滅多にない頼み
思考が停止しかけそうだった。
陽菜と顔を合わせたら、こういう順序で謝ろうと組み立てていたものは見事に崩壊していく。
よりにもよって今日も大泣きしている陽菜。
だが昨日の様子とは明らかに違うと感じるのは、テレビ画面ではりそヒロのエンディング画面が流れていること。
そのことも混乱に拍車をかけた。
これまで妹にりそヒロを薦めたことは何回もある。
それこそ布教用のDVDを渡したりもした。
だが感想など聞いた覚えもないし、好みもあるし合わなかったのかと思うようにしていたのだが。
「陽菜……」
「……」
「あのなあ、き、昨日は、その……」
「…………おかえり」
気持ちの面では謝ろうとしているのに、言葉が上手く出てこない。
そうこうしているうちに、震えるようなわずかな声が耳に届いた。
ぎゅっと両手を握りしめているように見えたが、そのまま陽菜の視線は俺ではなく画面に向く。
その背中に俺も小さな声ではあるけど声を出す。
「……ただいま」
「……」
僅かな言葉だけ交わせるかだけ朝よりは好転したかなとは感じるものの、やはりそう簡単ではないと思い知らされる。
なにしろあそこまで感情をぶつけてきたのは初めてのことなんだ。
後悔している様子は俺も何となく察してはいる。
エンディングが終わり、りそヒロの次回予告が終了しても、妹は前を向いたきり動かなかった。
なんとなく気持ちはわかっても、こちらもその場から動くことが出来ない。
すぐにいつも通りを取り戻すことは無理だと悟る。
なら、それでも今この場で話題に出来ることは何かと考えた時、浮かんだものは一つしなかった。
「りそヒロ、面白かったか……?」
「……」
「今、見てたのあすみたんが怪我して自暴自棄になりかかってたところを主人公の励ましによって……の回だろ?」
「……う、うん」
「大好きな絵がもう描けないかもしれないって不安に押しつぶされそうで、絶望しかけて、でもそれでも前を向いて……その姿がカッコよくて……」
「…………そ、そう」
りそヒロやあすみたんのことなら、高崎さんの時と同様話題にすることが出来る。
少々興奮気味にはなってしまう自覚もあったが、それは妹も理解してくれているところなんだ。
3度目の投げかけに返事があったことにほっとし、それが肯定の言葉であることに余計に力が入って来る。
「あすみたんすごかったろ。俺が推しにするだけはあるだろ」
「…………ちょっとわかる」
少し間はあるものの、会話が成立するだけでどれだけ安心できるかわからない。
こっちを向いてはくれないし、どんな顔をしてるのかもわからないけどその言葉が嘘でないことはなんとなく伝わってくる。
普段ならまだ部活のはずだ。
しばらく個人練なのか、時間を貰っているのか想像することしか出来ないのは歯がゆい。
だが、ここで部活のことを聞いたら余計こじれてしまう、意固地になってしまうと感じはした。
だてにずっと一緒に暮らしているわけじゃない。
今までは見て見ぬふりをしてきたけど、今回は踏み込んだんだ。
これくらいのことは覚悟の上。
その上で、何とか助けたいという気持ちに曇りはない。
だから高崎さんにも……彼女の言葉がまた過って、それが俺の背中を押してくれたのは確かだった。
スマホを取り出すと、急いで高崎さんにメッセージを送る。
『早速でごめん。次のイベントって今週?』
手短に用件のみを伝えた。
妹のことで頭の中がいっぱいになりそうな時にも関わらず、ノートと違い何だか味気ないなと感じ苦笑してしまう。
学校までの自分とはちょっと違うかなと実感する。
~~♪♪♪~~
そんな時、室内に着信音が響く。
それは高崎さんからのメッセージ音ではなく自宅の固定電話のメロディだった。
「俺が出るよ……」
妹に声を掛け、受話器を取る。
「はい、広瀬です」
「……潤?」
聞き間違えようの無いその声に、俺は一瞬ドキリと心臓が跳ね飛んだ。
「……ああ、香織、か?」
それは紛れもなく幼馴染の、桐生香織からの電話だった。
「……うん。そうだけど……久しぶりで声忘れちゃったみたいな感じだね。陽菜ちゃんって、今いる?」
「ああ……代わる」
香織の名前を聞いて、傍に来て顔を伏せていた陽菜に受話器を渡す。
そのままソファに向かい、俺は大きく息を吐いた。
電話を掛けてきたのが香織だったことも驚いたが、きちんとやり取りを出来た自分自身にはもっと驚く。
「えっ……うん。朝はあんまり話せなくて……心配してくれてありがとう、かおりん。大丈夫だから」
話の具合から、朝、家を出た時にあいつと遭遇したってところか。
香織は妹とはずっと仲がいいし、その異変に気付けても全然不思議じゃない。
「えっ? ……うんうん、最近は……全然元気……」
時折なんだかこっちを陽菜が見るのを不思議に思いながらも、自分のスマホ画面を見つめメッセージ待った。
~♪♪~
その思いが通じた様に、りそヒロのメロディと共に高崎さんからの返信が届く。
『イベントは今週の日曜日……大丈夫?』
ちょうど陽菜たちの電話も終わった。
受話器を戻した陽菜はわずかにため息をつき、そのまま俺の横を通り過ぎようとする。
そんな妹に向かって、俺はスマホを握りしめながら声を掛けた。
「…………その、だな、今度の日曜時間あるか? 部活の練習は……?」
「……時間はない」
「そ、そうか……」
「……日曜は午後からだけど、午前は個人練習やるから。もういいでしょ?」
陽菜はこちらを見ずに話を切り上げようとする。
「いやよくない……なら、午前中でいい、俺に時間をくれないか?」
「……なんでそんな?」
「兄からの滅多にない頼みなんだ」
「…………はっ?」
困惑な表情を向けて小さな声で抗議してくる陽菜に、俺は安心させるように自信を込めて力強く頷いてみせた。




