15.何様よ! --妻--
「ねぇ、ハロルド--- ヘラが恐ろしいわ」
ハロルドも顎に手添えたまま考え込んでいて、返事が返ってこない。
先程までの怒りは収まり、心の安定は取り戻したものの、お姉様の事を思うとやっぱり泣きたくなる。
「青い鳥がいれば良いのにね」
エレナの小さな呟きは、部屋に差し込む夕日に吸い込まれていった。
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「ランチしましょ!」
学院が始まり、黒ちゃん、ハロルドと共にランチを頂く為、食堂へと軽快な足取りで向かう。
円卓会議の翌日メンバーを再び徴集し、お姉様の誕生日パーティーに、マイヤー殿下が来る事を我騎士に伝えた。そして、あいつとお姉様の婚約を解消したい事も一緒に伝え、あいつの情報を集めて欲しいとお願いする。
ジンバ先生は耳が少し遠いのでボーっとしていたが、他三人は各々の良い顔をしながら了承してくれた。
何か新しい情報がないかしらねー、
校舎を抜けて食堂に辿り着くと、中は何やら騒がしく人集りが出来ている。
-------- どうしたのかしら? 何だか人の声がするわね。
人集りに近づくと喚き声が聞こえくるので、興味本位から爪先立ちになる。前の人の肩から目を出せば、お姉様の顔が目に映った。
----- お姉様に何かあったのかしら?
失礼するわね、と前にいた人に声をかけると、道を開けてくれたので前に進み出てたら、お姉様とあいつが対峙した状態で立っている。ハロルドと黒ちゃんも気になったのか、私の側に来るとあいつが口を開いた。
「なぜ私とお昼を食べないんだ。アリスは私の婚約者ではないのか? 私と一緒にサロンに行こう」
「ウォルフ様、昨日もお伝えした筈ですが、私は級友の方達と交友を深めているのです。理解して頂けませんか?」
「その級友の中には男もいるだろう? 女性だけならまだしも、私を放置して他の男とそんなに話しをしたいのか?!」
「------------ 」
-------- これはまずいわね。
周りを見渡せば、好奇心から楽しんで見ている人もいれば、訝しげな表情で見てる人もいる。
このままだと、お姉様に変な噂が広がってしまうわね、どうしようかしら----。
考えていると、ハロルドが急に前に出て対峙する二人に近づき、背筋を伸ばしたまま綺麗な所作でお辞儀をした。
「無礼を承知で失礼致します。ウォルフ卿、アリステア殿下お戯れはそこまでにして下さい。お二人のお熱い空気に、皆溶けてしまいそうです。エレナ殿下が、お二人とサロンでお茶を飲みたいようなので、是非一緒に来て頂けますか?」
「なっ、何を--- 」
「---- 分かりましたわ。無礼を許しましょう。ウォルフ様、エレナのサロンへ連れて行って頂けますか?」
「アリス---- 分かりました。お連れしましょう」
あいつの腕にお姉様が手を絡めると、二人はゆっくりと歩きだす。周りにいる人達に、膝を軽く折ったカーテシーで挨拶して、私もハロルドと共に二人の後に続いた。
黒ちゃんの方をチラリと見れば、早く行けという風に手を小さく胸元で動かしている。
俺は大丈夫だ、と声を出さずに口だけ動かしたのを見て、私は頷きで返した。
私用のサロンに入室すると、お姉様はあいつの腕から手を離そうとしたが、あいつは脇をきつく締めて、エスコートしたままソファへと連れて行く。
腰を下ろした二人の正面に、私とハロルドも腰を下ろしお茶を用意してくれた侍女に、部屋から下がるよう言いつけた。
侍女がいる間無言だったあいつは、お姉様の顔を見ていただけだったが、侍女が退室すると、私達の方を見ていきなり声を張り上げた。
