怖くて震えて
数日が経過しても、未だノートには手を付けられず。
高崎さんは、日を追うごとに調子を崩して行った。
顔を伏せる時間が増え、俺に見せてくれていた明るさや魅力的な表情も影を潜める。
それがノートを渡せなくなったことと関係があるのかはわからなかった。
しきりにスマホを見る回数が増え、誰かとやり取りを始めたらしいことだけはなんとなくわかり……
それは仕事関係なのか、スマホを覗き込むたびになぜだか肩を落とす回数も増す。
「あっ、うっ……」
「……」
「……」
2人きりになった時や周りに人があまりいないとき、彼女は意を決し何かを話そうと試みるけど、目が合うと何かを察したように彼女からも目を逸らし、結局お互いに口を噤む。
そんな彼女を見るたび、仕事は大丈夫なのかといらぬ心配だけはして、何とかしようと思うんだけど行動までには結びつかず、歯がゆくも時間は過ぎて行く。
あれほど楽しかった時間が嘘みたいで、信じられない気持ちだった。
それどころか、あすみたんともここ数日はまともに話をしていなくて、クラスメイトにまで心配され始めてもいた。
俺の方は調子を崩しっぱなしだったが……
彼女の頑張る姿を見せられたのは、週末が近づいてきた時だった。
ここ数日の様子が嘘のように、高崎さんは少しずつ調子を取り戻してきたように思う。というより、なんだか前よりも頑張っているように俺には映った。
隣の席でやたら切羽詰まった顔をしては、メモ帳を開いてしきりに右往左往してじっと見られている気がする。
たぶん話しかけてくれようとしていたのかもしれなくて、そう思うと心が痛い。
その上でそれが出来ずがっくりと肩を落とし、なんだか空回りしているようにも感じるが、それは以前の素の面をわずかでも見せていた彼女が戻ってきた証拠でもあるのかもしれなくて……なんだか心に響く。
(ごめん……)
と、心の中でだけ謝る。
何も変わらない俺は悔しさにも似た気持ちが沸いてきた。
授業ではきちんと予習はやってきたようだ。
それでも、途中で一度つかえてしまうと上がってしまうのか、沈黙してはクラス中の視線を浴びる結果となって自爆し、教師がすかさずフォローする。
席に腰掛けると、やたら唇を噛んで悔しさを露にしていた。
横目でそれを見せられると、こっちまでやるせなくなって知らぬ間に両の手を握りしめる。
そして迎えた体育の授業――
男子はサッカー、女子はバレーボールが行われている。
あまり動き回らずに適度にサボっていると、同じようなクラスメイトの目線が行っているのは、女子の方であり、その中にやたらと頑張っている高崎さんの姿があった。
トスもアタックもこなし、コート上を動き回るその様子は容姿も混じってか絵になる。
運動神経も良いんだな。
この距離なら視線が重なることもないと思い、立ち止まって視線をそっちに向けた。
「おっ、広瀬よぉ、女子の体操着に興味がおありか?」
「いや、そんなこともないんだけどな……」
「隠すな、隠すな、広瀬は高崎さんだべ」
「ち、ちげえよ!」
高崎さんの名前が出た途端に、なぜか否定してしまう自分に戸惑ってしまう。
「調子は戻ったのか?」
「いや、まだそのなんていうか……」
「ふっ、よく体育の授業は目立ってるぜ、彼女。今日はいつも以上になんか一生懸命な気もするけどよう」
「たしかにやたらと頑張っている気はするが……って、いつも見てんの?」
「そりゃあお前、目の保養になるべ」
「……」
「なんだ、その顔は?」
「うっ……違うんだ。これはなんというか……」
「あっ、ばか、前見てろ!」
言い訳をひねり出そうとした俺に友人が注意を促すが、時すでに遅し。
視界が突如陰ったとおもったら、ものの見事に顔面にボールが直撃し、星が見えた気がした。
小学生以来の鼻血を出してしまいそのまま俺は保健室へ。
先生が不在で、大した治療でもないとティッシュを鼻の外に当て出てくる血を自ら抑える。
このままじゃいけないとずっと思っていた。
でも、わかってはいても金縛りにあったように体は動いてくれない。
そのまま椅子に座りこんで考え込んで、止血できたかなと時間が過ぎた時、窓から欠伸をしてこちらを見ている野良猫が目に入った。
そいつは人懐っこいやつで、最近も朝の登校時に触れさせてくれた猫で……
そっと窓を開け外に出ると、近づいてきた。
やたらと無防備なそいつを撫でていると、保健室のドアが開く。
てっきり養護の先生かと思ったら高崎さんで思わず隠れるみたいにしゃがみ込んでしまう。
「はあ、ポンコツだなあ、私って……」
誰もいないと思ったのか、ぽつりと彼女が言葉を漏らした。
窓の外から中をうかがうと、どうやら突き指をしたようで自分でぎこちなくではあるが手当をしている。
出る幕はないと、鉢合わせても余計に気まずくなりそうで、そのまま授業に戻ろうとしたのだが、
「……傷つけちゃったのかな? 何がいけなかったのかな……?」
(……えっ!)
その言葉に動きを止められる。俺のことを言っているのかはわからない。
それは全く別のことだったのかもしれない。
下を向いて悲哀に満ちたその顔を目にすると、やたらと胸が痛くなる。
その状態で、なんであそこまで頑張れるんだよ!
ノートは翌日に書くなんて決まりごとはなかったはずだ。ちょっと時間を貰っているだけなのに……
そんな顔なんてしなくていいのに、させたくないのに……
高崎さんのせいじゃないよと出て行って気楽に言いたい。
その気持ちはあるのに、それでも怖くて震えて隠れたままの自分が本当に嫌いだ。
このままじゃダメなことだけは真に理解する。
壁に体を預けながら、何とかできないか必死に考えを巡らせた。




