魔物
ホルムとの密会が行われた翌日。野外演習は恙無く実行されていた。
日差しがやんわりと差し込む森の中、人工的に整備されたとまでは言わないが人が通った形跡の残る道を行軍している生徒たち。今日は制服ではなく、軍属に似せた服を着ている。
「セレ。何か暇潰しになるものはないか?」
「森の匂いを嗅ぎながら鳥の囀りに耳を傾けてみては?」
「二時間も森の中にいると飽きるものだ」
「そうですか? 景色が変わるのは面白いと思いますけど」
体力に余裕のあるディークは、列の最後尾でセレにちょっかいをかけていた。緊張感のない様子だが、それはディークに限った話ではない。
(アイラ一行は先頭グループ。最後尾にいれば問題はないだろう)
気の抜けたように見えて、ディークは周囲をしっかりと警戒していた。草木の動きに目を光らせ、地形をしっかりと頭に叩き込む。襲撃を想定して退路を確保しておく。ディークの警戒に抜かりはなかった。
「半日かけて砦に行くんだろう? 走ればもっと早く着くだろうに」
「みんながそういった訓練を受けているわけではないのですよ」
「魔法が使えるからといって胡座をかいているんだろう。学院を卒業してから苦労するだけだ」
手厳しいディークにセレは苦笑いで返す。だが、ディークの言っていることは正論であり、反論する気も起きない。
生徒たちによる行軍は随分まったりとしたもので、ディークが前方に目を向ければ、アイラ一行が仲睦まじそうにしている。アイラを構うイケメン集団が煩わしく見え、ディークは苦い表情を浮かべる。
森の景色は相変わらず、時折する葉擦れの音も、聞き飽きてもはや雑音にすらならない。
「ディーク様はもう少し落ち着かれた方がいいですよ」
「俺は帝王になるつもりはないからな。ヤンチャなくらいが丁度いいと思わないか?」
落ち着きのないディークを見兼ねたセレが苦言を呈するが、ディークは開き直って子供のような笑顔を浮かべる。
「あまり遊び歩かれると、色々な方の信用をなくしますよ?」
「セレもか?」
「……ええ」
問われたセレはからかうような微笑みを浮かべて答える。
「ならやめよう。紳士らしく、淑女であるセレの横に相応しい男になろう」
冗談めかすディークはすっと姿勢を正して、まるで城の中でも歩くかのように綺麗な姿を保つ。一瞬で切り替えて見せたディークにセレは息を飲んだ。洗練された動作の一つ一つが王族たらしめる威厳を感じさせる。
「どうだ? 少しはマシになっただろう?」
「ずっとそうしてらしたらいいのに。そうすれば周りの評価だって変わります。学院内にはディーク様を見下している人もいらっしゃります。私なんかと関わっているのも一因ですが、ディーク様は皇族らしくないです」
「皇族らしくない、か。それは嬉しい評価だな。印象操作が有効に働いている証拠だ」
「やっぱりわざとなんですね……」
怒るどころかむしろ喜んだディークにセレは呆れる。
院内で過ごすディークは道化だ。緊張感を排し、少し頭が悪そうな雰囲気を醸し出す。力は強いが、尊敬するかと言われれば否と答える程度。ディークの目論見は見事に成功していた。周囲の警戒を解けば身動きも取りやすくなる。留学中の皇族が動き回るには、道化を演じる他ない。
(まあ、ホルムのように監視をつけてくる者もいるがな)
ディークの掌で踊る生徒たちには、今もディークがセレに現を抜かしている隣国の皇子として映っているだろう。
「ディーク様が侮られるのは納得いきません。魔法祭であれだけ活躍されたのに」
「実力があっても、それを使う頭がなければ意味がないだろう」
「それもそうですけど……」
「俺が大したこのない奴だってことにしておけば、院内も平和だろう。皇子なんて下手に手を出せば大問題に直結する。腫れ物扱いが妥当だ」
「腫れ物、ですか……」
自分の境遇と重ねたセレは、自分がもっとしっかりしていれば、ディークがもっとまともな学院生活を送れたのではないかと罪悪感を抱く。
「ディ――」
「ヴゴォォォオオッ!」
「――なんだ!?」
言いかけるセレの言葉を遮るように、森の中に巨大な声が響いた。ビリビリと震える空気に、生徒たちは何事かと目を見張る。
(来たか……)
声の主が魔物であるといち早く気づいたディークは、セレを庇うように身を寄せる。その数秒後に魔物が現れ、生徒たちの中に混乱と恐怖の渦が発生した。
森の中から頭一つ抜ける巨大な魔物は、四つ足を踏みしめながら木々をなぎ倒し進んでいる。猫科動物のような、黄色い瞳の中の瞳孔は細く引き絞られ、正面にアイラを捉えている。
