久しぶりのやり取り
『今日のイベント、やばかった』
『神崎結奈と駒形ことは、あの2人ほんと新人らしからぬインパクトだわ』
『ルックスもだけど実力も兼ね備えてるから、作品ももっともっと人気出るの確実。今後露出も増えていくな』
日が暮れ始めたころ、俺は自宅のPC前に座っていた。
SNSでも今日のイベントのことは話題になっていて、ついつい目を通してしまう。
いくつもの称賛溢れる書き込みが目に飛び込んでくると、頭に焼き付けたあの舞台が浮かぶ。
歓声が聞こえて、目頭が熱くなり興奮が蘇った。
そして同時に、自分で宣言してしまった神崎結奈のマネージャーのことも浮かんでしまう。
これまでは気楽な面もあった。ただただ高崎さんを放っておけなくて、神崎結奈を応援したくて、いつも体が反応したように動いてくれた。
だがそれが仕事となると気持ち的も変わってしまうんじゃないか。
そんな一抹の不安がよぎり始める。
「今まで通り俺は高崎さんを支えられるのかな……」
あの二人にファンのみんなは期待している。
その期待はイベントを追うごとに、アニメが放送されるごとに高まって行っているのを感じる。
俺がマネージャーをすることで、高崎さんの足を引っ張ってしまうなんてことは……。
ネガティブなことを考えだすとキリがなかった。
そんな気持ちになりながら、聖地巡礼動画も見直す。
やはり高崎さんの神崎結奈の魅力が詰まっている物になっていると改めて感じた。
何だか再生数増えてないかと思ったが、どうやら勘違いではないようで、今日のイベントを経て、2人の出演会の動画が伸びているらしい。
「やっぱすげえなあ……」
その人気を落とすことだけはしたくなくて、これからどう向き合っていこうかと悩み始めた時、部屋にノックの音が聞こえた。
「……お兄ちゃん、いるんでしょ?」
「お、おお……」
イベント会場から帰ってくる途中、陽菜はそのまま吹奏楽部の練習へと向かった。
その顔には曇りはなく、見送った俺と高崎さんは顔を見合わせ安心したんだ。
「それ……?」
「いや、この動画は別に……」
「……」
誤魔化そうとしたが、妹の目は俺の顔を、そしてPCの画面に向いて……何かを察したような顔になった。
「どうしたらいいのかつい考えちゃってな……」
「……あっ、その」
「んっ?」
陽菜は言いかけて、首を横に振る。
何か言ってくれるのかと俺は期待してしまった。
だが、気を取り直したように妹は言い放つ。
「は、陽菜は夕飯に呼びに来ただけだから」
「そうか、悪いな……」
もうそんな時間になっていたのか。
妹の背中を見つめながら、階段を下りて台所へとやって来る。
そういえばここのところご飯の支度はまたも任せきりになっていた。
「えっ、お前これ……」
「なに?」
テーブルにはすでに豪勢な夕食が並べられている。
いつも栄養バランスを考えての献立でその見栄えもいいんだけど、今日のはまた別格だった。
ビーフステーキにほうれん草炒めとじゃがいもをかりっと揚げたものが添えられている。
広瀬家ではステーキは祝い事などのときの鉄板で、それは俺も妹も小さい頃から大好きなメニューだ。
陽菜はすましたような顔で写真にそれを収めて満足顔に。
そういえばその光景を目にするのは久しぶりな気もする。
「……」
「……お、お礼だよ、今日の……」
陽菜は何度か俺の顔を見ては、視線を上げ下げしていたが意を決したように料理を見つめてそうぼそっと口にした。
「えっ、ああ……」
「ほ、ほら、冷めないうちにさっさと食べる!」
俺がいつもの席に座ると、陽菜はその向かいの椅子をさっと引きそこに腰掛けた。
悪びれた様子というか申し訳なさそうな顔を一瞬したようにも思える。
「この肉うまっ。ご飯が進む……確かに今日の高崎さんたち凄かったよな……」
「……だ、誰が作ったと思っております? ……凄かったのはあの二人だけじゃないけどね」
「そうだな、陽菜も凄かった」
「……ち、違うでしょ!」
「えっ……」
何か間違ったことをいっただろうか?
