第8話
時が経つのは早いもので、城を出てからすでに半年が経過しようとしている。
この半年の間、俺はエルザに連れられてアルカディア周辺の街や村を旅して回った。断崖や森林、浜辺と修行をした場所は様々だ。
彼女も最初の頃は手取り足取り教えてくれて、食料も事前に用意してくれていたのだが、《七星一刀流》を本格的に教え始めた頃から食料や寝床の用意まで自力でやれ、自分の力で型を身に付けろと言う始末……。
――今思い出しても、よく俺はあの地獄を乗り切ったもんだな。
七星一刀流には七つの型が存在しており、それらを一通り教えられる。そこから自分に合った型の鍛錬を進め、極めることができれば《剣聖》といった異名で呼ばれるそうだ。エルザもすでに極めた型が存在しており、《銀閃の剣姫》などと呼ばれている。
「あの女のどこが姫なんだか……」
半年もの時間を一緒に過ごしてはっきり分かったが、エルザという女はがさつな上に生活力があまりない。髪の毛は適当に切り揃えるし、料理に至っては食べられればいいと考えの持ち主なので腕前は言うまでもない。
そのため、この半年料理といった家事は俺が行ってきた。親がいない時間が多かったので、それなりに家事全般はこなせたからだ。まあ剣術を教わっている身なので仕方がないと思ったし、美味そうに食べてくれたので密かに喜びを感じていたのだが。
しかし、やはり不満のほうが多い。
俺は食料や寝床の確保、七星一刀流の修行で毎日ボロボロになっていた。
それはエルザも分かっているはずなのに、彼女は構ってほしい性格なのか、やたらと話しかけてくるのだ。おかげで睡眠が不足した日は何日もある。また事前に報告もなく魔物をけしかけてくるときもあり、何度死に掛けたことだろうか。
「……まあ本当に危ないときは助けてくれたんだが」
このように言えるのは結果的に無事に七つの型を覚えたことで修行が一段落したからだろう。
今俺はアルカディアに程近い《リトリア》という街の近くにある小屋で生活がしている。森の中なので人気は全くないが、それでもきちんと場所で生活できるというのは嬉しくて仕方がない。
人によっては贅沢な暮らしには思えないだろうが、半年も地獄のような修行の日々を送った身からすると、今の生活は天国のようなものなのだ。エルザも3日前から用事があるということで出かけたので、この場にいるのは俺ひとり。かつてない解放感に俺は幸福さえ感じている。
「……それももうすぐ終わるが」
予定では今日の夕方頃にエルザが戻ってくる。
彼女の性格を考えると、戻ってきてすぐに模擬戦という流れもなくはないので、この3日間俺は修行を怠らずにやった。だからといって彼女に勝てるわけではないのだが。
そんな風に思ってもいたのだが、すでに日も傾き始め空は赤くなりつつある。腹を空かせて帰ってくると思ったので、すでに料理を作り始めているのだが……ちゃんと帰ってくるのだろうか。
「割と時間にルーズだからな……あぁくそ、考えたら不安になってきた」
すでに調理は終盤を迎えており、大抵の品は2人分作ってしまっている。今更やめるわけにもいくまい。
エルザが帰ってこなければ俺が彼女の分まで食べなければならないが、いつまたあの地獄が始まるかもしれないと思うと食べられるときに食べておこうという気分にはなる。今日帰ってこなかったとしても、食材を無駄にすることはないだろう。
「……ん?」
不意に扉を叩く音が聞こえた。
一瞬エルザかと思ったが、彼女ならばノックはせずにそのまま入ってくるだろう。となると客人ということになるが……。
――森に迷った奴でもいたのか……それともエルザの知り合いが訪ねてきたのか。はたまた……
ここは街から離れているため、見回りの兵士もいない。罪を犯したとしても発見が遅れるため、腹を空かせた賊にとっては格好の的になりえる。
「できれば人は斬りたくないんだが……」
俺は今日までに魔物と何度も生死のやりとりをしてきた。旅先で賊に襲われたこともある。賊に関してはエルザが無力化してくれていたが、彼女から「もしものときは躊躇うな」と何度も強く言われてきた。それに
『一通りの型を会得し、私と何度も剣を交えた君は強くなった。その身に宿る力を使わずとも、そのへんの輩には負けないだろう。だがこれだけは言っておく。何かを守るということは、何かを傷つけることだ。剣を持つならば、君も覚悟を決めておけ』
修行を終えた日にエルザがそう言っていた。覚悟というのは、奪う覚悟と奪われる覚悟を意味しているのだろう。
覚悟はしているつもりだ……だが人を斬れるかは分からない。でも俺には……成し遂げたい目的がある!
