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 白かった世界の景色から切り離され、いきなり頭上に感じる青々と茂る木々の葉から漏れる木漏れ日に優しい暖かさを全身に感じる。

 優しくそよぐ風が、目の前にある澄み切った泉の水面を渡り風紋を響かせる。

 遠くから、姿の見えない鳥らしき生き物の鳴き声。他に音は聞こえず、自分の呼吸が耳に響く程の静けさの中、転移した事を理解した私は叫んだ。



「早いよ神様ー!流石にもっと情報欲しいってー!」



 自分自身で泉のある森の中にと移動先を希望したけど、不安で仕方ない。



「ここどこ……」



 不安感から愚痴が口をついて出そうになるけど、神様の世界で生きる事を了承したのは自分だから、これ以上文句は言えないなと思い口をつぐんだ。



「そういえば、家を希望した……」



 神様にお願いした内容を思い出しきょろきょろと自分の周りを確認すれば、目の前には底が見えるほど澄んだ大きな泉がある。泉の縁は少し段差があるから、水を汲むにはうまく体を前のめりにして近づかないと服が汚れそうだ。


 その時、初めて自分の恰好に気が付く。

 白の長袖のブラウスと、大きく腕周りと胸ぐりが開いた茶色のベスト。そして脛まである長いスカートに、足首までの皮素材らしき靴。

 文明レベルが分からないけど、少なくとも腰蓑レベルでは無いらしい事に安堵する。

 もし原始時代的なレベルの世界だったら確実に泣いていたかもしれないけど、ブーツのような靴まであるってありがたいなと感謝する。


 視線を上げて泉の周りの森を見れば、鬱蒼としている割にこの辺りは拓けているらしい。

 広葉樹も針葉樹も見えるし、神様に「苺とか欲しい!」と言ってあるから、何か口にできる物は手に入るだろう。


 泉を背に振り返ると、少し離れた所に小さな家がある。

 ……あれは家?……小屋にも見えるけど神様が用意してくれたのだろうか。

 思ったより小さく感じるが、人気のない森の中に家があるとするならそこまで大きくない方が自然だろうし、後々誰かから「なぜこんな場所に立派な家がある」と突っ込まれてもなんて説明すればいいのか分からないし、こんなものなのかなと思い直す。



「家の中を見てみるか……」



 太陽は輝いているけど今は何時くらいで、近くの町まではどのくらい離れているんだろう。湧き出る不安に蓋をして、勇気づけるようにわざと声に出して呟き、私はその場から家に向かって歩き出した。





「お邪魔しまーす……」



 誰もいないとは思うけど、一応声をかけながら玄関らしきドアを開く。

 木でできた、あばら家、もとい、小屋。じゃなかった、家の中は、入ってすぐに大きな一間になっている。ぱっと見は、台所兼居間のような部屋かな。

 中央には少し古ぼけた大きな木のテーブルに、椅子が一脚。

 私が立っている出入口の扉沿いの左壁には小さなかまどがひとつあり、そのかまどの上には押し上げ式の窓があって、きっとそこからかまどの火の煙を出すのだろう。


 別の壁には棚がふたつあり、恐々と手を伸ばして物色させてもらうと小さな鍋や木製の食器が幾つか見つけられた。他にもお玉のような大きな金物、ヘラなど、料理が出来そうな小物が揃っている。食器棚かと思い更に漁れば、下の部分には料理用刃物らしきものなのか、ナイフと鉈そして斧が見つかった。


 食器棚のある壁の向かい合わせの壁にはもう一つの棚があり、畳まれた布や皮や、皮紐に縄、釘に鋏にトンカチと大工道具のような物と、他には大小さまざまな布袋や皮袋等が生活用品として仕舞われていた。