「なぜこの場に呼んだんだ! ハロルド君も、あの場で私達に声をかけるなど無礼ではないか!」
---- 何なのかしら、正直ムカつくわね。
あいつの表情は怒りに溢れていたが、私は真っ直ぐあいつの目を見て言い返した。
「ウォルフ様、ハロルドは私に従ったまで。お怒りは私に向けて下さいませ。それに、あの場にいたらどうなっていたと思いますか? 私は、お姉様の立場を守ろうとしただけですわ」
「なんだと? エレナ殿下は何も分かってないのだな。私とアリスは婚約してるんだ! アリスが私の婚約者であると、皆に分からせただけに過ぎない! アリスも何故分からない? 私以外の男とは話さないよう伝えただろう? 向こうから話してくるならば、私が父に頼んでどうにかしてみせよう」
髪を乱しながら怒りの表情で話す姿は、ロミオの時の面影を失いまるで違う人のようだ。
------- 凄いわね、いきなり束縛男になるだなんて。まるで神々の女王ヘラのようだわ。
一途な神だけど、ゼウスの浮気相手に容赦ないのよね。
確か---- そうそう、ゼウスの浮気相手を熊に変えたり、出産出来ないよう制裁した筈だわ、何だか嫉妬って怖いわね。人をこんなにも変えてしまうんだから---
嫉妬もだけど、恋は盲目って言葉の意味も思い知ったわ、周りがこんなに見えなくなるなんて、頭大丈夫かしら?
しかも凄く腹が立つわね。
それにしても、お姉様が言葉を発しないなんて珍しいわね、どうしたのかしら?
お姉様をチラリと見れば、少し困った顔はしつつも、王女としての表情を崩していない。
---- お姉様は本当に凄いわね。尊敬するわ。
私ならあの表情を保っていられないわよ。
「ウォルフ様、エレナやハロルドへのお言葉は取消して下さいませ。二人は私を心配しただけですわ。それ----」
「アリスが言うなら取り消そう! だが私を選ばず、他の男と食事をしようとしていたのは取り消せない。何故男と話すのだ? 私がいれば十分ではないか?!」
お姉様の言葉を遮ると、いきなりお姉様の肩をあいつは両手で掴みだし、先程よりも強い口調で言葉を吐く。お姉様は瞳を揺らしながら言葉に出来ないのか、口を開かずに無言のままだ。
------ 何してくれてるのよ!
「ウォルフ様、お姉様の肩をお離し下さいませ。無礼ですわよ」
怒りがグッと沸いてきて、声が低くなり強い口調になってしまう。
そんな私の言葉にあいつは苛立ったのか、私を睨むように見てきた。
「無礼だと? 何故私が無礼なんだ? 無礼なのはお前だろう?」
ハァ? こいつ何様なのかしら?
「私が無礼ですって? 王族である私が無礼で、あなたは一体何様なのかしら? 教えて頂けませんこと?」
「エレナ! ウォルフ様、お許し下さいませ。エレナはまだ若く未熟なのです。私が代わりに謝罪しますわ。それに、男性とお話しするのが嫌なのは、十分伝わりましたわ。以後必要な場以外では話さないように致します。ですから--- 気をどうか静めて下さいませ----」
「アリスが謝罪する必要はないが、今日はアリスに免じて許そう。だがエレナ殿下、二度とそのような口を開くな。私がまだ貴女を好いているとお思いか? フッ、勘違いも甚だしい、そんなわけ無いだろ! アリスの婚約者として、これからは私を敬うのだな分かったか? ではアリス、二人でこれからの事を語ろうではないか。まだ私には、アリスに伝えたい事が山程あるからな」
「---- 分かりましたわ、二人でお話し致しましょう。エレナ、また違う日にでも時間を作りますわ。それではハロルド、エレナをお願いしますね」
「フンっ! では失礼する!」
あいつはお姉様を強引に立たせると、引っ張るようにお姉様を連れて扉に向かう。お姉様は私をチラリと見たが、直ぐに姿勢を正してあいつに続き退室された。
