見ていられない
その大きな黒い瞳は少し潤んでいて、じっと目を逸らさずに俺を見つめてくれている。
そんな視線に射抜かれれば金縛りにあったように思考が停止してしまう。
「……」
「……」
「あっ、そうか……ごめんね」
「うんうん……だ、大丈夫?」
学校まであと数歩というところで俺たちは立ち止まった。
あすみたんやりそヒロの話題を高崎さんの方から振ってくれたのに。
反応が薄いことをおかしいと思って心配してくれたんだ。
まだ付き合い自体は短いけど、ノートでのやり取りなんかがあるからその期間以上に印象に残ってるのかな?
いずれにしろ、高崎さんに心配かけちゃダメだろう。
こんなんじゃ妹の件もどうにか出来っこない。
「大丈夫……あすみたんらしさ全開のラスト楽しみだよね」
「うんっ!」
ふうと息を吐いて高崎さんを安心させるためにこちらからさきほど高崎さんが言いかけたことを話題にしていく。
心臓が何だかドキドキしながらも、他のことは考えないようにして高崎さんとの話に集中力を傾ける。
結果として、2人きりで話しているときには妹の件が頭を過ることはなかった。
だがいったん授業が始まりればそういうわけには行かなくて、頭に過ってくるのは陽菜の心配。
そのたびに首を横に振り思考を遮断するのだが、まるで上手くいかない。
しかも隣の席の高崎さんにはその様子を見られてしまって、彼女は慌てたように教科書を指さす。
それをみて、英語の先生に当てられたのだと知る始末。
「広瀬……広瀬、聞こえないのか?」
「…………えっ、あっ、はい……」
「続きから読んでみろ」
「……すいません、聞いていませんでした」
「小テストも近いぞ。ちゃんと聞いているように」
「すいません……」
「……じゃあ高崎」
「は、はいぃ」
高崎さんは俺に視線を向けながら、少しビクついた様子で立ち上がる。
そして彼女は少しぎこちないながらも難なく読み終え、その頑張りを見せたのだった。
その姿はやっぱり妹とダブる部分がある。
一生懸命さが見ただけで伝わってくる。
だからこそ応援しようと、応援したいと思って、妹の件だって俺は……ああまた! 今は考えるな。
こんこんと額を叩いて高崎さんにいつも通りをアピールしようとする。
心配をかけまいとしようとしているのに、ちょっとでも油断しただけで陽菜の件が頭を過ってしまう。
午前中の授業はどの時限もそんな感じだった。
「広瀬、おいっ!」
「…………んっ、おお」
友人に体をゆすられて、昼休みになっていたことも気がついたほどだ。
「また今日はやけに落ち込んでるっつうか、心ここにあらずだな。まだ推しキャラのアニメ最終回じゃねえだろ」
「ああ、ちょっとな……お昼か……」
「声ちっさ。何か広瀬の弁当今日は普通だな」
たしかにお弁当にいつもの豪華さはなかった。むしろよく作ってくれたなとも思う。
あいつ、なんか今朝は変だったから無理もない。
一晩経ってもあの様子じゃ切り替えられていないし、あいつがあんな感情爆発させるくらいだからよっぽどの悩みなんだろうな。
こっちはその悩みの根源が気になって仕方ないし、どうにかしてやりたいとまで思ってしまっている。
(あっ、まただ)
周りを囲んでいた知り合いは、倫子先生という美人の先生に次の授業の準備を頼まれているらしく、早々に席を立っていく。
俺も気分転換になるかもしれないと、別の場所で食べようと俺も教室を出る。
「ひ、広瀬君……」
「えっ?」
いつぞやの視聴覚室でも行くかと廊下を歩いていた時だ。
周りに誰もいないこともあり、高崎さんが小声で話しかけてきた。
その手にはお弁当を持っている。
「わ、私も一緒に……」
「うん……」
(うわ……これ心配でついて来てくれたのか)
その予想が当たっているというように、高崎さんは気が気じゃないと俺を観察するように見ていた。