俺が小さく首をかしげると、妹は観念したように話し始めた。
「……今年の吹奏楽部、全国大会出場が目標なんだよ……」
陽菜は1年生の時コンクールメンバーに選ばれた。でも去年はオーディションの時、緊張からか指が固まって動かなくなって落選。
新入生も入ってきて3年生として頑張らないといけない今年……それまでは動くようになっていた指が、いざみんなの前で演奏しようとなったとき、またも思うように指が動かなくなること。
陽菜だけがそんな状態で焦りと不安に飲み込まれそうになっていたらしい。
そんな時俺に声を掛けられたので、つい思っても見ないことを言ってしまったことを話してくれた。
「もう平気なのか?」
「うん、もう大丈夫。部活でも嘘みたいにちゃんと吹けたよ」
「そうか……」
妹の口から大丈夫という言葉が聞けてほっとする。
きっかけは与えられたかもしれないけど、プレッシャーを、悩みをはねのけたのは陽菜自身の力だ。
まさか悩みまでも解消できるとは思ってはなかったけど、きっと高崎さんの頑張りを目にして何かを感じてくれたんだろう。
「……」
「な、なんだよ?」
じっと遠目いで透き通っているような視線を向けられて、思わずたじろいてしまった。
「お、お兄ちゃんは……今から身構える必要なんてないじゃん。今まで通りやればそれでいいんだよ。あのマネージャーの人も神崎さんもそんなお兄ちゃんを信頼してるんだろうし、期待してるんだから」
「っ?! そ、そうだよな……またごちゃごちゃと考えちゃってた。こんなんじゃダメだな。精いっぱいやるよ。さすが陽菜、ありがとう」
さっき俺の部屋に来た時、それを言いたかったのか。
「コンクールに向けて陽菜は部活もっと頑張るよ。だからお兄ちゃんも頑張りなよ。そ、それから、その……」
「んっ……?」
陽菜はいったん言葉を切り、両手をぎゅっと握りしめた。
一度間をおいて溜めてから、
「きょ、今日はありがと。そして度重なる無礼な態度、ごめんなさいでした」
「えっ……」
「なにその顔は? 悪いことしたのに謝らないわけないでしょ。心の底からの陽菜のごめんなさいをちゃんと感じてよ」
「いや感じたよ。その、なんだ……完全にらしさが戻ったなあと思ってな」
「うっ……悪いことは自覚してたけど、さすがの陽菜もなかなか言い出せなかった、少し勇気が必要だった」
陽菜の視線はその豪勢な夕食に向く。
こっちだって悪いところがあったのに、きちんと謝罪の場を設けた妹を俺は心底尊敬する。
「俺も悪かったな。そしてもう気にするなって。コンクール観に行くからさ、俺も頑張るからさ、陽菜も頑張れ」
「っ!? お、お兄ちゃんの馬鹿……謝るのは陽菜でしょ。そしてパクるな」
「えっ、なんでだよっ! 兄的には良いこと言ったろ?」
「それなりにね……やっぱり精いっぱい頑張ることは大切なんだよね。それを見てくれてる人がいる、応援してくれる人がいる。その応援は力になる……あっ、陽菜ものすごい良いこと言ってる!」
らしさを取り戻した妹の顔を久しぶりに目にする。
こんなやり取りもなんだか妙に懐かしくて胸が熱くなった。
兄妹げんかと言えるものかわからないけど、僅かにすれ違って溝が開いた関係はきちんと塞がったように感じる。
テーブルには湯気の上がった夕食が並び、しばらくぶりの暖かい時間が流れた。