いてもたってもいられなくて
1歩1歩舞台に近づくごとに、やるべきことを鮮明に思い浮かべる。
駒形ことはが演じているヒロイン甘味みゆきが事あるごとに騒動を起こし、主人公を巻き込んでいく学園ラブコメ。
退屈な日々を過ごしていた主人公は、いつからかそんな甘味みゆきに惹かれ始めていく。
それが「おさサイ」の大まかな内容だ。
高崎さんが選択したおさサイの大好きエピソードは、朝の2人きりの時間にちゃんと聞いていた。
それはくしくもアクシデントの今この状況を動かすにはぴったりの話。
いくつかの問題はあるけど、それは舞台上の2人を信じて託すしかない。
傍に居たスタッフさんにマイクを1本貸してもらう。
少し音は悪いが、スマホからそのマイクを通して、おさサイで使われているBGMを会場へと流し始めた。
「おっ、始まったのか?」
「これっておさサイの?」
ざわついていた客席がスピーカーから流れる音源に気づき、即席の舞台が整っていく。
皆もよく知っている曲なだけに、すぐに気づいてくれたのはありがたい。
そして、まずは最初の関門。
そもそも高崎さんが、俺の意図を察してくれないと話にならない。
けど、高崎さんならきっと気づいてくれる。
そう信じて俺は彼女へと思いを込めた視線を送った。
不安げに辺りを見回す高崎さんと目が合う。
すると彼女ははっとした顔になった。
すぐに小さく頷くと、目を逸らすことが出来ないほど魅力的な笑顔を浮かべてくれた。
うわっ、途端に顔が熱くなってしまう。
自信はあった。
彼女はいつだって、信じてその想いに応えてくれる。
「……先に説明からしちゃいますね。私が選んだおさサイの大好きエピソードはずばり、『本音と本音殺し』です。その日みゆきはすっかり日が暮れるまで先生たちにお説教をされていました。校舎を出るとすでに外は真っ暗です。そこには主人公君が1人彼女を待っていて声を掛けました……『よっ、おつかれ!』」
高崎さんは主人公の台詞を口にし、その場面を再現しようと試みる。
他作品の台詞まで完璧にコピーしているのかそこも半信半疑だったが、いらぬ心配だった。
やっぱりすげえ。
「……」
そして、駒形さんはぐっと押し黙る。
確かに、アニメのその場面でもみゆきも、最初は沈黙を貫いている。
けれどそれがわかっているのか、気持ちが落ちて混乱したままなのかは俺には判断出来なかった。
ヒロインの取った行動は大勢に非難されるけど、たった1人主人公だけがその行動の意図をわかって、ヒロインを褒め殺す。
誰も気づいてくれなかったと落ちこんでいたみゆきは、その言葉に感動して初めて主人公をきちんと意識しだす感動回。
さっき駒形さんが自分で熱く語っていた話だ。
だからこそ、すべてが活きてくる。
「……まったく、何の説明もなしで気づくと思ってんのか?」
「……」
「……まあ、全部説明するのは恥ずかしいのはわかるが……」
「……」
会場はすでに、神崎結奈の熱演に魅入られている。
この状況であっても、あっという間に観客を引き込むその声の演技は驚嘆の一言に尽きる。
わかってはいたけど、改めて高崎さんの実力の高さ、その片鱗をみせられている気がして目が釘付けになってしまった。
「そのなんだ……よく頑張ったな。頑張ったぞ、よくやった」
ここで、顔を伏せて何にも言わないヒロインに主人公から労いの言葉がかけられる。
普段はぶっきらぼうな幼馴染からの意外な言葉にみゆきがどきりとする場面だ。
「おおっ」と、感嘆の声が会場のあちこちで上がる。
(よしっ……)
「……」
第2関門はここなんだ。
これも台本にはないこと。
駒形ことはが、一度失敗している今の彼女が自分以外の策に乗っかることが出来るのか?
