対抗意識
息を切らして通学路を全力疾走する。
こんなに走るのは、幼馴染にフラれて逃げるように走ったあの時以来かもしれない。
『ほら頑張りなさい。あともう少しで学校よ』
「お、おう……」
その時はただただ現実を把握しきれなくて絶望して苦しかったんだ。
でも今は違う。その絶望した日に、りそヒロというアニメ作品を見て、彼女こそ真の幼馴染ともいえる黒糖あすみに出会った。
そのあすみのアプリが配信されたときは、速攻でダウンロードしたのを覚えている。
『目の前にもう見えるわね。だいぶ近道だったでしょ。それじゃあまた後でね』
「うん、ありがとう……」
あまり使う機会がなかったナビ機能だけど、バージョンアップしたらしいので試してみたが、性能もよさそうでほんとに近道だった。
なによりあすみのボイスをたくさん聞けて、やり取りできるのは嬉しい。
俺は彼女の仕草、特に台詞に癒されて。気がついた時には心の傷は塞がり、アニメに嵌っていったんだ。
そして今はあすみの声優さんが俺の隣の席にいるって、何だか信じられないよな。
そういえば、こっちの勘違いからのあの告白を思い出してもわりと平気になってるな。
この前も幼馴染とやり取りできたし……いや、そんなことより早く教室に行って今朝のことを含めて高崎さんと話題にしたい。
☆☆☆
昨夜は神崎結奈のスケジュールを細かく確認していて、頭の中で1週間の流れをシュミレーションしている途中で寝落ちしてしまっていた。
少し慣れるまでは大変そうではある。
頑張らないといけない。
間違っても俺が高崎さんの足を引っ張らないようにしないと。
階段を駆け上がって、息を乱しながら教室へと飛び込む。
「お、おはよう広瀬君」
「遅いわよ、広瀬!」
高崎さんは俺を見て、ほっとしたように自然と笑顔を向ける。
なんだか最近は日に日に表情も柔らかくなってきていて、なんていうか今日も可愛い。
駒形さんはというと、腕組みをしてじっと睨むよう目で見てきた。
決して怒られている気はしない。それどころかその視線は、ちょっとドキッとしてしまい目を背けたい衝動に駆られる。
隣の席の高崎さんと話をするようになって、まさかその子が推しキャラの声優とは思わなかった。
放っておけなくて助けるようになって、俺も助けてもらって……今はマネージャだもんな。
自分でもびっくりする。
駒形さんが転校してきたことも同じくらい驚いたな。
「高崎さん、ごめん」
「気にしないで。寝坊ってメッセージ送ってくれたし」
「そうなんだよ。ちょっと寝坊……あっ、そうだ。あすみアプリマジですげえ」
息を整えながら、ポケットのスマホに手を伸ばす。
だが、俺の言葉を遮るように駒形さんが言葉をかぶせてきた。
「おさサイでもアプリが配信されることになったの。だから、あなたモニターやんなさい!」
「アプリの配信決まってのか、おめでとう……えっ、モニターって俺が。ちょ、ちょっと!?」
「ことはさん!?」
悪戯な笑みを浮かべた駒形さんは俺の手からスマホを取り上げる。
至近距離ということもあり、指先が少し触れてしまいドキっとした。
画面を見た彼女はというと表情が見る見るしかめっ面に。
その理由はなんとなくわかる。
俺のスマホは待ち受け画面もアプリもそのほとんどがりそヒロであり、あすみたん一色なんだ。
『なによ、学校では話しかけないでって言ったでしょ』
あすみアプリを起動したままだったので、駒形さんの指が触れた瞬間にあすみたんが喋る。
駒形さんは、その声に余計にむっとした顔になった。
「なんなのよ、これは……?」
「ひ、広瀬君は1番のファンですから」
文句を言う駒形さんとなんだか嬉しそうな顔の高崎さん。
「そうだ。今日寝坊しかけたんだけど、あすみたんの目覚ましアプリで何とか起きられて……学校来るのに、ナビ機能使ってみたんだよ」
