まだまだ入院。
「…もうしばらく、入院が必要です。安静状態です。」
半月後、主治医の石黒は告げた。
「そうですか…。」
芽衣が肩を落とす。入院してからというもの、勝の希望で料理を伝授しているが、たまには自分で作りたいと思っていたので、安静状態の継続を言い渡されてがっかりしてしまった。
「あーあ。脱走して、家でお料理したい。ランチやお買い物に行きたい!」
石黒が居なくなると、芽衣がぼやいた。
「脱走って…。」
言いだしたら本当に実行してしまうタイプなので、勝はヒヤヒヤだ。まあ、確かに手料理は恋しいが…。
「だって〜。ネットのお買い物も飽きたんだもーん。」
「頼むから!脱走しないでくれよ。何かあったら事務所にいるから。」
回診が済むと、勝は心配しながら仕事に向かった。
「お茶しに行こう。」
夕方、仕事を終え、病室に来るなり勝が言いだした。
勝としても、日に日に不機嫌になっていく芽衣を見ているのはしのびない。石黒にあらためて確認したところ、勝の付き添いで車椅子を使用の場合のみ、病院内を多少ウロウロする程度なら、という許可が出た。勝はほとんどの場合、以前のように昼間は仕事に行っているので、この程度の許可なら負担にならないだろうという、石黒の判断だ。
「いいの?」
「病院内限定だけどね。ドトールがあるから行こうか。」
「うん!」
わくわくと車椅子に乗る芽衣。実に約一カ月、病室から出ることすら滅多になかったので、これだけでもかなりワクワクしている。
「今日の晩ご飯、ここのサンドイッチがいいな。ケーキも食べたい♡」
「たまには、いいんじゃない?」
子供みたいにはしゃぐ芽衣を見て、勝も笑顔になる。
…石黒の許可に感謝だな。
「あのね。勝。」
サンドイッチを半分ほど食べたところで芽衣が切りだした。
「うん。何?」
「名づけのことなんだけど。お父さんがつけたがってるみたいなの。お姉ちゃんのところ、何も口出しすらできなかったからって。勝はどうしたい?村木の家としてはどう?」
「うーん。今のところ、何も言ってないよ。俺としては両方に平等になるように、芽衣と2人で決めたいと思っているよ。みんなの意見も少しは聞きたいところだな。芽衣はどうしたい?」
「2人で決めたい。」
「そうしよう。○○家の子じゃなくて、俺たちの子供なんだから。」
「うん。」
まだ安心とはいえない状況の為、お腹の子について話すのは、どこかタブーになっていたので、こういう会話は、これが初めてといってもいいくらいだ。性別だって今はまだはっきりしていない。
「あー。おいしかった。」
病室に戻ると、芽衣が満足げにお腹をさすった。病室ではない場所で過ごしたことが、とても楽しかったのだ。今日は珍しく、動悸も出ていないので、芽衣はすこぶる気分が良い。
「明日はコンビニに連れてってね。」
芽衣はすっかり車椅子が気に行ったようだ。
「いいよ。そうだ。石黒からの伝言で、車椅子は俺といるときだけにしてくれってことだから。」
誰か来るたびに車椅子でウロウロするようでは安静とはいえないから、念を押す。石黒が付添人まで限定しての許可を出したのは、石黒の権限だ。かわいい後輩の石黒はこの病院の産婦人科のナンバー2なのだ。
「そろそろ、帰るよ。明日また夕方に来るから。」
「イヤ…。」
芽衣が、勝のスーツの端を掴んでいる。先ほどまで笑顔だったのに、今は涙を浮かべている。
「どうしたの?」
「帰っちゃイヤ!一緒に帰る!家に帰りたい!」
子供みたいに涙をポロポロ流して泣く芽衣。
「…落ち着いて。もうしばらく、ここにいるから。」
「しばらくって何分?帰っちゃうんでしょ?寝たきりの私なんか、邪魔なんでしょ!」
「そんなこと、ないよ。落ち着いて。」
ーバスッ!
抱きしめようとしたら枕が飛んできた。
ーバサッ。バシッ。
びっくりしていたら、次は雑誌を投げてきた。
「芽衣!頼むから!」
「帰ればいいじゃない!どうせ私は、寝たきりの役立たずよ!」
ありとあらゆる本が飛んできた。主婦向けの雑誌。週刊誌。名付け辞典。直木賞作家の文庫本。
「アンタなんか、出てけばいいのよ!」
さんざん悪態をついて最後は突っ伏して泣き崩れた。
物音を聞いて、看護師が駆けつける。看護師が主治医を呼びに行く。そして、主治医の石黒が駆けつけた時には、動悸が始まってしまっていた。看護師数人と勝でベッドに寝かしつけ、緊急で点滴を始め、いくらか落ち着くのを見計らって、看護師に任せると、石黒は勝を自販機コーナーに誘った。
「…済まない。少し前にもいきなり泣き出すことがあって…。」
「大丈夫です。僕たちは慣れていますから。妊婦さんは不安定になりやすいですからね。先輩は大丈夫ですか?」
「正直、凹んだ。どうしたら良いのかわからなくなった。」
「明日は、いつもどおりにしていてください。大丈夫ですから。」
一旦、自宅に荷物を取りに帰ってから病室に戻ると、芽衣は点滴をしたまま眠っていた。どうしたら良いかわからないまま、勝はソファに横になった。