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『瓦解』

 その屋敷の白亜のテラスには午後の光であふれていた。

 世界が蜃気楼のようにまぶしさの中で一瞬、消える錯覚。

 解放感のある広々した空間に、鮮やかな青が映える海と空を眺望でき、潮の香が乗った風の匂いがした。 

 老人は三人の娘に言った。



「なるほど、一瞬の時間というのはある種の永遠であるが、君達は生と死を繰り返すうちにそれらを完全に同意義のものにしたわけだ。そして、徐々に死を飼い慣らし、夏の一瞬を凌駕した」


 いつしか彼女たちは冬の間は眠り姫のようにとくとくと眠り続け、春にはかりそめの目覚めと浅い眠りの間を行き来し、夏になると完全な覚醒をするようになっていた。

 今年は三年目の夏なのだ。



「産卵を終えて死ぬ鮭でも希に生き残る個体があります。その個体は再び大海原に旅立ち、一回りも二回りも大きくなって、子を産むためにまた故郷に帰ってくるそうです。

 それを何年も繰り返して、十年間近く生き残るものもいる──凌駕は必然ですわ。そのため、お婆さまはあなたを選んだのです」



 一人目の娘が誇らしげに祖母ゆずりのあの瞳を向ける。



「あれもお婆さまと呼ばれるようになったか。若い姿で死んだから白髪姿が想像も出来ないよ。私は選ばれるだけの価値があったかな? 遺伝子の問題なら、同じ一族の他の男でも良かったかもしれん」



「おじいさまはあの冬の嵐の中で、恐ろしい敵を駆逐しました。あれは一族の中でも最大の巨魁です。他の男では出来ない仕事でした」


「彼は最期に星を仰いで死んでいたよ。私の尊敬できる叔父であった。いや、実の父親だったか。幼い時は虎のように怖い人だと思っていたがね。

 一族の争いに敗れ、最後の年は離魂患者のように抜け殻になり、時折、感情を取り戻しても、昔を思い出してか憎悪の目で同じを繰り言を言うだけの存在になった。

 それによると、私は自分の実妹である母に産ませた子だそうだ。そして、姉のように慕ったあの人も、私と君たちの関係のように実質、あれの娘だった。それを考えると、我が一族は想像を絶する近親相姦を繰り返している」


「特別な遺伝子を確保するためですわ。私たちにはそれが必要です」


 二人目の娘が微笑んだ


「ガラスの透き通るような卵から生まれ、二十五本のあばら骨を持ち、死する時、水晶の破片となる──何とも奇妙な生き物だな。君たちは何者だ?」


 老人はこれまで幾度も繰り返してきた質問を娘たちにした。


「私たちにもわかりません」


 答えも長年、聞き慣れたものであった。


「私もすっかり老骨だ。相手はもはや出来ないし、仮に次の十七年後の子供達は出来てもこの世にもういないだろう。君たちの寿命が伸びたのは喜ばしいが、我が血統も私が最後だ。

 そもそも最初から不死の遺伝子など存在しないのだよ。

 だが、私は安心している。幻は一瞬だからこそ美しい。私は少しそれと永く付き合いすぎたようだが──いつもおびえていたのだ。幻想がいつしか失望に変わるのをな」


「いえ、それはありえませんわ。私たちの夏は永遠に続きます」


「いや、それは続いてはならないものなのだ。あれはただの肉欲であり、違う生き物同士の奇怪な交合だ。枯れ果てて、私は自覚したのだよ。私は死を目前にして失望したくない。

 物語は美しく終焉を迎えるべきだ。それに幻想的な存在でいることに苦痛を感じているのではないかね。夕佳?」



  三人の娘は互いに顔を見合わせ、そのうちの誰かが老人に告げた。


「それは買いかぶりだわ。女は常に美と永遠を望んでいるものよ──悠也」


 記憶の残滓が言わせた。



 三人の娘は一糸まとわぬ姿となり、抱擁するように彼にまとわりついてきた。

 姉が弟を抱きように。

 恋人が想い人を抱くように。

 娘が父を抱くように。

 彼女達の白い肌に囲まれ、彼に逃げ場所はなかった。


「私達はお爺さまの子を産みます。命ある限り交わり続け、その情愛ゆえ、お爺さまを殺すことになるでしょう」


「何の為にだ?」


「全ては夏の血脈のため」


 一人目の娘が答えた。


「一族の連なる運命のため」


 二人目の娘が答えた。


「はかない生を燃やそうとする本能のため」


三人目の娘が答えた。


「何故、私を選んだ?」


「血脈のため」


 一人目の娘が答えた。


「運命のため」


 二人目の娘が答えた。


「本能のため」


三人目の娘が答えた。


 彼女の達の言葉はある種の美しい調律を奏でたが、彼には全てが芝居がかった道化に思えた。

 そして、少年の時のよく知っている少女の面影が微笑みながら語りかけてきた。

 初めて出会ったあの時と全く同じ表情で。



「──でも、本音をいうと、男のあれが好きだったから。子孫を残すためでも血の宿命のためでも生殖のためでもなく、私はただ性器のもたらす快楽のために永遠の輪廻転生を繰り返している。それにあなたを選んだのは、すごく可愛らしかったから。子供の時の悠也たら、あんな小さいもので──」



 好色という言葉が脳裏に浮かんだ。

 彼は少女達の全裸に埋もれながら、生のあがきを呻いた。

 最後の精を搾り取られるまで。


次回『回帰』

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