 木こりの小屋のような大工の小屋のような、小さな家の室内の中、玄関扉の真正面となる壁にはもう一つ扉があった。もうひと部屋あるようだ。良かった。

 きっとその部屋は私の望む部屋だろうと半ば確信して扉を開けたが、その部屋の中にはベッドと、その上に簡単に畳まれた毛布らしき布二枚。そして木製のクローゼットしかなく、私は膝から崩れ落ちて絞り出すように呟いた。


 いや、確かにベッドも必要なんですが、神様、不肖この私、清潔好きな日本人なんです。

 例え寝ゲロに埋もれて死んだとしても、本来は奇麗好きなんです。

 だから、言わせてください。これだけは、言わせてください。



「神様……トイレとお風呂はどこですか……」






 前世で社会人となって一人暮らしを始める時に、幾つかの物件をネットで見たり実際に見に行ったりしたけど、台所とお風呂場とトイレはおろか、ありとあらゆる備え付けの棚を開き、ベランダも確認、ゴミ捨て場も洗濯機置き場も、配電盤や電源の位置も私は確認している。


 なんなら旅行の際にビジネスホテルに泊まる時だって、中身のない冷蔵庫を開け、備え付けデスクの引き出しを開け、風呂場や洗面所を真っ先にチェックするタイプだ。

 飾られている絵の裏の壁を見る事だけは、絶対にしないが。


 もとい。

 色々とチェックする癖が付いたのは、勿論当時は初めての一人暮らしにワクワクしていたのもあるけど、以前姉が一人暮らしをした時に一度だけ変なオーナーに引っかかってしまった経緯で退去時に余分な気苦労をせざるを得ない経験をしたからだ。


 親に頼らず一人で準備した一人暮らし。

 今思えば親孝行の形でもっと頼ってあげるべきだったのかとも思うけど、代わりに私は知識と経験を得た。

 一人暮らしをしたからこそ分かる事も、知った事もある。

 有効に使えるかは分からないけど、現代日本を生きて、時々は異世界生活を夢見た不肖夢見る会社員。そんな私の観点からすると、もうこれはブラック物件。人が生きてた、死んでたというような曰く以前に、生活できるんか、これ?と契約自体しないだろう。



「神様、この世界のトイレ事情どうなってますか……」



 げんなりしながらも、家の中にないのならば外かと、一度家の外に出てみる。

 泉は真正面。ならば水を汚さない為にも、もし汚物穴があるならば家の脇か裏かと探したが、家の脇にも裏にもトイレらしい穴はない。古き日本でいう肥溜め的な穴も見えない。

 然し、両手で抱えられそうな大きさのツボを家の裏で二つ見つけた。


 ひとつは空になっていて、陶器のような素材の普通のツボ。

 もうひとつも見た目は同じだが、こちらは木蓋をされており、その蓋はロープで外れぬように巻かれてある。



 開けるな、危険。


 最早そうとしか思えず、私は賢い子、開けたらダメ、絶対。と、空のツボだけを家のドアの前に移動させるだけにした。

 水汲み用のツボかと考えたけど屋外に置いてあったし、ちょっと飲み水汲むには怖い。洗えばイケるかもしれないけど、家の中にはお鍋もあったからそちらで飲み水や調理用のお水は汲めば良いと考え、このツボをどう使おうか考える。



 考える……が、私の頭の中はトイレが見当たらない事でいっぱいいっぱい。

 何の為用のツボなのか分からんが、最悪……私はこれを夜中のトイレに使うのかもしれないと項垂れた。

 昼間はまだ木陰で済ませられるかもしれないけど、夜に家の外出て用を足すだなんて無理。暗闇の中、夜の森の中でトイレとか怖くて絶対に無理。


 中世の頃は、それこそある方面なお国ではツボに用を足して捨てていたとも聞く。

 日本という色々な便利さが当たり前だった国に住んでいた、不肖この私。

 ちょっと、ガチで数日はサバイバル的な覚悟を決めないといけないかも、と考えを改める事にした。


 うーん、うーん、おかしいなぁ。

 なんかこのままだと神様が望んでるような『世界の感想』なんて、とてもじゃないが伝えられる気がしない。

 困りながら見つけたツボを持ってもう一度家の玄関前に移動し、辺りを見回しながら冷静に考える。


 寝物語で私が妄想したお話しでは、こんな場所で暮らしている女の所に、迷子になっただ、通りがかっただだと格好いい男が現れ、一緒に暮らしたり、大きな街に行ったりして恋仲になったり、冒険したりする。

 ま、まぁ、どれもこれも夢想しながら寝ちゃって未完で終わったお話しばかりだけどね!


