公開収録
週末、俺は都内某所の劇場前を行ったり来たりしていた。
そこには、ぞろぞろと人だかりが出来ていて、列を作り並び始めている。
この前のイベントよりも入れる人数が多いようだ。
ウェブラジオ収録は劇場型ホールにて行われるらしい。
あすみアプリをダウンロードした人限定で参加資格があり、抽選だったためダメもとで応募したら翌日には当選通知が届いた。
りそヒロのラジオ収録イベントだろうと少し前までは興味などなかったが、今は違う。
「神崎さん、マジでかわいいから」
「あれは天使だからな。楽しみだぜ」
それも、第一回の記念すべきゲストが神崎結奈となっていたから気になるというかほんの少し心配になっていた。
そのことが応募理由じゃないと言ったら完全な嘘だな。
と言っても、高崎さんとの関係は相変わらずだった。
昨日もやたらそわそわとしていて、しきりに話しかけようとしていたが、俺はそのことに気づかないふりをする始末。
何とか改善したいとは思ってはいるものの、相変わらず俺は彼女から逃げていた。
にもかかわらず、こんなところにも来てしまうなんて、何やってるんだろうな……
完全に気持ちと行動が矛盾している。
腕組みをしながら周辺をうろつき、コンビニに入り一度飲み物を買う。
時刻は12時半。
そろそろ開場される時間だ。
「……そ、そうだ、会場限定グッズ。そうだ、そうだ。目的はそれさ」
半ば強引に気持ちをそこに持っていき、開場されすっかり人が減ったホール前を進む。
スマホの当選通知画面を見せて、りそヒロの小冊子とあすみたんグッズが入った袋を貰い会場へ。
すでに大半の席が埋まっていて、後ろの右側しか開いていなかった。
前の席から詰めていく形式だったようだ。
あと数分ほどで開演だったこともあり、荷物だけおいてグッズ売り場へと向かおうとしたところで、
「君、こんなところで何してるの? 関係者は前の席に座るんだよ」
「へっ……? あっ、いや、俺、違うんです」
前回のイベントでの勘違いが未だ継続中のようで、それを正すことが出来ずに関係者の人にグイグイと前に引っ張られて行ってしまう。
一番前の席は左側だけが綺麗に空いていて、周りは全然知らないけれどみんな関係者なのだろう。
場違い感が半端ないが、そこに座れと圧が半端じゃない。
周りを気にしている人はいないし、1人くらいファンが座っていても気づかれることはなさそうだが、いや、これ楽しめねえ!
はやくも想定外だが、今は開演前にグッズ売り場へ向かうのが先決か。
ラジオ放送記念Tシャツや限定グッズの数々にテンションが上がり、お財布には大変厳しいがせっかくだからと全部買ってしまう。中でも記念Tシャツがあすみたんのちびキャラが可愛くてすぐにでも着用したくなる。
席に戻ると館内は消灯し、りそヒロのテーマソングが流れだした。
変に騒ぎ出すファンの人もなく、みな視線は舞台に向いているのだろう。
その場にスポットライトが当たり、神崎さんとMCの女性声優さんが登場。拍手が沸く瞬間だ。
「り、りそヒロのweb公開収録にご参加くださってありがとうございます。こ、黒糖あすみ役の神崎結奈です……へっ?」
高崎さん、いや神崎さんの姿を視界にとらえただけで鼓動が増す。
彼女がいるちょうど正面、左端の前の席にぽつりと俺が座っていることに気づかれた。
こんなところにいてすまないという気持ちだけはあって、口元を引くつかせながら、手を小さく上げるしかない。
視線を逸らしたいけどさすがに逸らせない。本番なんだ。そんな些細なことで失敗などさせたくなかった。
逃げたいという想いと、やたら緊張している様子を察していらぬ心配をしてしまう。
席も席なこともあり、こっちの方もやたらと冷や汗が出るけど。
「どうしたの、結奈ちゃん?」
「い、いえ……」
「結奈ちゃんはこれが公のイベント参加は2回目です。なんか、この前のイベントやたらと評判良かったって聞いたよ」
「そ、そんなこと、ないです」
「またまた謙遜しちゃって……あれれ、結奈ちゃん怪我それ?」
「た、大したことはないんです。ちょっと体育で」
舞台上ではトークが始まった。
