いつもと違う
早朝、目が覚めてすぐ動画を再生する。
『こ、黒糖あすみ役の神崎結奈です……きょ、今日は理想のヒロインの見つけ方の聖地巡りをしなふぁら、作品のことや、役を演じるうえで気を付けていることにゃどを話して行ければなと思っています。よろしくお願いします……』
実際の撮影が行われてから数日が経過していた。
高崎さんは自己紹介と意気込みなどを少し噛みながらも発したあと、目は泳ぎ気味で体は緊張で震えさえしていて、映像を見ていても大丈夫なのかと不安になり何度見ても思わず見ているこっちも力を入れてしまう。
だが、昨夜からアップされた高崎さんが受けた聖地巡礼を兼ねたインタビュー動画は驚異的な伸びを示している。
その理由は、
『ふあぁ、ここが1話の冒頭の場所、俗にいう再会の坂道です。この時のあすみは再会の嬉しさを素直に言葉に出来なくて、意地を張っちゃって2人がすれ違うきっかけを作ってしまうんですよね。もうほんとに困ったちゃんなんですが、でもそこが可愛くて、何とかしようと頑張る彼女の姿を演じている私が伝えていかないとと思って……あっ、あの、ご、ごめんなさい。1人で盛り上がってし、しまって、ううっ……次に巡るのはどこでしょう? ……えっ、落ち込んだ公園! あそこはまた見どころが!』
ひとたび聖地に足を踏み入れれば目を輝かせて、あすみの心情と演じるうえで気を付けた点をまくしたてるように話し始める。
メイクのせいか、動画内の彼女はいつもより、目元と口元が目立ち少しだけドキッとする。
時折つっかえたり、噛んでしまったりしていたが、それは誰が見ても緊張感からで、彼女の姿勢に称賛のコメントが寄せられていた。
あすみを語る場面は饒舌になり、その後恥ずかしさが溢れ出すが、またあすみの話題になると途端にスイッチが入る。
そのギャップがなんとも言えない。思わず顔ほころばせながらみてしまう。
自然な笑顔とファンが見ればわかる作品愛とキャラ愛が詰まった言葉の数々はやはり心をグッと掴まれてしまうんだ。
その書き込みを読んで、俺は自分のことのようにほっとしたし、頑張っていた彼女を見て勇気をもらった気さえしていた。
「よかった、夢じゃなかったか……」
PC前の椅子にもたれるように座って動画内の高崎さんに拍手を送り下へと降りていく。
思えばここ数日は不安と心配でいっぱいだったことに気づく。
現地で見ていた限り成功といえたが、どう編集されるのか気が気ではなく高崎さん同様落ち着かない毎日を過ごしていた。
「あれ?」
珍しく陽菜の姿が台所にない。
昨日も部活で遅かったし、たまには寝坊もいいだろと思いゴミ捨てを片付ける。
冷蔵庫の中をのぞき、下ごしらえからある程度の朝食お弁当のあたりを付け、出来る限りの用意を始めた。
少ししてから階段をドタバタと降りてくる音が聞こえる。
「うわあ、寝坊しちゃった……」
「はよう」
「……はよう……お兄ちゃんに先を越されるとは……ごめん」
「いや謝ることでもないぞ。徹夜でもしたのか?」
バツの悪そうな妹の顔を見るのは初めてで少し新鮮に写る。
なんだか、いつもより目が腫れているような気がしてつい聞いてしまった。
「まさか、ちょっと眠れなかっただけ……先にシャワー浴びてくる」
自分の頬を軽く叩きながら浴室に向かう妹。
その後ろ姿がなんとなく元気がないように見えてしまう。
「あ、あのなあ……」
「んっ、平気だよ。なんか最近のお兄ちゃんは妙に人の心配をするなあ」
思わず声を掛けようとした。
だが、振り返った陽菜の完璧な笑みに言葉が呑み込まれてしまう。
その後は普段と変わらない様子だった。
だから安心しきってしまい、話を無理に聞かずに今日も2人で家を出る。
☆☆☆
高崎さんとのノートのやり取りは以前よりも頻繁に行っていた。
朝渡せば放課後には持ち帰ることが多くなり、その文面もより砕けてきたように思う。
インタビュー後のノートには緊張したことと、あの日のことを思い出して自分なりに精一杯頑張ったことが記されていた。
それを読んで俺はますます彼女を応援したくなる。
「つ、疲れた……」
「ほんとよく頑張ってたよ。動画の伸びも凄いじゃん」
「ううっ……す、少しでも、りそヒロを、あすみを見るきっかけになってくれれば……う、嬉しいよね」
「そうだね」
朝の教室での二人だけの時間。
最近は俺が教室に来た時には彼女は毎回着席し、ノートを見ていたり本を読んでいたりしている。
あれから高崎さんはこの状況下ではぎこちなくも話をしてくれることが多くなった。
より意思疎通が可能になったと言っていいのかもしれない。
「……」
「な、なに?」
「そ、その……」
だが同時に、前よりも喜怒哀楽もわかりやすくなった気もする。
何気ない話ですらむっとした顔をされることも増えて、何が気に障ったのかもわからない。
そうかと思えば、以前にも増して笑顔も増えた。
何度か顔を上げては下げてを繰り返し、ぎゅっと両手を握った彼女は、
「今度、おさサイとのコラボイベントがあるんだけど、わ、わたしまた頑張ってみようと思って」
「コラボイベント……」
おさサイ、か。
同じ学園ラブコメジャンルのアニメだし、両方の人気を考えれば相乗効果を期待し企画されてもおかしくはないな。
メインヒロイン同士なら、駒形ことは……さんか。
「あ、あの……」
「ああ、うん。頑張って! 俺も応援するよ」
「っ! は、はいっ」
俺の言葉を聞いて途端に機嫌を良くしたのか、高崎さんは魅力的な笑顔を作った。
放課後になり彼女からノートを受け取ると、今日は真っ直ぐに家には帰らずに神崎結奈のインタビュー記事が載っているアニメ雑誌を手に入れるために書店へと向かう。
そういうものを買うのは初めてのことだったが、最初の1軒目と2軒目では品切れになっていて、少し離れた3軒目の書店でようやく1冊だけ見つけることが出来た。
数軒のはしごで手に入れられただけでも運がいいらしい。
あすみアプリでも購入可能だったが、現在は品切れになっていた。
りそヒロの掲示板を確認すると、早くも品切れになっているお店が多く、作品の人気と神崎結奈の人気が高いことが改めて窺える。
昨夜から配信された動画を見て、購入を決断したファンも多いのだろう。
すっかり暗くなってしまった。
はやく中身を確認したい衝動を抑えながら少しは早歩きしながら帰宅する。
「あれ……?」
今朝、陽菜が鍵を閉めているのを確認したが、なぜか玄関のかぎが開いていた。
まさか泥棒じゃないだろうなと思いながら、ゆっくりと音を立てずに室内へと入る。
「ううっ……うううっ……」
暗闇の室内で微かな声が聞こえ、手をスイッチに伸ばし灯りを付けた。
「っ!?」
「お、お前……ど、どうしたんだよ?」
はっとして顔を上げた妹の瞳には涙が溜まり、それは頬を伝って落ちていて……その勢いは衰えることがないようにさえ思えた。




