心配させて
翌朝、少し焦げ臭いにおいがしている台所へと顔を出すと、昨日のことを思い出してなのか、陽菜はバツの悪い顔をして目を逸らした。
にもかかわらず、テーブルにはバランスよく朝食が並んでいる。
少し気まずさを感じながら席につくと、陽菜が対面の椅子を1度引こうとして思い直したように反対側の席にぎこちなく腰掛ける。
まだ昨日のことを気にしているのは明らかだった。
今朝は当たり前とも思えていた挨拶もなくて、なんだか淋しい気持ちが芽生える。
互いに無言で食事が進み、陽菜は時々意味深な顔でチラ見してきていた。
何か話したそうにはしているのをひしひしと感じるものの、俺が視線を合わせようとすると逸らされるの繰り返し。
そんな中、焦げの酷い焼き鮭を陽菜が箸で掴んでため息を吐く。
「ううっ……」
「んっ……?」
今まで妹が料理であからさまにやらかしたところをみたことがない。
それを目のあたりにしてしまうと、やはり陽菜が抱えている悩みのベクトルは相当大きなものだと察した。
「……あっ」
「……」
そして俺の視線に気がつくと再度何か言いたげな顔で口を開くが、
「うっ……」
その様子は緊張しているときの高崎さんみたいに言葉を詰まらせた。
「あのなあ、陽菜……」
「……」
そんな姿を見せられた俺はと言えば、こちらから何か話そうとするもののつっかえた様になかなか言葉が出てはこない。
何か言ってはあげたいものの、考えがまとまっておらず安易に口にすることは昨夜の反省もあって憚れる状態だ。といっても、一晩でだいぶ気持ちの整理は出来ていた。
そうこうしているうちに、その場の空気に耐えかねたのか、勢いよくご飯をかき込んだ陽菜が先に席を立つ。
そのままわずかに肩を下げながら玄関へと向かう。
「……行ってきます」
独り言のようにつぶやく微かな声が玄関から聞こえた。
☆☆☆
陽菜に急かされたように俺もすぐに家を出た。
いつもよりもさらに早い時間の通学路はまだ人も少ない。
普段は信号待ちの時などあすみアプリとメッセージのやり取りを行ったりもする。
しかし今日はただただ歩を進め、立ち止まった時にはうーんと唸ってしまうそんな感じだった。
陽菜には悪いことをした自覚がある。
話くらい聞くことは出来た。
そうすることで気持ちはリセット出来て、随分と楽になる。
それは俺が妹に話をしてみて実感経験したことでもあった。
昨夜まではどこかで自分のしたことを棚に上げて、そんなふうに都合よく思っていた。
俺ならばそれだけで前を向けたからっていう基準で考えてしまっていたんだ。
でも陽菜は違う。違うだろ。あいつは普段から何事にも手を抜かず頑張っていた。
わかってたのに。いつもお世話になりっぱなしで知らないところで迷惑もかけているはずなのに。
なのにあんなことしか言えないなんて……そんな自分が嫌で思わず鞄を持つ手に力が入った。
「つくづくダメな兄貴だな……」
そんな心の底からの声を呟くと、見覚えのある赤いスポーツカーが真横を通り過ぎる。
その車は少し前で停止し、周りを異様に見回しながら高崎さんが降りてくる。
「あら広瀬君、おはよう。随分とはやいのね」
「……はあ、まあ色々あって……」
わざわざ助手席側の窓を開け、富田さんは俺に挨拶してくれた。
まさか学校までの送り迎えまでしているとは思ってはいなかったが。
声優さんだし、忙しいには忙しいのだろうけど、毎日分刻みで動いている感じもしないけどな。
妹の件で悩んでいる今の状況じゃなかったら、この場で聞いていたかもしれない。
「…………ちょっと聞いてる?」
ぼうっと呆けていたのか、今は妹の件でいっぱいいっぱいで言葉があまり入ってはこない。
「えっ……はい?」
「じゃあよろしくね」
「はっ? えっ、ちょっと……」
やたら目立つその車は俺たちの傍からエンジンをふかして離れていく。
何をよろしくなんだ? 聞いていなかった……
「あ、あの……おはよう広瀬君」
「…………あっ、うん、おはよう高崎さん」
高崎さんは遠ざかる赤い車をムッとした顔で見つめていた。
そういえばこの前の車内でも何か怒っている気がしたかも。もしかして関係が上手くいってないのか?
そんなことがわずかに頭をかすめた時、彼女は俺の方を向いて挨拶してくれる。
それすらも素早く反応できず、高崎さんが僅かに小首を傾げたとき慌てて挨拶を返した。
「ごめんね。な、なんか私と登下校するように頼んでいたみたい……私から言うように前から言われていてノートに書こうとしたんだけど、なかなか書くことが出来なくて」
「……ああ、そうなんだ……えっ、登下校!」
「富田さん強引なところあるから。よっぽど広瀬君を気に入っているみたい……」
「……あの人嫌いじゃないけど、何か色々読まれていそうで苦手なんだ」
「あはは、それなんとなくわかる」
登下校か。なかなか俺が返事をしないから逃がさないように色々模索してのことかな?
何か引っかかるけど、今はそれよりも……。
俺が思案顔で唸りそうなところで、高崎さんは話題を振ってくれる。
「そ、そろそろりそヒロ一期のラストが近づいてきちゃったね」
「……あっ、ああそうだね」
「さ、最後はあすみ全開で……んっ?」
「……」
「……そうだ、この前の動画なんだけど、聖地巡礼の……」
「……」
「広瀬君?」
「……うん……動画?」
俺たちは一緒に学校までのわずかな道のりを並んで歩く。
だが珍しくも俺はあまり喋れはしなかった。
通学路の途中で高崎さんと遭遇したなら、りそヒロやあすみたんの話題で盛り上がりたいところ……それなのに今はそんな気分にはならない。
昨日の陽菜の泣き顔が、その後の意地を張って突き放そうとした態度がずっと頭にこびりついてしまっていたのもそうだが……今朝の様子と態度を見て、俺は改めて何とかしてやりたいと思ってしまっていた。
その方法、手段をどこかで考えながら歩いていた。
「昨日ね、あの動画を見た先輩の声優さんがすっごく褒めてくれたの。ら、らしさが出てて良かったって。広瀬君のおかげ……あの……」
「……」
「広瀬君……ひ、広瀬君ってば!」
だから視線も高崎さんの方ではなく、地面のコンクリートにほとんど向いていた。
「……」
「っ!?」
その時、制服の背中をわずかに引っ張られた気がして、その瞬間に顔を上げる。
そこには、心配そうに俺を見つけている高崎さんがいた。