未遂
「……」
「……っ!?」
か、香織っ?!
香織は声を掛けてくれたものの、あさっての方向を向いて少し体を震わせていた。
勝気な大きな瞳とふんわりと丸めたショートボブの髪型は昔と変わらない。
そんな彼女を見て、高崎さんと駒形さんは呆けた顔になる。
「……」
「えっと……ど、どうした?」
我ながらかなりよそよそしいなと感じた。それでも言葉が出てくれたことにほっとする。
緊張からか鼓動が高鳴ってしまい、体に余計な力が入っていると思う。
「……お財布、忘れたみたいだよ」
「えっ……あれ……うわっ、ないな……」
胸ポケットに手を伸ばすが何の感触もない。
今朝は慌てていたからな。
「……来る途中で陽菜ちゃんに渡されたの」
「そっか、ありがとう」
「……ふっ……その顔、久しぶりにみたよ」
「笑うことないだろ……」
意外にも香織の声を聴いたら、言葉はすらすらと出てきてくれた。
少し前までならたぶんこんなふうには出来てない。
あの失敗を、今は逃げずにきちんと振り返ることが出来る。
だからこそ、緊張しながらも一言吐き出すごとに胸につかえていたものが僅かに取れていく感覚があった。
同時に懐かしい気持ちが少しずつ蘇ってくる。
だけど、香織の方は言葉を交わしても両手をぎゅっと握りしめているままだ。
それは彼女の緊張しているときの癖でもある。
1年だからな、その間俺は意図的にかかわらない様にしてきたし、そのことで思うこともあるのかもしれない。
「……そ、それじゃ」
「あ、あのさ……」
背を向け遠ざかって行こうとする香織の背中はどこか寂しそうに感じる。
だからだろうか、無意識に俺は話しかけてしまっていた。
「……な、なに?」
「その……陽菜のこと心配してくれて、ありがとう」
「えっ、ああ……そりゃあ心配するよ。陽菜ちゃん、妹みたいに思ってるし」
「そう、だよな」
「……今朝少し話したけど、もう大丈夫みたいだね。聞いても私にもすぐ話してくれなかったからよっぽど悩んでるんだろうなって思ったんだけど……」
家が近所ということもあって俺も陽菜も香織とは小さいころからよく一緒にいた。
面倒見もいいこともあって妹は随分と香織に懐いていたように思うし、その関係性はかわっていないのだろう。
俺の知らないところでも相談などもしてたはずだ。
そういえば、周りからも香織は相談や悩みを打ち明けられていたな。
親身に聞いてくれるし、話しやすいのかもしれない。
「その、もし今度相談を受けたら力になってやってくれると助かる」
「……うん、もちろん」
「よかった」
「えっ……?」
「なんか安心した。香織が香織のままで……」
「……な、何言ってるの……そ、そんなの当たり前でしょ」
自分から呼び止めてやり取りが出来たことにほっとする。
最後の俺の言葉に、心底驚いたように目元を潤ました気がした。
そんな不意打ちの言葉だったかな。
「そ、それじゃあね……」
少し小首を傾げながら遠ざかって行く幼馴染の姿を見つめていたのだが、その足元がぴたりと止まり、
「あっ、そうだ!」
再び、距離を詰めてきた。
「な、なに?」
「陽菜ちゃんに聞いたんだけど、あそこのケーキ食べたのっ?!」
「へっ……あっ、ああ」
一瞬何のことを言っているのかわからなかったが、以前に富田さんといったあのカフェのケーキのことだと理解した。
先ほどまでとは打って変わり、表情に赤みが差している。
香織は甘いものに目がないからな。
「食べたの?」
「お、おう。あれは確かに美味しかった」
「……わ、私も食べたかった」
「そんな、恨めしそうにみなくても……」
「ううっ、だって……陽菜ちゃんは食べたって……」
「今度、もし行く機会があったらお土産でも買ってくる、よ……そういえば、小さいころ三人で甘い物食べに行ったことあったよな?」
俺の言葉を聞いて握りしめていた手が開いていく。
「うん……お金なくてあんみつ1つしか注文できなくて、潤は遠慮して私と陽菜ちゃんで食べろって……あはは、あの時の潤の顔、半べそかいてたの覚えてる。あれ、何か凄い可愛かった」
「しょ、しょうがねえだろ。俺だって食べたかったんだよ」
「よく遊んだよね。私のおばあちゃんちに来た時のこと覚えてる?」
「俺が川でおぼれたやつか……陽菜と香織がすげえ泣いてたのを今でも覚えてる……」
「すっごい心配したんだから……幼稚園の時なんて、何回も1人でどっか行っちゃうから、私お目付け役でさ」
「ううっ……よく覚えてるな。そういえば何回も」
香織はじっと俺を見つめてくる。
「……」
「どうかしたか?」
「……や、約束だからね。ケーキのお土産」
「……お、おお」
彼女は恥ずかしそうに顔を横に向けているが、それでもあの頃と同じように小指を前に出してくる。
こういうところ、ほんと変わらないな。
俺がやんちゃするもんだから、ことあるごとに指切りさせられたっけ。
ちょっとだけだけど、昔のやり取りを思い出して嬉しくなる。
指を絡ませようとゆっくりと小指を立てて近づけていく。
「……」
「……」
そんな俺たちのやり取りを高崎さんと駒形さんは唖然としてみていたが、最後の方は2人で首を振ったり小さなジェスチャーを交えて何か伝え合っていたような感じもする。
「お、おっほん!?」
小指と小指が触れる瞬間、駒形さんの咳払いを聞いて香織も俺もその手を引っ込めた。
「……えっ、あれ……?」
香織は頬を赤く染めると、周りを見回す。
そして、高崎さんと駒形さんが初めて目に入ったように慌てだし頭を下げた。
「な、何か話の途中でしたか? ご、ごめんなさい」
「いえ……こ、これでよしと。アプリダウンロードしておきました。ついでに私の番号も登録しておきましたから……ちゃんと使ってくれているか毎晩チェックしますからね」
「そんなことしなくてもちゃんとやるよ」
駒形さんは、珍しく少し慌てながらも何かをごまかすように話の続きを始めた。
高崎さんはというと、見ず知らずの女の子が傍に居るのでちょっとあたふたしていたが、それでも香織に向かって小さく頭を下げると、
「……ひ、ひ、広瀬君は忙しいんです。だ、だから……」
「でも、本人の口からやってみるって言いましたし。男の子なんだし二言はないんじゃありませんかね?」
なんだかぎこちなくも魔性の笑みを浮かべ駒形さんは俺を見つめる。
その顔を見て、さっきまでの駒形さんとのやり取りがすぐに頭に過った。
「使ってはみる……って、待ち受けも変わってるし」
「ことはさん、どさくさに紛れて何を?!」
「広瀬君にはもっともっとおさサイの良さをですね、体現してもらえればと」
「なんだよ、それ……あれ?」
香織はといえば、2人と話しているうちに何も言わずにいつの間にか姿を消していた。
「彼女なら俯き加減で出ていきましたよ」
「そ、そう……」
「人前で指切りしようだなんて、見せつけてくれますね」
「……うっ、つい、小さいころからやってたから」
なんかじっと見られているようで高崎さんの視線が痛かった。
「ううっ、挨拶できなかった……き、聞いてもいいですか? あ、あの人は……?」
「えっと、香織は……家が近所で」
「そ、それって……お、おさ、幼馴染っ?!」
「へ、へえ……」
息ぴったりのように、大きく反応する高崎さんと駒形さん。
特に高崎さんにはそれが予期せぬことだったように、大きな瞳をさらに大きくしてしばらくあわあわしていた。