壁に立て掛けておいた太刀を手に取り、静かに扉のほうへ足を進める。
エルザとの特訓のおかげで多少なりとも気配というものを感じ取れるようになってはいるが、感じる気配は無に等しい。もしも敵だった場合は相当の手練れだ。最悪、あの力を使うことも考えなければならない……。
「こんばんわ」
どことなくだるそうな挨拶と共に現れたのは、ゴーグルを付けた銀髪の少女。インナーにジャケット、短パンと普通に見えるが、腹部は丸出しの状態だ。太ももも露わになっているため、露出は多めと言える。
……この子は一体何者なんだ?
一見迷子のようにも思えるが、全く怯えた様子はない。敵意も確認できないので賊でもないだろう。となれば、エルザの知り合いというのが妥当な線ではあるが……彼女の年齢は20代半ばだったはずだ。目の前にいる少女は15歳くらいに見える。
それだけに知り合いだと決め付けるのは早計ではないだろうか。まあ元いた世界と今いる世界とでは色々と違いすぎるので、あちらの世界の常識で考えるのがダメかもしれないが。
「あなたがリオン?」
「そうだけど……君は?」
「わたしはシア・ベーチェル、よろしく」
あまり感情のない声と共に小さな手が差し出されたので、名乗り返しながら彼女の手を握る。
「よろしく……君はここに何しに来たんだ?」
「エルザからここに行くように言われた。それとあなたにこれを渡すようにって」
シアという少女が出したのは1通の手紙。受け取って中身を確認すると、そこにはとんでもないことが書かれていた。長ったらしく書かれているが要約すると
七星一刀流の型は一通り教えたのでここからは自力で精進し剣聖を目指せ。世界を回っていれば、他の剣聖や私に剣を教えてくれた剣神とも呼べそうな人物にも出会えるだろう。気さくな人物なので、出会ったら修行をつけてもらうといい。
また召喚術や君の宿っているような力について今以上に知りたければ、グレイシアという国かティターナという国を訪ねてみろとのこと。ただティターナはエルフの国なので気を付けろだそうだ。
最後に、目の前にいる少女の面倒を見てくれ。詳しいことは彼女に聞くように。私は旅に出る。また会える日を楽しみにしているよ。
といった感じになる。
まだ20歳にもなっておらず、この世界に詳しいとも言えない俺に少女の面倒を見ろ……あの女は何を考えているのだろうか。今までに何度も彼女の常識は疑ってきたが、今日ほど絶叫したくなった日はない。自由すぎるにもほどがある。せめて事前に一言でもいいから伝えておけ。
「何て書いてあったの?」
「……君の面倒を見ろってさ」
「フーン……嫌なら別に見なくていいよ」
どうでもいい。
シアの顔や声は嘘偽りなくそう言っているように思えた。彼女は今会ったばかりだし、俺に養える力があるかと言われると自信はない。これまでエルザに養ってもらっていたのだから。しかし、知り合いに言われて訪ねてきた年下の少女をこのまま帰すのも良心が痛む。
そのとき、空腹を知らせる可愛らしい音は耳に届いた。目の前にいる少女はほんのり頬を赤く染め、視線をこちらから逸らしている。
――食事も2人分作ってしまっているし、食材もあと数日分はある。今後どうするか決めるまではここに置いても問題はないか。
「いや、料理を作りすぎて困ってたんだ。君が来てくれてちょうどよかったよ。とりあえず、中に入って」
「ん、分かった」
シアは警戒する素振りを見せず中に入ってきた。エルザとは知り合いのようだが、それでも俺は彼女にとって初対面の男だ。普通はもう少し警戒するのではないだろうか。
そう考えた矢先、彼女の腰に片刃の小剣が付いている銃が2つ見えた。銃剣と呼ばれる武器だろう。
魔力を持っていない人間もいるため、一部では工学が発展しているとは聞いていたが……少女が持っているとかなりのインパクトがあるな。まあこの世界でなら不思議とまでは言えないが。
「あ、言っておくけどおかしな真似はしないほうがいいよ。エルザの知り合いだろうと、敵対するなら容赦しないから」
「するつもりなら中には入れてないさ。座って待っててくれ、もうすぐ食事の準備も終わるから」
「了解」