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姉の困惑

 ―――ねえナディア、ステファンのこと、お願いね。

 ―――はい、お母様。

 ―――三日経ったら帰ってくる。それまで、家のことは頼んだよ。

 ―――はい、お父様。


 十六歳になったばかりの、雪の深い夜だった。

 そう約束した父と母は、二度と帰らぬ人となった。

 声をあげて泣く弟の手を握り、ナディアもまた泣きながら誓った。


 ―――弟が成人するまでの三年、私が彼を立派に育てベルモント男爵家を守ります…!




「あのマセ餓鬼…!」


 ベルモント女男爵ナディアは、ほとばしる感情のまま手紙を床にたたきつけた。

 あの冬の日、事故で亡くなった両親に誓ってまだ二年。先月十五歳になったばかりの弟は一週間前に駆け落ちして家を出ていた。

 文中に“彼女”とだけ記された相手の見当は付いている。まだ年若い弟が恋をした相手も一人なら、結婚を考えていると紹介された相手も一人、大反対した相手も一人だ。

 アップルガース子爵未亡人、三十六歳。


「二十一歳違う相手と恋愛したうえ駆け落ちって何?!“この恋は本物だと思うのです”?マザコン拗らせただけじゃない!」

「落ち着いてくださいませ、お従姉様。また血を吐いてしまってはステファン様をお探しすることもできませんくてよ?」


 手紙をげしげし踏みしだくナディアを、偶然居合わせた従妹のドロシーが咎める。

 同じ領土内に住む気安さで幼いころから交流のあった彼女とその兄は、ベルモント男爵家の騒々しさになれている。取り乱すナディアの横で、平然と茶菓子を口にしていた。


「これ、おいしい。お従姉様もおひとついかかが?」

「結構です!ドロシー、あなたこそどうして冷静なの?ステフはあなたの婚約者でしょう?」

「親の口約束ですわ。わたくしとステファン様ではあまりお話しできることだってございませんもの」


 親の口約束、という言葉がナディアの胸に突き刺さった。


「お父様、お母様。ステフが二人のご遺志に反抗するような真似をしたのも、すべては姉である私の責任です。大事な弟の将来とベルモント男爵家の名誉を傷つけてしまうなんて、死んでお詫び申し上げるしか…でも、死んだ先で合わせる顔もありません。私、どうしたらいいのかしら」

「お従姉様って、叔父様と叔母様に呪われていらっしゃるみたい。そんなに囚われなくてもよろしいのに」


 紅茶のカップをソーサーに戻して、ドロシーはあきれた顔を向けてくる。

 だって約束をしたもの、とナディアは告げないままに思った。両親の生前最後に交わした会話で、ナディアは弟と家とを任されたのだ。


「ステフの将来とベルモント男爵家の名誉のためにも、世間に駆け落ちの醜聞が広まる前に何とかしないと…」

「そうですわねえ。ステファン様がここを出られてまだ一週間ですし、探すとしたら今ですわね」


 そう、一週間。

 あんなふうに弟が出て行ってしまって、すでに一週間が経つのだ。

 一週間前のその日、彼の残した書き置きの内容を思い出してナディアは怒りと吐き気とめまいを覚えた。


 ――――僕は彼女とともに生きます。家のことは姉上の御好きに。


 その場で卒倒しなかったのは奇跡と言える。それでもあまりの衝撃に熱を出し、回復するまで三日かかった。

 一体どうしてこうなったのか。

 高熱にうなされながら、ナディアは不安と後悔に押しつぶされそうだった。

 彼女がステファンに「恋をした」と告白されたのは、一年ほど前の話だ。その相手を彼の従妹であり婚約者でもある少女のことだと思ったナディアは微笑ましさに顔を緩ませ、おめでとう、頑張ってと励ました。

 それが大きな間違いだったと気付いたのはふた月前、ステファンに“彼女”を紹介された時である。

 結婚も考えている、と引き合わされたその人は、弟より二十一歳も年上の未亡人だった。

 一瞬呆気にとられて固まったナディアだが、それが幻覚でも夢でもない現実と分かると我に返って「反対!」と叫んだ。


 ――――母とも呼べそうな年齢の義妹なんて嫌です!


 血を吐いて倒れた姉に、ステファンはそれ以降“彼女”の話を持ちかけなかった。


(年が違いすぎるもの、きっと諦めたのね。それか、あちらが本気ではないと分かって失恋したのかしら)


 だとしたらステフも可哀想に、と同情すらしていたナディアだが、弟は例の彼女と一緒に書き置きを一枚残しただけでいなくなった。

 一週間もしてようやく寄こした手紙には、居場所を知らせる文字も、消印もない。

 “幸せにやっている”と書かれているが、その幸せは勘違いだとナディアは大声で主張したかった。

 人生経験豊富な年上の女に未熟な少年が遊ばれているとしか思えない。そうでなくとも、二十一歳差の恋愛なんて世間は認めないだろう。

 後ろ指さされて不幸になる弟を見るなんて嫌だ。なにより、天国の両親にも申し訳がたたないではないか。


「ステフはどこに行ったと思う?あなたのお家と私以外にあの子が頼れるところなんてあるかしら」

「アップルガース子爵未亡人の関係者が協力していらっしゃるのでなくて?」


 ステファン様はあまりお友達の多い方ではありませんもの。

 お茶をすすりながら、従妹がさらりと教えてくれる。

 

(そうだわ、未亡人の関係者―――――)


 ああ、なぜ思いつかなかったんだろう。

 ナディアは素早く立ち上がった。


「あらお従姉様、どうなさいましたの?」

「行きます」

「…は?」


 眉根を寄せて見上げるドロシーの手を、感謝の気持ちを込めて握る。

 ステファンが駆け落ちしたと分かって以来初めて、ナディアは心から笑みを浮かべた。


「ありがとう、ドロシー」

「…わたくしが何かいたしまして?」

「二人は未亡人の繋がりを頼っていると教えてくれたでしょう?ステフを探すなら彼女と縁のある方を片っ端から当たって行けばいいのだわ。そうと分かれば、私はさっそく行ってきます!」

「そこまで言ったつもりはございませんけれど」


 戸惑うように告げられた言葉はするりと耳を通り抜けた。

 

「クラム!」


 呼ぶと、ベルモント男爵家の忠実な家令が音もなく姿を現す。御用でしょうか、と無表情に聞く男に、ナディアは歩きながら指示を出した。


「馬車を用意して頂戴。それから、迎えが来るまでドロシーのお相手をお願い」

「承りました」

「お従姉様、どちらに行かれますの?」


 席を立ったナディアの茶菓子に手を伸ばしながら、従妹が尋ねる。いくらでも食べてくつろいでくれ、と思ってナディアは笑った。


「まずは、アップルガース子爵未亡人の弟君の所へ。最後までお相手できなくてごめんなさい、ドロシー」

「それは構いませんけれど、弟君って…?」


 考えるように目を泳がせたドロシーに失礼しますとだけ告げて、ナディアは部屋を出た。ぱたん、と閉まった扉の向こうで乱暴に茶器を置く音がする。


「レノン侯爵?!お従姉様、駄目ですわ!悪魔を呼ぶ生贄にされてしまわれます!」


 めずらしく取り乱した従妹の叫びを背に、ナディアは馬車に乗り込んだ。 

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