みててね
「そろそろ行けるか?」
「……準備は出来たけど……もう出るの?」
「ああ……ほら開場前に少し用事があってな」
「……ふーん」
週末の日曜日、家を出るときにそんな少しぎこちない会話をしてやってきたのは都内某所の劇場前。
この会場は、前回ウェブラジオの公開収録をしたところよりも収容人数も多い。
辺りを見回せば、開始までまだ時間があるにもかかわらず並びだしていたファンたちがすでに盛り上がり始めていて、異様な熱気を帯びている。
僅かに聴こえてくるその内容は、りそヒロとおさサイの互いの作品について意見交換であったり、メインヒロインを演じる神崎結奈と駒形ことはについて語り合っている様子。
「……へえ」
妹は家を出る時こそ少し不満げな表情をしていたが、いざ会場に近づくときょろきょろと周りを見回し、頬も血色がよくなっているようにも見えた。
こういうイベントがはじめてということもあるのだろうか、その感嘆した言葉が出たことにちょっとだけほっとする。
事前にりそヒロを視聴したということも多少なり影響していそうだ。
それに、りそヒロもおさサイも男女問わず人気がある。
現に列の最前列は女の子たちで、作品の恋愛模様の話題で語り合い時折笑みをこぼしていた。
その点でも安心できるのかもしれないな。
あれから数日が経過していた。決して険悪なムードというわけでもないが、俺たち兄妹の仲はなんだかぎこちないのは変わらない。
開場待つ列を素通りして、裏口へと向かう俺に妹は何か言いたそうに首をかしげている。
その裏口にはスタッフさんが慌ただしく出入りしていた。
「ちょっと……ここ関係者の人しか立ち入り禁止なんじゃ?」
「まあそうなんだけど……」
それ以上近づかないように妹は俺を制止させるように背中を引っ張る。
「やっほー広瀬君。時間通りね」
「おはようございます……えっと、後ろにいるのが妹の陽菜です」
「えっ……えっ?!」
そんな時、富田さんがこちらに気づいたようで親し気に手を上げ歓迎してくれる。
チラッと後ろを振り返ると、陽菜は理解しがたい状況に珍しく驚きを隠せない様子だ。
「へえ……もしかして広瀬君ってシスコン?」
「はっ……いや、全然そういうのじゃないですから」
「…………いつも兄がお世話になっています?」
少し間がありながらも妹は行儀の良さを見せるが、その顔は疑問だらけといったふうだった。
「もしかして何にも聞いてないの?」
「……はい?」
「お世話になっているのはどっちかといえば私たちの方かな……それにしても君、秘密主義だね」
「……別に自分から話すことでもないでしょ。聞かれたのなら別ですけど……」
「君らしいね……これ下げておいて。時間も無くなっちゃうし、行こうか」
スタッフ証を受け取り、俺たちは富田さんの後に続いて控室へとやって来る。
「は、はいぃ。ど、どうぞ……」
神崎結奈と書かれた部屋をノックすると、すでに緊張していそうな高崎さんの声が響いた。
「ごめんね、高崎さん。本番の前に時間取ってもらって……」
「うんうん…………は、は、はじめまして、はるにゃさん。こ、黒糖あすみ役のか、神崎結奈でふ」
高崎さん妹と顔を合わせるのはこれが初めてなこともあり、言葉は噛み噛みで緊張しているのか体が小刻みに震えていた。
それでも、いつも通りの一生懸命さは否が応でも伝わってくる。
「えっ……うそっ、本物っ! ……初めまして、兄の妹の陽菜です。いつもお世話になってます」
「そ、その、お、お世話になっているのは、こ、こっちのほうで……きゃー」
自分でも緊張しすぎているのを察してなんとか落ち着こうとしてのことだろう。
高崎さんはその震える手で、傍にあった飲み物に手を伸ばすが、上手く掴むことが出来ずに盛大にこぼしてしまう。
衣装を汚してしまうと思ったのか、咄嗟に立ち上がった高崎さんはコンセントに足を取られ盛大にこけた。
そして素早く駆け寄った俺に、
「す、すいません。いつもいつもご迷惑をおかけして」
しりもちをついたままで素早く頭を下げて謝罪する始末。
「俺だよ高崎さん?! 大丈夫だから」
「広瀬君……ううっ……うん」
俺の手を掴んで立ち上がると、周りのスタッフさんに丁寧にお辞儀する。
「すいません、ご迷惑を……」
そんな姿を見せられると、やはり俺は助けてあげたいと思ってしまう。
それに、そんないっぱいいっぱいの状況なのに一通り頭を下げ終わると、高崎さんはじいっと心配そうな目で陽菜を見つめる。
その真っ直ぐ澄んだ目で見つめられた陽菜は視線を彷徨わせた。
「……あの、大丈夫ですか?」
「はいっ! いえ、その……み、観ててね、2人とも」
勇気を出して自らを奮い立たせるような言葉を伝え、強張った顔ながらも高崎さんは優しく微笑んだ。
まだ体は震えている。
高崎さんにとって本番前はすごく大切な時間のはず。今日は前回のイベントよりもハードなんだ。
なのに妹を励ますようなその声は、俺の心にじわりじわりと響いてくる。
ちらりと陽菜の様子を見れば何かは感じ取った様子で、目を大きくして驚いてるふうにも見えた。
「ちょ……お兄ちゃん、観ててねって言われても、陽菜的にはもう見ていられないんだけど」
高崎さんのあまりの姿に、つい聞きたくなったのか妹が袖を引いて耳打ちしてくる。
その気持ちはわからないでもない。
実際俺も見ていられなくて、何とか助けてあげたいって思ったんだから。
あれ……陽菜がまともに口きいてくれたのはあれ以来初めてな気がする。
「……陽菜もりそヒロのあすみたん観ただろう?」
「うん……」
「あすみたん演じてるのは、神崎結奈さんだ。だから大丈夫。ちゃんと観てればいい」
高崎さんを訝しげに見る妹に、それでも俺は自信をもって断言する。
思えば、高崎さんが出演するこのイベントを妹にも観てもらいたいと告げてから数日。
高崎さんはその申し出を快く承諾してくれた。
俺に言ったあの言葉に嘘のないように、自分が頑張ることで妹に何かを伝えようとしてくれているようにも感じる。
だけど……その様子は普段と比べても何か余計な力が入っているようにも思えて心配になってしまうのも事実だった。
「あのさあ……」
リラックスさせてあげようと、緊張している高崎さんに声を掛けようとしたとき、部屋にノックの音が響く。
「ど、どうぞ……」
「お疲れ様です。今日はよろしくお願いしますね、神崎結奈さん」
明るく朗らかなその声は緊張とは無縁と宣言しているようで、高崎さんとは対比的な状態を表しているかのように俺には聞こえる。
駒形ことは、彼女ははじけるくらいの笑顔を振りまいて神崎さんを見据えていた。




