苦手意識
登校すると、下駄箱にそれは入れられていた。
一瞬ドキリとしながらも辺りを見回し、さっと鞄の中にしまい込むとそのまま図書室へと向かう。
早朝からは人がいないだろうという考えからだった。
それは案の定で、まだ生徒は誰もいなかった。
奥の席に腰掛け高崎さんのノートに目を通す。
褒めてくれてありがとう。
な、なんか恥ずかしいな、あはは。
でも、なんかいつもと違う気がして……
勘違いだったらごめんね。
広瀬君に認めてもらってる。あすみ役としてふさわしいと思ってもらえてるのは、嬉しいよ、嬉しいんだけど……いつもの広瀬君ならもっと神崎結奈のことだけじゃなく、あすみたんのことを褒めちぎる気がしてたから……
そこまでは、昨日書いた内容がいつもと違って俺らしくない。
あすみのことを前面に出して書くはず、普段とは違うから心配になったという内容だった。
確かに言われてみればそうだなと納得がいき、じゃあ今日はその辺を書こうかと思ったのだが。
そのあとの記されていた内容が予想外のことだった。
なんか昨日書いたものがフリみたいになっちゃってたかな?
私のことを褒めてほしいとかそんなつもりじゃなかったの。
そう続いていて、それは思い出したくない言葉と偶然にも似通っていて――
思わず胸を押さえていた。
すぐに返事を書こうかとして、手に持っていたペンが小刻みに震えだす。
私たちがだいすきなあすみたんの最高のシーンだったのに、自分のことしかで嬉しいけど心配になった。
グッズのことについても触れてなくて、怒ってないけど心配している。
このノートにはりそヒロやあすみのこと以外にも書いて大丈夫……
ラストには猫のイラストが描かれ、大丈夫ニャン? と締められていた。
そんな優しい言葉がつづられ、自分のことを心配してくれているというのはわかったし、伝ってきた。
だが後の言葉よりもノート内に浮かぶ、
勘違いさせちゃっていたらごめんね。
そんなつもりじゃなかった。
そちらの方に否が応でも目が行ってしまい、過去を思い出す。
幼馴染が口にした言葉が、鮮明に蘇ってしまった。
「やばい……」
初めて高崎さんに苦手意識が芽生えてしまったことを理解する。
それはほんのした小さなことからだったのかもしれない。
引き金になってしまったのはあの掲示板のコメントだったのかもしれない。
よく使う言葉に俺が過剰に反応してしまったからかもしれない。
でも、最初に声を掛けた時には、割り切れたその気持ちなのに。
今はあのステージ上の神崎さんの、教室で時折魅せてくれる高崎さんのドキッとする笑顔が浮かんでしまって、意識しないことは出来そうになかった。
皮肉にもノートに書かれた彼女の思いやり、優しさの一言が異性ということをはっきりと意識付けしてしまい、その言葉が俺に過去のトラウマを芽生えさせる。
自分が思っていた以上に俺は異性が苦手で、関わることすら怖いのだと自覚した。
たとえ恋愛感情がなくても、またどこかで失敗して傷つくのが怖いんだ。
もうあんな思いしたくないんだって気持ちなのだろう。
でも、でも高崎さんは――
彼女はそれでも特別だという思いもある。
そうじゃなければここ最近の出来事が嘘になってしまう。
頭ではわかっていても指が動いてくれず、ノートには何も書けずに図書室を後にする。
何だか足取りもおぼつかず、廊下を歩き教室に戻る途中、小柄な美少女が階段から降りてきた。
「最近橋本君、妙に香織に話しかけてくるじゃん」
「もう、すぐそういうこという! そんなんじゃないってば……」
途中で気づいてさえいれば、廊下を引き返すかやり過ごすかできただろう。
「あっ……」
「……」
彼女ははっとした顔でその勝気な黒い瞳を大きくさせ、目が合った瞬間、お互いに目を逸らす。
楽しそうに友達と話していた会話も突然止まった。
それは俺がこの学校でもっとも遭遇したくない女の子。
幼馴染である桐生香織だった。
同じ高校に通っていることは、親同士の仲が良いこともあり知らされてはいた。
「香織、どうかしたの?」
「えっ……うぅん、なんでもないよ、早く行こっ!」
「ちょ、押さないでよ……」
視界にとらえた瞬間に体が強張る。
『……そんなつもりなかったんだけどなあ……ごめんね』
1年前にフラれた時の言葉がそれだった。
何とも言えない息苦しさを覚え、顔を伏せながら俺の方も足早に通り過ぎる。
勘違いしたのは俺で、香織が悪いわけではない。
だがあれ以来、会うことはもちろん口を利いたこともなかった。
教室前で立ち止まると情けないことに膝が震えていることに気が付く。
ちらりと後ろを振り向き、そこに誰もいないとわかりどれだけ安心したかわからない。
隣の席には高崎さんがいて、心配そうな目で見つめている。
今はまともに見られず、俺はその視線を避けてしまう。
それが始まりのように、一度避け始めてしまうと元には戻らず、やり取りする前よりもさらに距離を置こうとしてしまっている自分がいた。
嫌悪感を抱きながらも、本能がそうさせるように、この日高崎さんと目を合わせることはなかった。
自己防衛といえば聞こえはいいが、実際は先日の高崎さん同様に俺が彼女を無視したような形だ。
本当に申し訳なくて、でもどうしようも出来なくて。
そんな俺を見て、彼女の方は視線をあたふたと彷徨わせ、物思いにふけているような時間が増えた気もする。
その顔は俺以上に、やたら深刻そうにしていたりでさらにそれがグサッと突き刺さる。
「高崎」
「……」
「このクラスに高崎はいないのか?」
「……」
普段は授業で当てられたとしても、完璧な解答を用意している高崎さんだったが、今は当てられたことにすら気づかず、立ち上がるのも遅く教師に対してすら会話を拒否する始末。
俺はそんな高崎さんとどう接していたかもわからなくなってしまい、いっそ関わらない方が迷惑を掛けなくていいかとも思ってしまう。
結局放課後を迎えても、ノートには一文字も書けなかった。