俺はその台詞が新ボイスだったことを告げる。
少しでも高崎さんと話題にしたかったことだった。
「そ、それ、この前録ったものかな。寝坊した時が一番あすみらしさ全開で楽しい、かも。ナビ機能も撮り下ろしたもの多いから遠出するときとか面白いと思う」
「マジか! また使ってみよう……」
「わ、私も今日の朝は広瀬君と同じボイスだったよ。なんか自分の声を改めて聴くのって恥ずかしい、けどね」
「そうだよね。で、でもあすみたんの声は神崎結奈じゃないと」
「っ!? う、うん、ありがとう……あ、あとはそうだなあ、誕生日のお祝いボイスも追加されてて、あっ、それから占い機能も……」
「何2人で盛り上がってるのよ。おさサイだって、すぐにあなたを虜にするんだから。今日から変更しなさい。ってことでモニターの件よろしくね」
「えっ……?」
駒形さんの言葉に俺が驚いたのは、隣の高崎さんが明らかに不機嫌そうな顔をしたのが目に入ったからだ。
そんなことはお構いなしに、駒形さんの方はその理由を雄弁に語る。
「ほら、ああいうのってちゃんと不具合を報告してくれる人じゃないとさ……あなたならその辺問題ないだろうし、何よりもおさサイ好きだから熱心にやってくれるでしょ。だから適任よ」
「いや、だけど俺、神崎さんのマネージャーもしてるし……配信っていつなの?」
「今夏。もちろんタダでとは言わないわ。こっちもちゃーんとお金は出すわよ。チェックして欲しいことは事前に伝えておくから、そんなに時間もかからないし。ねっ、お願い」
駒形さんはブラウン色のセミロングのゆるふわの髪を靡かせると、ぱっちりとした瞳で俺を見据えた。
魅力的な表情だ。高崎さんのそれとは違うが、見るものを虜にする魔性じみた力がある。
そして、俺たちの前でだけ口調はフランクになっていることも、親しみやすい。
「うっ……な、なら、やっては見るってことで」
「そうこなくちゃ」
「ことはさん、ひ、広瀬君は……いえ、そんないくつも掛け持ちなんて体を壊します」
他のクラスメイトが登校してくる中、両手を握りしめていた高崎さんは、意を決したように顔を上げた。
周りを見て、駒形さんの方はスイッチを切り替える。
「なら、神崎さんが広瀬君を手放してくださいよ。あなたには優秀そうなマネージャーさんがもう一人いるから、大丈夫じゃないですか」
「だ、大丈夫じゃないです。広瀬君は、わ、私のマネージャーです。それと、校内では高崎結奈、です」
「へえ、舞台上と遜色ない迫力……でも、はいそうですかってここで引き下がるなら、この場にはいないんですよね」
ふっと自然な笑み、いや不敵な笑みを駒形さんは浮かべる。
「なんか、高崎さん今日はえらく喋ってるぞ」
「なに、三角関係とか……?」
「あんなに活き活きと話すんだ」
「広瀬の野郎羨ましい。その席譲れ……だが、あの空間にはとてもじゃないが立ち入れそうにない」
周りからの声にも高崎さんは珍しく動じず、駒形さんから目を逸らさない。
なんからしくはない様子だけど、俺のことを心配してくれてのことだからか……普段見れない高崎さんが見られて少し新鮮だ。
「そもそも広瀬君は、りそヒロのアプリをすでに登録してるので、おさサイまでは大変です」
「おさサイも推せるの知ってますから、そこは曜日別とかでもいいじゃないですか? 私、撮り下ろしのボイス特に気合を入れますし」
「か、神崎結奈だって、いつも収録時には気合いを入れてます」
高崎さんと駒形さんの2人は言い合い、対抗意識というべきなのか、それが収まることはなく続く。
上手く収めたいがどうすればいいのか、良いアイディアが浮かばず考えていた時だった。
「……ねえ、ちょっと……?」
その聞きなれた遠慮がちの声の方に顔を向ける。
目の前に居たのは、視線を左右に彷徨わせていた幼馴染である桐生香織だった。




