ひとつの山を乗り越えて。
芽衣は薄暗い中、目を覚ました。自分のしたことを思い出して、涙が出てきた。かすかな息遣いが聞こえる。見るとソファで勝が眠っていた。
…どうしてあんなことしちゃったんだろう?どうして、あんなに悲しかったんだろう?勝は、いつも優しくしてくれるのに。私、奥さんもママも失格だわ。
勝を傷つけてしまったことへの後悔がますます広がる。思わずしゃくりあげたとき、勝が目を覚ました。
「…起きたの?」
反射的にベッドにもぐりこんで、勝のいるソファに背を向ける。芽衣としては、あんなひどいことをした手前、どんな顔をしたら良いかわからないからだ。…布団の上から、撫でる感触が伝わってきた。ますます涙があふれてくる。
「芽衣?大丈夫?そのままでいいから、聞いて。」
布団の中で頷く芽衣。
「早く元気に帰ってきてほしいと思ってる。邪魔なんかじゃない。俺も本当は一人の家に帰るのはさみしいよ。芽衣がいない家から仕事に行くのだって、さみしいよ。」
ヒックヒック…。布団の中でしゃくりあげるのが聞こえる。勝がそっと布団をめくると、芽衣が起き上がって首に腕を巻きつける。
「ごめん…ごめんなさい…。」
「気にしなくていい。早く元気になって一緒に帰ろう。」
勝が抱きしめて、そっと唇を重ねる。芽衣の目にまた涙があふれる。勝の頬にも一筋の涙が伝う。
…この男性と一緒になってよかった。
「…すみませんでした。」
朝の回診の時間。芽衣は石黒や看護師たちに深々と頭を下げる。ベットの脇に立っていた勝も一緒に頭を下げる。
「いいんですよ。今日は気分はどうですか?」
石黒はにこやかに言うと、勝に目配せをする。勝も目で合図をすると、お互いに微笑んだ。
「二人って見つめあう関係なわけ?やらしー!」
それに気づいた芽衣が言うと、石黒も勝も看護師たちも爆笑した。
―半月後。
「胎児は、だいぶ安定してきています。あと少しです。動悸も少なくなっていますね。つわりは最近どうですか?」
「あまり変化してないです。」
芽衣は動悸があるが、つわりは、かなり軽いほうだ。最初のころから、なんとなくムカムカする時間が長いが、急に強い吐き気に襲われることも少ないので、動悸さえなければ、かなり楽なほうなのだ。
「もうすぐ4か月ですね。お腹の張りが出るので、安静はまだ継続してください。」
「はい。」
相変わらず、車椅子での生活なので夕方には勝と病院内を散歩するのが日課になっている。脚が弱っていないか心配なくらいだ。
「次の半月後には、退院できるかな?」
「できるといいね。」
遠くから、手をふる人が見える。
「…高野くんだ。」
「そういえば、来るって言ってたな。」
高野も、数日おきに勝がいる時間に顔を出してくれている。もちろん勝の両親も芽衣の両親も、しょっちゅう来てくれている。麻衣も期間限定のマカロンを並んでゲットしては、運んでくれている。
「石黒に、そこで会ったぞ。白衣着てた。」
開口一番、高野が言う。
「言わなかったか?あいつ、ウチの主治医だぞ。」
「てゆーか、あいつ、医者になったのか。意外だな。」
「そうだ。近々、石黒とメシの約束してんだ。一緒にどうだ?」
「お。いいね。芽衣先輩、行ってきて良いですか?」
「お土産つきなら許可しようかな。楽しんできてね。」
少し目立ってきたお腹をそっとなでて微笑む芽衣だった。