そんな2人でのお昼はまたもりそヒロの話題で盛り上がる。
この時だけは朝と同じで嘘のようにその話に集中できた。
だけど、午後になって授業が始まれば、また俺の気持ちは空回り始める。
よりにもよって、体育の授業がバスケだったのもそうなった理由だろ。
俺にとっては割と得意なスポーツと言っていいのだが、バスケは運動神経もいい陽菜が、中学の時 吹奏楽部とどっちに入部するか迷った部でもある。
俺も通っていた中学校はバスケ部が強豪だった。
陽菜の運動神経に目を付けた上級生から入部を薦められたとかって経緯だったか。
そんなことを考えてしまって、しかもいつも以上に気持ちは張り切っているもんだから、楽なパスも受け取れず。
「ぐああ!」
体育館には俺の悲痛な叫びが木霊した。
ただの突き指だが、またもや保健室に行く羽目になり、いつぞやの高崎さんのように自分でテーピングをする羽目になる。
「はあ、ほんと何やってんだろうな……くそっ」
身内のことだし心配するのは当たり前なんだけど。
今朝高崎さんに心配かけまいと心に刻んだはずなのに、ここまで身が入らなくなるとは正直驚く。
前までの自分なら、陽菜のことなら大丈夫だろうと楽観視していたはずなんだよな。
あの涙を見てしまったのと……もう1つ確かな理由がある。
それは今日一日で……。
そんな確信を持った時、コンコンと軽いノックが聞こえ、遠慮がちにドアがゆっくりと開いて高崎さんが心配そうに声を掛けてくれる。
「……ひ、広瀬君、大丈夫……?」
「高崎さん……」
体操服姿の彼女を初めてこんな至近距離でまじまじと見つめてしまう。
そうなんだ。一生懸命なところがそっくりで、あいつとやっぱりダブるんだ!
結局今日は1日中空回りしっぱなしだった。
肩ひじを突いて校庭を眺めてふと我に返った時には教室はもぬけの殻。
帰りのホームルームもいつの間にか終わっていたことを知る。
溜息を吐きながらふと隣の席に目をやった。
あれ……朝何か言われたような?
「っ!? やべえ!」
一緒に登下校って言っていた。
「なにやってるんだ、俺は!」
自分の行動を否定しようとするのは今日何度目かわからない。
あの人は苦手だけど、こんな俺でも多少の信頼を寄せてくれている。
そのことはなんとなくわかっていた。
そして感謝はしていたし、期待を持ってくれているなら応えたい気持ちがないわけでもない。
それを頑張ってることなんていうつもりもない。
高崎さん、神崎さんを応援することに、妹の件は関係がないのに俺は……。
(くそっ……)
鞄を掴んで、スマホを耳に当てながら足早に廊下へと向かう。
~♪♪~
その音は教室前の廊下から聞こえてきていた。
「まったく……もう見てらんないわ。何があったのか全部話しなさい。お、幼馴染なんだし相談くらい、の、乗ってあげるわよ」
「へっ…………えええっ?」
廊下へと出た瞬間、遠慮がちではあったが、ぎゅっと手を掴まれた。
その伝わってくる体温を感じて、至近距離にいる高崎さんに意識を持っていかれてその瞬間、その台詞が頭の中を駆け巡る。
りそヒロで主人公のしゅうが今の俺と同じように妹のことで悩んでいる話がある。
ファンの間では傑作と評される、あすみたんがしゅうの為に自分から始めて動く回。
こうやって廊下に出るところを逃げられないように掴んで、でも心底恥ずかしそうに。
そう今の高崎さんのように顔を真っ赤にしても相手の為に少しの勇気を振り絞って伝えるんだ。
「ご、ごめんなさい……で、でも……」
その瞳は今朝からずっと曇らず、俺を心配していると真っ直ぐに訴えかけてくる。
ずるいよな。
そんな瞳に何度も見つめられたら、どんな奴でも口を割る。
「ごめん高崎さん……少し情けない話なんだけどさ、聞いてくれる?」
「は、はいっ!」
その口元を緩めた笑顔を魅せられて俺は今日初めてほっと息をついた。