良いのか悪いのか
俺達は高崎さんのマネージャーである冨田知子さんの運転する車へと乗り込んだ。
赤いスポーツカーはそのまま、軽快な運転で聖地から遠ざかっていく。
助かったのは確かなんだけど、それは、この高崎さんとの聖地巡りの終わりも意味している。
少し名残り惜しい気がしないでもない。
それにどこか、締まらない終わり方にもなってしまった事も残念な気さえした。
「はぁ……」
「あっ、うう……」
自分の頼りなさ加減に大きく息をつくと、同じ後部座席に座っている隣の高崎さんから小さな呻き声が聞こえる。
高崎さんは酔いやすいのか、乗ってからずっと真っ直ぐ正面を見ていて体を強張らせていた。
何かじとっとした目で、運転する冨田さんを時折ねめつけているようにも見えるが気のせいか?
「広瀬君の判断は正解だよ。みんながみんな君みたいにマナー良くて純粋に応援しているファンじゃないからね」
「どうも……てか、タイミング良すぎじゃないですか? もしかして見張ってた?」
「まさか……わたしはただレッスンに遅れないように神崎さんを迎えに来ただけだよ」
「レッスン……?」
聞けば高崎さんは事務所に所属してから土日は養成所のレッスンを受けているらしい。
親し気に話す俺たち2人に少し驚いている高崎さんは前を見ながらも、時折俺や富田さんに視線を向けた。
その目は訝しげに俺には映る。
「ああ……ほら広瀬君イベントでちょっと目立ったからこの前少しお礼をね」
「そう、ですか……」
「ふっ……」
「……」
その上手いこと説明しただろう的な目でこっちを見ないで欲しい。
どうやらこの人、俺にコンタクト取った事を高崎さんには何も言ってなかったようだ。
富田さんから視線を外すと隣の高崎さんと目が合ってしまう。
いつも机を並べているくらいの距離だが、車内という狭い空間では、その息遣いまでも聴こえてきてしまいそう。いや、現にいい匂いがして意識を持っていかれそうになる。
何考えてるんだ、俺は?!
ちょっと安心してしまって気が抜けてしまったかな。
「い、いい車ですね」
「そう? 気に入ったのなら、いつでもドライブに連れて行ってあげるわよ」
何気ない会話をしつつ、体を窓側へと押しやる。
ルームミラー越しに富田さんと視線がぶつかると、彼女は吹き出しそうになった。
な、なんだよ?
それから車が停止するまではなんとも言えない重苦しい空気だった。
俺は窓側に身を預け、やたら体を縮こまらせていて、その様子を富田さんはにやつきながら見守り……高崎さんはというと、何か言いたそうにこっちを見ては俯きを繰り返していた。
そして高崎さんがドアを開け車から降りる。
なかなかドアが閉まらないので、そちらを見ると両手を握りしめ今にも震えだしそうな彼女と再び目が合う。
「あ、あの……」
「えっ、あっ、うん……」
「きょ、今日はありがとうございましゅた」
「こ、こっちこそ楽しかった」
高崎さんは少し噛みながらもお礼を口にする。
それは彼女のせいいっぱいで、勇気とも思えた。
聖地でなく、りそヒロやあすみ以外のことでこうして対面してきちんと言葉を掛けてくれるのはもしかしてこれが初めてかもしれない。
ぺこりと頭を下げて、そのままレッスン場へと駆けていく。
俺はその一瞬魅せた笑顔に見惚れてしまっていた。
富田さんはその一連の様子をからかうように見ていて、
「へえ……」
と、感嘆したように口元が緩んだ。
「それじゃあ俺もここで……」
「待ちなさいって。まだお姉さんは話が終わってないんだなあ」
手首をガシッと掴まれて彼女は俺が降りるのを妨げる。
「なんですか……?」
「送ってってあげるから。オファーの件、まだ言ってないんでしょ? その辺配慮してあげたんだけどな……」
「ううっ……わかりましたよ」
「……」
富田さんは一度時計を見やり、再び車を走らせる。
その行為が、その真剣な顔が少しだけ引っかかった。
「デートはどうだったの?」
「いや、デートじゃないですってば……たぶん高崎さんなら次のインタビューを兼ねた仕事もきっと大丈夫だと思います」
「君はほんとにスペック高いな……それならわたしは何にも言わないけどね……」
「それにしてはなんか言いたそうな顔なんですけど……」
「あはは……やっぱり君には結奈ちゃんとの傍に居てほしいなと思っているだけだよ」
「別に、俺が傍にいなくても高崎さんなら……」
「大丈夫……? ほんとにそう思ってる?」
どうもこの人は苦手だ。
年上ということもあるかもしれないが、色々見透かされているように感じてしまって調子が狂う。
「お、思ってますよ」
「そう? 結奈ちゃんにとって君は特別なんだよ」
「特別? 同じくらいあすみたんが好きなだけですよ」
「それもあるだろうけどね。マネージャーの件はともかく、これからも結奈ちゃんのことよろしくね」
改まって言うことではない気がする。
話は終わりなのか、富田さんは笑顔のまま口を噤んでしまう。
少し空気が重くなった気がして、このまま喋らないのはなんとなく避けたい気がして、
「あの、送り迎え、毎回ですか?」
気になっていたことを尋ねてみる。
「……やっぱり君、鋭いね。スカウトしたことを誇りにさえ思うよ」
結局俺の質問にきちんと答える前に車は自宅付近に到着。
「どうもありがとうございました」
「あっ、そうだ。名刺にメアドは書いてあったけど、番号も教えておくね。決断した時や何か相談ごとがあればお姉さんに連絡してきなさいね」
今思い出したように、彼女はよく通る不快のない声と笑みを浮かべた。
車内でこれといった話はしていないので、それが目的だったんじゃと勘ぐりもしてしまう。
その申し出を断る理由もなく、俺は家族以外で初めて年上の人の番号を登録した。