 本当なら何日かここで暮らしてみて、いずれは村や街に行ってみたい気もするけど、近くの人里までの物理的な距離も気になるし、この世界の常識を何も知らない私がうろついて、不審者扱いされても嫌だしなと、心に不安が生まれる。



 うーん……やっぱり、近くの村や町を探しに移動するにしても今日じゃないな。

 少なくとも今夜はここに泊まって、明日の天気や起きた時間で移動するしないは考えよう。


 本当なら乙女ゲームさながらに、ここでしばらくゆっくり暮らしてから村や町に移動して、そして世界を巡ろうかとも思ったし、果物見つけてジャムとか女子力高そうなアイテム作って一人でキャッキャしたかったけど。


 やっぱりもっと生活レベルでの情報を神様に聞いておけば良かったと後悔しながら、とりあえずさっき見つけた布袋持って、神様に願った苺や他に食べられそうな物と、大きくて柔らかくて肌荒れしなそうな葉っぱを探しに出かけた。


 葉っぱは何に使うかっていったら、そりゃもう恥ずかしいけど必要不可欠で、出来ればその方法は取りたくないが、最悪の使い道をするしかない。

 大丈夫、トイレットペーパーが無い時代は、等しく人類皆、何かでお尻を拭いていたに違いないのだから。


 お風呂もそうだけど、トイレットペーパーの不安から始まる、不肖この私の異世界生活。

 もうヤダ、一度神様の所行ってぶん殴りたい。ううっ。






 泉の方角を確認しながらゆっくり森に入ると、泉から小川が流れている事に気が付いた。

 どこに続いているか分からないけれど、あの泉は水が淀んでいる訳じゃなさそうだ。

 底まで見える澄み切った水質に、もしかしたら湧き水なのかなと考えながら、飲み水や風呂水、汚水となった水をどこに捨てるか見当をつけておく。


 なんだろう、これ。なんだろうこの感覚。

 ああ、分かった気がする……これ、キャンプだぁー……。

 でもでも日本のキャンプ地ならトイレくらいはありそう。きっとトイレットペーパーもあるに違いないと鬱屈した気持ちになる。

 苺を探しながらも頭の中はシモの事ばかり。ああもう、こんな事なら、性別を男にしてもらうべきだったのかな。でもでも男の体でも結局は同じ事だし、一応長年お付き合いのあった女の体の方が仕組みは分かるし。

 そんなことを悶々と考えながら森に分け入り、何度も方向を確かめ進む内に、赤い実が付いてる細い木を見つけた。腰までの高さの木で、苺ほど大きくはないけれどそこそこ生えてる。


 ひとつ摘まんで食べてみたら、ちょっと甘いお味に果実特有の酸っぱさも感じる。

 一度認識すると他の場所にも自生しているのが簡単に見つかるようになって、ホイホイと喜びながら採取し、ついでに蔦のような植物を見つけ、その葉を取る。

 かぶれないかなー、痛くないかなー、臭くないかなー、と怖々触ったりつついたりしてみたけれど、今の所柔らかそうな葉はこれしか見つかっていなかったから、余分に取る。


 一度家に帰ろうかと足を戻しつつ、改めて今日この後はどうするべきか悩む。

 電気も水道もガスもないこの場所で、どう過ごそうか……――ん?ガス?


 ヤバい!火だ!薪を集めないと!


