまま、何故かじっとその場で立ち尽くしていた。
「どうかした? 気になることはなんでも言って」
「……あの、その、朝の…………あっ」
少ししどろもどろになりながらも、何かを言いかけた高崎さんの視線が俺の手元で止まる。
「ああこれ……今週のスケジュール表だよ。もう一回見直しておこうと思ってさ」
その言葉を聞いて、高崎の表情がぱっと華やいだ、そんな気がした。
「こ、今週も私、頑張るね!」
「えっ、うん。俺も全力で応援するよ」
よくわからないけど、機嫌がよくなったようだ。
高崎さんの明るい笑顔をみられてほっとする。
「私にもその全力の応援が欲しいです」
そこへ、駒形さんがタイミングよく顔を出し、びしっと人差し指で俺の顔を指さす。
「私、今週末にキャラソンの打ち合わせがあるんです」
「……そ、そうなのか。キャラソン……いやまて、あると言われても」
「他にもアプリの告知も頼まれてて、何か良い案があれば出してねと言われててですね……」
「……い、忙しそうだな」
「そうなんです。ちょっと時間の都合があわなくて困ってて……これみてください。ここのところで少しでも時間が取れれば良いなって思ってるんですけど」
駒形さんはおもむろに自分のスケジュール表を取り出して、俺と高崎さんの前で広げて見せる。
……さすが人気声優だけはある。
色々と精力的に仕事をこなしているのは一目瞭然で、そこにはびっしりと仕事の予定が詰め込まれていた。
1週間の管理でもこれは大変だな。
学校に通いながら、よくこんなスケジュールをこなせるもんだと感心さえしてしまう。
「……けど、そうだな。こっちで時間を取るには、その前の予定をよりスムーズにこなさないと厳しいだろ。でさ、ここの火曜と木曜の予定は一緒にこなせるんじゃないかな……」
スケジュール表を見て、ちょっと気になった所を口にしする。
その途端にニンマリと微笑みを浮かべる駒形さんの視線に気づいた。
「……って、やらないからな」
「……ちっ」
あぶねえ。ペースに乗せられてしまう所だった。
駒形さんはほんとに油断できない。
「良いことを聞きました……あっ、それはそうと……香織さんでしたっけ? あの人美術部なんですね」
「び、美術部……ですか……」
「何でそれを駒形さんが?」
「ちょっと気になって。それで広瀬君は、あの人の事もこうやって応援したりしてたんですか?」
「いや……美術部の応援って何するんだよ?」
「それを聞いてるのは、私の方なんですけどね」
俺と香織との間に何があるのか興味深いとでも言うような表情で、駒形さんの口元が僅かに緩んだ。
分かってはいたが、駒形さん改めて美少女だなとドキッとさせられる。
けど、俺と香織との間にそんな意味深な関係なんて全く無いんだよな。
幼馴染であの勘違いを引き起こしたってくらいだ。
「応援……でも、そんな…………ああもう、ことはさん!」
「高崎さんもその辺クリアにしておいた方がいいでしょ?」
「そ、それは、そうですけど……」
「私は今よりももっと頑張りたいので」
「わ、私だって……」
高崎さんと駒形さんが朝のように言い合いを始めそうな空気で、俺は気が気ではなかった。
駒形さんは今までもメディアに出ているせいもあるのか、ほんとに物怖じしないな。
声もよく通り、周りにも聞こえる。
だからかな。
話している内容が漏れ聞こえるのも無理はない。
近くで固まって話をしていた女子たちがお互いに顔を見合わせ、スマホと駒形さんの顔を見て、途端にざわつきだし、一斉に駒形さんに声を掛けてくる。
「ちょっと聞いてもいいかな? もしかして、駒形さんってあの駒形ことはさん……」
「これこれ、この動画の子って駒形さん?」
「えっ、あっ……気づかれちゃいましたか」
少し面倒くさそうに駒形さんが認めると、大きな歓声のような声が教室に響く。
彼女なら濁すことは決してしないと思った。
隠しておくことでもないし、隠し通せるものでもない。
だけど、まだ今は釘を刺しておかなければならないことがある。
『高崎さんのことは、神崎結奈のことは広めない様に』
俺は登録されていた駒形さんあてにそんなメッセを送った。
その後も休み時間になると、少しずつ駒形さんの周りには人が集まって来る。
そんな午前中が過ぎ、お昼を迎えた。
陽菜の作ってくれたお弁当だけでは最近は夜まで持たずお腹が空いてしまう。
だから、香織が届けてくれたお財布を手に俺は購買部へと向かう。
通学路の途中にあるパン屋さんがお昼の間だけで売りに来ている。
人気のパンはすぐに売れるらしくいつも列をなしていて、今日は俺もその列に混じった。
特にホイップクリームが入り、チョコがコーティングされたものが人気みたいだ。
運良く残っていたので、2個も買ってしまった。
それを手に教室へと戻ろうとしたとき、肩を落とした香織の姿が目に入る。
ここでまた背を向けたら、今までと同じだ。
せっかく朝話したことが無駄になる。
……って、話しかけようとするだけで何をごちゃごちゃ考えてんだよ。
「……並んでたのか」
「ううっ、遅かった……ホイップ売り切れた」
「……相変わらず甘いもの好きだな。その悲壮感出てる顔久しぶりに見た」
「だって……食べたかったんだもん」
わりとスムーズにやり取りができ少しほっとする。
「……ほら、これよかったら」
「ほ、ホイップちゃん……いいの?」
「お財布届けてくれたお礼な。ちょうど2個買ったんだよ」
傍目には大したことのやり取りに映るかもしれない。
ごもることもなかったが、心臓は少しドキドキしていた。
少しリハビリが必要かもしれない。
「ありがとう……購買にいるの珍しいね。陽菜ちゃん、最近部活で遅いからお腹減るのか」
「……そうなんだよ」
「……あ、あのさ」
「んっ?」
「潤って今……」
香織が何かを言いかけた時、高崎さんと駒形さんが階段を下りていく。
「あっ、いたいた。ちょっと教室は騒がしいので別のところでお弁当を……って、お邪魔でしたか?」
「……あっ」
香織を目にした駒形さんは一瞬警戒するように鋭い視線を向けた気がした。
だが、すぐに反射的に笑顔を作り躊躇することなくその距離を詰める。
香織の方は駒形さんをまじまじと見つけ、少し体が強張っていた。
「駒形ことはです」
「……私、桐生香織です」
お互い少し見つめあっていたが、自己紹介する2人。
そんな2人を高崎さんはその様子をあたふたしながら見つめていた。
「潤、これありがとう。それでは……」
「っておい?!」
香織はそのまま逃げるように、階段を駆け上って行く。
俺はただその背中を見送るしかなくて、高崎さんと駒形さんがこちらを見る目がやたら鋭く感じた。