神崎結奈を信じて見失わずに甘味みゆきを演じられるのか、確信があるわけじゃない。
1つだけ確かなことは、駒形さんがその気にならなきゃこれはただの茶番に終わる。
しらけるだけで、状況はさらに悪化する。
それが解っている駒形さんはゆっくりとマイクを近づけていく。
さっきまでが嘘のように震えていた。
緊張と失敗したらという恐怖。
それはたぶん一生懸命努力してきたからこそ、強く濃くこんな時に現れるんだ。
「……」
「なんだよ、駒形さん具合でも悪いのか?」
「神崎さん、主人公役上手いな。それに比べて……」
彼女が声を発するより寸前に、目の前にいる観客が漏らす不満の声。
それは神崎結奈との容赦のない比較。
「っ?!」
今の彼女には相当応えるだろう。
唇を噛み締めたまま固まってしまうのも、心が折れそうになってしまうのもわかる。
でも、それでも、俺は彼女なら出来ると信じてる。
俺に出来ることは心の中で目一杯応援することだけ。
そして、そう思ったのは俺だけじゃなかった。
近くで見てた高崎がそっと駒形さんの手を握ってその思いを伝えているのが見えた。
「……」
駒形さんは目元を潤ませかけ、グッと耐える。
その小さな口元を動かそうとしているように思う。
(えっ……)
頑張れと心の中で叫んだ瞬間、突如スピーカーからのBGMが途絶えた。
時間をかけすぎたために、一番盛り上がるはずの音源が終わった……。
もう少しだったのに、こんなところで……。いや、ちょっと巻き戻して再生すればまだ。
だが焦ってしまった俺の指先は震えてしまって、思うように画面を操作できない。
はやく、壱秒でも早く!
~♪♪♪
(なっ!)
冷や汗をかいた俺の背中から、その澄みきったような心地いい音色が響いた。
一番の盛り上がりはトランペットのソロ部分。
おさサイのオープニングのさび部分をアレンジしたこの場面だけに使われている特別な音。
身近にその楽器を吹けるのは1人しか……まさか……そんな思いで振り返ると、
陽菜が午後からの部活で使う自前のトランペットを手にして、舞台上に向け吹いていた。
駒形さんと同じように体を震わせてはいたが、力強く心地いい音と共に、舞台の中央へと熱い視線を送っている。
その瞳は挑発しているようにも思える。けど、あれは陽菜なりの精いっぱいの応援。
「おいおいおい、生演奏かよ!」
「演出がえぐいっ」
(行ける!)
俺も舞台上の2人に陽菜と同じ、観客と同じ熱い視線を向ける。
すでに駒形ことはは顔を上げていた。
さっきまで震えていた口元が嘘のように、その表情はふっと笑みを浮かべている。
ここまでお膳立てしてくれたらというような感謝と心の底から楽しんでいるような表情だ。
彼女は大きく深呼吸して、陽菜のその音のタイミングに合わせて、
『……あー、うるさい。幼馴染ウザイ。別にあんたの為にやったんじゃないから』
それはみゆきの精いっぱいの皮肉であり、本音を殺した言い回し。
精いっぱいのそこにすべてを込めたような台詞。
その声が耳に届くと、さきほどまで冷め始めていた会場の空気は途端に熱くなり、大きな歓声に包まれる。
『たまにはあんたも誰かを勇気づけて見なさいよ』
「……いま、勇気づけてんだけど……」
『はっ……えっ!』
かあっと顔を赤くしたみゆきは鞄で主人公を小突いて一緒に下校するそんな一場面のやりとり。
会場は今日一番の拍手が巻き起こる。
それもそのはず、神崎結奈と駒形ことはの2人の共演。
しかも一番の盛り上がりはトランペットの生演奏で演出してる。
ここで盛り上がらないはずはないほどの美味しい場面だ。
「あっ、ようやく機材が直ったみたいです」
何事もなかったかのように、いや、先ほどよりも熱気を帯びた館内にその映像が流れだした。
俺は体をかがめて座っていた席へと戻る。
「……」
「助かった陽菜、ありがとう」
「……べ、別に……いてもたってもいられなくなったから、やれることをやっただけだし……あっ、陽菜いいこと言ってる」
「っ?!……」
なんだかバツの悪そうな妹の顔が可笑しくて、そして久しぶりのらしい妹を見た気がして、自然と俺は笑顔になっていた。




