8月1日、オレの髭
「ん?・・・」
『ウギャッ』
オレはネコ。人間の世界ではそう呼ばれてる。名前はレオだってさ。
そして今、オレの髭を引っ張っているのは、この家の息子翔太だ。ある意味オレの天敵。ある日突然やって来て、ちょうど1年がたつ。オレはこの家に来てもうすぐ3年だから、オレの方が先輩だ。それにしても、こいつはオレのことを何だと思っているのか・・。
「うひひっ」・・悪魔?の微笑み。
『ウギャッ』・・痛っ!
また引っ張ってるよ。こらやめろ!顔が変型しちゃうじゃないか。
まあオレには立派な爪がある。いざとなったらこれでガリっとひっかいてやるか。でもそんなことをしたら、この翔太は大声で泣き叫んで・・結果オレの晩ごはんは抜きだ!だからオレはされるがまま。しかし、時々おどかしてやるんだ。
『ニャオー』と吠えて。
「おい、レオ!」
『ん?・・・』
誰か呼んだか?しかもネコ語で。
この家にはネコはオレだけだから、呼んだとしたら外か。オレは窓際まで駆けて行き、レースのカーテンの下に潜り込み外を見た。しかし、ネコなんかいるはずもなく・・だってここは6階だもんな。うー怖っ。俺、高所恐怖症だったっけ!
やはり空耳か?ネコにもたまにはそんなこともあるよね・・。
オレはまだ外が気になっていた。ネコは基本的に高い場所が好きだ。オレのような高所恐怖症のネコは珍しいといっていい。ネコの身体能力をフルに使えば、この6階までよじ登ることも可能かもしれない。
そんなことを考えながら、キョロキョロしているとまた聞こえてきた。
「おい、レオ!」
オレは180度首を回した。
いつの間にここまで来たんだ?オレのすぐ後ろには翔太が立っていた。
オレは一瞬ドキッとしたが、顔には出さなかった。
オレはそーっと翔太から遠ざかろうと、肉球を目一杯膨らまし足音を消した。
「おい、レオ!、僕の声聞こえてるんだろう?」
その瞬間、汗などかくはずのないオレの体が、冷や汗でびっしょりになった気分。恐る恐る振り向くと、翔太のにやけた顔が俺を見つめている。
まさか、翔太なのか?ネコ語で俺を呼んでいたのは・・。
オレは試しにネコ語で話しかけてみた。
『翔太なのか、俺を呼んだのは?』
「そう、僕だよ!」
夢か?オレは自分の顔におもいっきりネコパンチをくらわせた。
『痛っ!』
夢ではない。
人間の言葉もろくに話せないくせに、ネコ語が喋れるとは・・!
オレの全身の毛は一気に逆立った!こんな人間に会ったのはもちろん初めてだ。
オレの髭は、危険物を察知するセンサー。だから日頃の手入れは欠かせない!その大事な髭で、翔太は遊ぶのが好きなもんだからまったく困ったものだ。
オレは生まれて3ヶ月でこの家に来てしまったから、父さんの顔も、母さんの体の模様も覚えてない。それに狩りも教えてもらってない。たまにベランダに出て、やって来る小鳥に飛びかかるが、簡単にかわされてしまう。当然ネズミなんて捕ったこともないし見たこともない。それにネコ語だってほとんど独学で学んだ。だけど喋る相手はいないんだ。
それがなんと、この家の長男翔太が、オレの言葉を理解してくれる。
これは素直に喜ぶべきなのか、それとも、このあと恐ろしいことが待ち受けているのか・・。
オレにはネコの友達はいない。たまに遠くの方で野良ネコの声が聞こえるだけ。そんなことが時々寂しいって思うこともあるけど、オレをこの家に招いてくれたご主人は、とても優しいから、大抵のことは我慢できる。ネズミ一匹捕れないオレにも、美味しいご飯を茶碗いっぱいにご馳走してくれる。だから、冬の寒い日は、ご主人の膝にのって温めてやる。しかし、今は夏!毛は抜けるしダニは増えるし、なんとも煙たがれる存在なのだ・・。
オレは、家のなかで一番涼しいところをみつけ昼寝をしている。今いるのは玄関の冷えたブロックの上。
すると急に鼻がむずがゆくなってきた。オレはすかさず髭を動かし、空気の流れを読んだ!翔太が側にいる。
そしてその刹那、オレの脳はサイケの境地となっていった・・。そう、翔太が手に持っているのはマタタビの棒だ!
とろける~とろける、オレの脳がとろけるー!
「おい、レオ、レオ!」
オレはその言葉で覚醒した。どのくらい酔っぱらっていたんだろうか?
気がつくとオレは腹を出し、床に寝そべっているではないか・・。やばい!ヨダレは出てないよな・・?
オレは慌てて起き上がり、急いで口元を手で掃除した。
オレは右の髭に違和感を感じた。何かが付着しているようだ。目玉を最大限外に向けると、かすかにその物体の存在が確認できる。髭を一生懸命に動かすが、ゴミは取れない。
オレは右手に唾をつけ、髭を擦ってみた。よし、髭に何の感触も無くなったぞ!スッキリスッキリ。
ついでに顔でも洗っておくか!そう思い立ったオレは、手を舌でなめ・・また酔っぱらっていた。髭についていたゴミは、マタタビのかすだったからだ・・。
「おい、レオ、レオ!」
オレはそんな翔太の呼び掛けも無視して、また腹を出していたのだった!
『ゴロニャー!』