 唐突に気が付いたそれに、慌てて木の枝や燃えそうな物を探す。

 そうだ、もしこの森がすぐに抜けられるような小さな森であったとしても、とにかく町までどのくらいの距離なのかが分からないんだった。

 しかも、今が何時ごろなのか分からない。苺もどきと葉の採取に時間も取った。

 こうしている内にもどんどん夜は近くなる。ならば尚更火は必要!暗闇怖い!ご飯も炊けない!


 ……そうだ、ご飯!ご飯の代わりになる物を探さないと!

 流石に苺もどきだけじゃ腹は膨れない。獣、もしくは魚、ええと他には芋とか?


 獣!?

 そうだ、ここ森の中じゃないか。今まで何も考えずに森の中に入ってしまったけれど、攻撃的な獣とか毒虫とかもいたらどうしよう。何よりも神様は、魔物がいるって言っていた!弱い魔物も強い魔物もいるって言ってた!


 ふわぁぁ、と情けない声が出る。

 もう怖い。おうち帰りたい。

 怖さゆえ涙目になりながら来た道をたどりつつ、拾えそうな木の枝を脇に抱える。

 異世界転移して生き延びた、過去に読んだ物語の主人公の皆様、マジでマジで尊敬いたします。






 家に戻り、お鍋に水を汲み、苺もどきを洗って、家の裏手の少し離れた場所に木の枝と手を使って、なんとか穴を掘る。浅めな穴だけど無いよりかマシだろう。

 これは汚物用の穴。トイレの中身を捨てられるように作ったんだけど……うう、私こんな事やる為に異世界に転生したのだろうかと、ここでもちょびっと涙目になる。


 もう一度家の中に入り、寝室を漁るとベッドの下にタライを見つけた。

 ふぉぉぉ!これってきっとお風呂代わりだよね!?

 違ったとしてもお風呂代わりに使えそう。ここにお湯をためればタライ湯だ!


 そこからは、災害備蓄もかくやとばかりに、奇麗な水はあって困るものでもないと、泉とタライを何度も往復。


 タライに張った水に熱した石を入れれば、タライごと火にかけなくてもお湯になる。泉の周りには大きな岩や、その岩が割れて石になった物があったからそれらを拾う。

 次いで他にも食べられそうな物も探したけれど、食料は苺もどきの他、何も見つからず……。多分私の探し方が悪いんだろうけど。

 泉に小魚は見えたけど、メダカのような大きさで食べても腹の足しになるかどうか……。そう思って捕るのをやめたが、今から獣を刈ろうとも思えないし、そもそも狩り方なんて分からないインドアっ子。捌き方だって分からない。ならば狩るだけ無駄、その準備を考えるだけ今は無駄だ。


 これは早めに町に行くべきなんだろうな、と思いながら空を見上げれば既に夕日のような太陽の輝きで、私は慌てて家の中に入った。



 そして悪戦苦闘する事小一時間。


「火が付かないぃぃ」


 木と木を擦り合わせて、と先人の知恵を拝借して頑張ってみたが、手の平が真っ赤になっただけで無理。手の平が超痛い。詰んだ。暗闇怖い。くそぉ、これでも異世界もののラノベや映画は見た方なのに、見るのと行動するのではここまで違うかとため息が出る。手が痛くてたまらないし、もう今夜は苺もどきを食べて寝ようと、火を付ける事を諦める。


 暗闇が怖いとはいえ真夜中の森に一人ぼっちなのも事実で、何かあるといけないから家のドアは閉めた後に内側からつっかえ棒をかまし、かまどの上の窓も閉めて、寝室の扉だけは開けておいて、暗いといえども居間の様子もすぐに確認できるようにする。


 鍋に入れておいた洗った苺もどきを暗闇で食べながら、どうしてこうなった的に項垂れ膝を抱える。

 そして、どうか朝までトイレに行きたくなりませんようにと祈りながら、ベッドに横たわった。




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