高崎さんの指はまだテーピングがされている。それをみるだけでなんだか申し訳ない。
予定表に目を落とすと、定番ともいえる質問コーナーとまたここでもアドリブが必要なものが用意されている。
あすみアプリの新機能追加と、1期の今までの放送の中で印象に残っている話。
先日のアニメのあすみシーンに言及し、会場にいる人の心をがっつりとつかむ。
絶妙の間と時折あすみたんの台詞を混ぜ、喜怒哀楽の表情を随所に表面化して盛り上げていく。
俺の微かな心配をよそに、高崎さんは軽快なトークを繰り広げた。
気になることを言えば、あすみアプリの説明をし終えたのに、スマホをそのままお守りのように握りしめている点。
「それじゃあそろそろ会場の皆さんにも参加してもらいましょうか?」
ほんの一瞬、MCの人が不敵な笑みを浮かべた気がした。
近場にいるから、高崎さんの顔が引きつったのも見えてしまう。
神崎結奈が質問に答えてくれるということで、振り返れば会場の半数以上が手を挙げていた。
あすみの台詞を言ってくれ……くらいにしておけ、という俺の願いは虚しく、後ろの方からは、
『神崎さんいつも応援してます……あの、原作には描かれていない部分なんですけど、あすみってしゅう君以外の男性からも好かれているじゃないですか……で、何人かの人からの告りを断ったような描写があるんですけど、どんなふうな言い回しをしたと思いますか? 出来れば台詞でお願いします』
それは女子らしい質問で、難度の高いものだった。
「……」
高崎さんは顔を青ざめて沈黙する。
思わずスマホを握りしめていた俺は、メッセージを打とうかどうか悩み、画面に指が揺れた。
♪♪~~
だが俺が悩んでいるうちに、高崎さんのスマホから通知音がして彼女は視線を落とした。
「ちょっと待ってくださいね。結奈ちゃんがあすみに聞いていますから」
なんだ? 何か流れが引っかかる。
MCの人が慌ててないことに違和感が……
ていうか、誰かがメッセを送ってきたのか。教室で何回かスマホ見てたのはこの練習か?
よかった。出しゃばらなくてほんとよかった。
「……告白されても付き合わないわよ」
(えっ……?)
会場中がシーンとなり、
「あ、ありがとうございました……」
質問した女性のぽかーんとして声が聞こえる。
高崎さんは発言してからその失敗に気が付き、体を震わせ下を向いてしまう。
会場の空気が一気に冷める。少し離れて座る関係者席もざわつき始める。
そしてその空気をさらに凍らせるように、MCの人が告げた。
「このラジオ番組どうやらライブ中継されているみたいで、ネットで閲覧できるみたいなんです。ちょっと見てみましょうか?」
動画サイトにアクセスしてみると、たしかにライブ配信されていた。
そしてリアルタイムでコメントも書き込みできるようになっている。
そこには今しがたの高崎さんが発した台詞を非難するものが多く見受けられる。
「ちょっ、まって、批判コメント多すぎ。ダメ、みんな結奈ちゃんをいじめないで」
「……」
高崎さんはというと、自分の失態に気が付き固まってしまっていて、もはや質問を答えられる状態ではなかった。
俺が気になったのは、MCの人の勝ち誇ったような憎たらしい笑顔。
彼女も有名な声優さんだと思うが、あいにく俺は声優さんについてはまだ勉強中で名前もうろ覚えだ。
才能のある後輩にお灸をすえるとか、出る杭は早めに打っておくとかそんな感じだろうか。
それを否定するほど俺も人間出来ていないが、高崎さんがどれだけ頑張ってこの場にいるかは普段を知っているからこそ容易に想像できる。
だからこそ、異様に腹が立ったのは確かだった。
ちんたらと考えている時間はない。好転させるのなら今しかない……
皮肉にもそのことが俺のちっぽけな悩みを解消させる。
スマホを見つめたのはほんの一瞬で思い直す。
それよりも手早く伝える方法を俺は手にしていた。
もはや彼女を避けるとか、恐怖なんかよりも全く別の感情が俺を支配する。
(みてろよ!)
気が付くと鞄からノートを引っ張り出し、これまでで一番大きな字でメッセージを書き込んでいた。