猫の体からは、大きな鷲の翼が生えている。体の十倍近くある羽を折り畳み、喉を低く鳴らす魔物は躊躇せず襲い掛かる。
「みんな、逃げろ!」
集団の先頭にいた王子様が声を張り上げた。いずれ国の頂点に立つ男はそれなりのリーダーシップを発揮し、生徒たちは一斉に来た道を引き返す。
「セレ、行くぞ!」
「ちょっ――」
人の群れが動き始めるよりもほんの少しだけ早く、ディークはセレを抱き上げ走り出した。森の中の悪路を障害などないかのように走り抜けていく。
「ディーク様、ウィル殿下たちが戦っています! 私も……」
「あいつらなら大丈夫だ! お前を守るのが先だ!」
ディークの腕で横抱きにされるセレは、皆を逃すために戦うアイラたちを助けようとするが、強く抱えるディークに厳しく否定される。
「あいつらは絶対に負けない。俺を信じろ」
「信じろって」
「お前を安全なところに運んだら俺も戦う。俺が負けるはずないだろ」
「私が黙って待ってるとでも思ってるんですか!? ディーク様は私の性格を全く理解してらっしゃらない!」
「おい、暴れるな――」
ディークの言い分に怒ったセレは、ディークの腕を振り払い飛び退いた。キッと眉間に皺を寄せるセレは戸惑うディークと対峙する。
「私はソアーロ王国の公爵令嬢です。王家に仕え、民を守ることが仕事なのです。私が率先して逃げるなど、あってはならないんです!」
「だからと言って行かせられると思っているのか」
「そこを退いてください。力尽くでも通らせてもらいます!」
覇気の篭った強い視線で睨まれたディークは、諦めたように息を一つ吐きセレに背を向けた。二人を避けるように走っていく群れは、二人のことなど気にも留めない。
「分かった。無茶だけはするなよ」
「はい!」
(セレを守り切る。魔物は俺が干渉しなくても倒されるんだ。対処しきってみせる)
セレの根気に折れたディークは覚悟を決める。二人は同時に駆け出し、魔物の相手をするアイラたちの元へ加勢する。
「セレ。魔物の狙いはアイラだ。横を取って翼を狙え。飛ばれると厄介だ」
「あの魔物を知ってるんですか?」
「昔文献で読んだ。一番厄介なのは呪いだ。ちゃんとペンダントはしているか?」
簡潔に情報共有を済ませるディークは横目でセレの首元を確認する。
「はい。それが何か……?」
「呪いから身を守ってくれる。絶対に外すなよ」
セレの首に細い金のチェーンが見え、ディークは安心したように微笑みを浮かべる。
(俺でも、呪いまでは防げん)
呪いは魔法と原理が違うため、魔法と同じ対処では防げない。呪いを防ぐには加護を施した物を身につけるか、呪いにかかってから浄化する他ない。
セレが今身につけているのは皇族が持つ最高練度の加護付きペンダントだ。並大抵の呪いではその加護に敵わない。
「ディーク様はちゃんと身につけていますか?」
「当たり前だ」
ディークは澄ました顔で答えると魔法の構築に取りかかった。会話は打ち切られセレも戦闘態勢に入る。
「セレ、右の翼からやるぞ!」
「はい!」
ディークの周囲に無数の氷柱が現れその矛先は魔物へと向く。それと同時に、セレも雷の矢を顕現させていた。ディークとタイミングが完璧に合い、無数の魔法は魔物の背中に襲いかかる。
「ガァァァッ!?」
スコールのように重く降り注ぐ魔法に、魔物は堪らず呻き声を漏らす。
「ディークレオス様!」
二人の加勢に気づいたアイラが黄色い声を上げる。アイラと共に戦っていた王子様たちはセレの姿を見て苦い顔をするが、四の五の言っていられない状況に口を閉ざす。
「セレ、重いのを一発ぶちかませ。お前の隙は俺が全力で守る」
「分かりました!」
魔物の狙いがアイラであるうちは安全圏から攻撃できる。ディークの作戦に一切の疑念を抱かないセレは、その場で魔法の詠唱を開始する。
「五分だ。全力で打ち込めば粉微塵になるだろう」
セレを守るディークは、その場からアイラたちの援護をする。魔物の狙いはアイラだが、襲い掛かれば当然のように反撃される。王子様や取り巻きが重症を負わないように魔物の気をうまく逸らす。
「ディークレオス様! 私の精霊魔法でこいつを――っち」
言いかけるアイラは魔物に追われ舌打ちを漏らす。隙を与えない猛攻に、さすがのアイラも手を焼いている。魔物の獰猛な爪がアイラに降りかかるたび、精霊たちがアイラの身を守る。
「ガァァァ……」