「あいつ、一体何なのよー!!!」
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「ねぇ、ハロルド--- ヘラが恐ろしいわ」
あいつとアリステア殿下が退室した後、エレナはいつもの様に叫びだした。その後も珍しく喚き散らしていたので、午後の授業をさぼり今に至る。日も傾き出し、窓からは赤い日差しが入り始めていた。
時間が経つにつれ、エレナも怒る気力をなくしたのか、先程から譫言を呟いては息を吐き出している。
---- ヘラって何だろう。
まあエレナの気持ちも分からなくない。
あれは一体なんなんだ。マゾかと思ったら、今度は嫉妬に狂うやばい奴になっている。
ああやって人は壊れてくんだな---- 壊れるってこういう事だと、母様に教えてあげたい。
バレルシア王国から帰国し、あいつとアリステア殿下に驚いていると、急に侯爵家から使いが来て、強制的に家へ連れてかれ何故か医者に診察された。
母様は俺の側でずっと泣いていて、何がなんだか分からずにいると、兄から説明されて従者から届いた手紙の内容を知った。
俺が壊れたと心配する母様に、何故笑ったのかを説明しなくてはならなくなり、とても疲れた---- あんなに心配されたのはいつぶりだ?
誤解が解けた後は後で、エレナとの進展について母様にしつこく聞かれ、俺は大いに困った。
前よりは男として意識してくれてるとは思うが、それ以外の進展は全くと言って良い程何もない。そういえば、クマのような王子って誰だったんだ?
とりあえず、どうにか母様を説得出来たので領地に行かずに済んだが、誤解されたままでいたら、確実に危なかったな。
ハァ------- 本当、アリステア殿下は気の毒すぎるな。
珍しく瞳が揺れていたし、アリステア殿下が口を開かない程困っているのを初めて見た。あんな顔、男として人前でさせるべきじゃない。
バレルシア王国から戻ってきた時の、二人の姿は一体どこに消えたのか---- 色々と考え直すべきか悩んでいたが、やはりマイヤー殿下に期待する他ないな---。
「青い鳥がいれば良いのにね」
青い鳥----- 昔エレナが話してたな、幸せを呼ぶ鳥だったか?
でも確か、結局近くにある幸せに中々気付けない事を知るんだったよな。
あいつは本当に馬鹿だ。
アリステア殿下を大切にしてれば、幸せになれただろうに。
あれで大切にしてるつもりならば、頭が悪すぎる。それにエレナに罵声したあいつに、対峙出来ない無力な自分にも腹が立つ。
こんなにも怒る気持ちを持つのは初めてだ。
俺はきっと、今日の事を一生忘れないだろう----
「エレナ、マイヤー殿下の作戦。本気で考えようか」
エレナを見て言えば、エレナはうんっと大きく首を縦に振る。
「円卓会議をまた開くわ! 特に侍女長と副隊長には頑張って貰わないといけないわね!」
アリステア殿下の誕生日パーティーまで、あと半月。
エレナとハロルドの戦いが、本格的に幕を開けた。
読んで頂き有難う御座います!
神々の女王であり、ゼウスの妻ヘラは嫉妬話が凄く有名ですが、一途ゆえなんですよね。
ゼウスが浮気して出来た子供、ヘーラクレースも元々(ヘラの栄光)という意味らしく、ゼウスよりもヘラとの結びつきが強いことが示唆されてます。
浮気相手の子、ヘーラクレースに様々な嫌がらせをしますが、それで鍛え上げられたヘーラクレースは英雄になるんですよね。しかもヘラは憎んでいる筈の赤子のヘーラクレースに自分の乳を飲ませたんです。
ヘーラクレースの乳を吸う力が強すぎて、ヘラは乳首が痛くなったため、ヘーラクレースを放り出すんですけど、その時にこぼれた母乳が天の川になったと言われてるみたいですね!