「何?」
突如。それまでの猛攻が嘘のように魔物が静かになった。アイラから距離を取った魔物は口から黒い息を漏らしている。
「瘴気だ! 全員逃げろ!」
いち早く異変の正体に気づいたディークが叫ぶ。その声を皮切りにアイラたちはその場から一斉に飛び退く。ディークはセレの体を抱え全速力で退避する。驚くセレは、危うく魔法を中断しそうになるが、ディークの言葉を思い出し持ち堪える。
直後、魔物は体に溜め込んだものを吐き出し、瞬く間にあたり一帯が煙に包まれた。
「瘴気に触れるな! 腐るぞ!」
ディークは言いながら、瘴気を纏う黒い煙に向かって魔法を放つ。火の玉が数発、煙に隠れた魔物に被弾し小さな爆発を生む。爆発によって煙は薄くなり霧散する。
「な、なんだこれは!?」
「これが瘴気の力だ。触れたら即死だぞ」
全員の視界に枯れ果てた森の姿が映る。細く炭化したような樹木は、魔物が動いた衝撃で崩れ落ちた。驚愕する一同だが休む暇などなく魔物が襲いかかる。
「ディーク様、撃ちます!」
ディークの腕から飛び降りたセレは、詠唱を完成させ魔法を出現させる。ディークに放った時と同じ魔法が、セレの頭上に現れる。
「空を裂き大地に轟け! 雷槍!」
スパークする雷の槍は魔物の羽目掛けて一直線に飛んでいく。
「ガァッ!?」
その大きな質量に、アイラを盲目的に狙っていた魔物も危機を察したようで、慌てて飛び退ろうと羽を広げる。だが、
「グヴウゥゥゥ!?」
羽を広げたことが仇となり、鷲の翼に槍が深々と刺さった。一枚目の羽は根元から捥げ、二枚目の羽に大きな穴を開けた。
「もう逃げられん! 畳み掛けろ!」
魔物に生まれた大きな隙を取り巻きたちは好機と見るや、一斉に魔法を放つ。
「セレ、退くぞ」
「ですが……」
「お前は十分に役目を果たした。あの魔物はもう討ち取られる」
息を切らすセレを連れディークは魔物から離れる。しかし、
「ディークレオス様! 魔物が!」
「なん――!?」
アイラの声に振り返ったディークは咄嗟にセレから手を離した。
「ンガァァァ!!」
アイラを狙っていた魔物は標的をセレへと移し、獰猛な爪を振り下ろした。
「っく……」
抜剣したディークは、眼前に迫る鉤爪を既のところで防ぎ、しかしその重みに片膝を着く。
「グルゥゥゥ……」
「ぐぅっ」
ディークを押し込む魔物は、またも口から瘴気を垂れる。黒い煙がディークの腕を流れ、体の半分を焼いていく。服の中へと浸食され、ディークの肌は爛れていく。
「ディーク様!」
「ディークレオス様を離せぇ!」
ディークとセレに気を取られていた魔物は背後から迫るアイラに気付かない。
「精霊魔法! 王の裁き!」
アイラが一声叫ぶと魔物の首上に光の刃が現れる。光はまるでギロチンのように下へと落とされ、魔物の首を両断した。鮮血が吹き出し、降り注ぐ血に濡れるディークの横に魔物の頭がゴロリと転がる。見開かれた瞳はディークを見つめ、怪しげな光を放った。
(まずいっ!?)
咄嗟に顔を覆うディークだが、魔物の放つ光はディークを捉えた。一秒にも満たない時間だが、ディークが再び目を向けた時には既に光を放っておらず、虚な瞳は虚空を見つめていた。
「ディーク様、大丈夫ですか!?」
「問題ない。かすり傷だ」
「ディークレオス様!?」
セレとアイラがディークの元に駆けつけた。魔物の首を切断したアイラは疲れた様子も見せず、ディークの服を剥ぎ取った。
「おい、何を――」
「治療します! 動かないでください!」
アイラの剣幕に驚いたディークは言葉を失い、そのままアイラにされるがまま、治療を受けることになった。
「精霊の魔法なら、こんな傷も綺麗に治りますから」
ディークの腕を覆う火傷のような跡を、アイラの魔法が癒していく。神の為す技の如く現象に、間近で見ていたセレは息を飲んだ。みるみるうちに傷は消え去り、瘴気で焼け爛れた肌は、元の綺麗な、艶のある白い肌へと戻っていった。
「治りました」
「ああ、ありがとう」
アイラから服を受け取ったディークはぐるぐると腕を回し調子を確かめる。どこにも異常は残っておらず、アイラの腕の良さがありありと分かる。
(しかし何故セレが……物語ではアイラが狙われるはずなのに)
立ち上がったディークはセレを連れて森を発つ。それに続くようにアイラ一行も学院へと足を向けた。
演習は中止となり、後日、国による調査が開始された。襲われた生徒に被害はなく、誰一人欠けることなく、事件は収束へと――




