捌.無垢
「さすが見事な琵琶だ。褒美を取らせよう。」
宮中で催された宴で、帝に召されて琵琶を鳴らした。
お褒めの言葉を頂き、お召しの絹まで下賜されて、とても栄誉な事だ。
父上もたいそうお喜びになり、少々面映い心地がする。
これもひよどりのおかげに他ならない。
先日、伯母上の所に参じて来なければ、再びこんなに清々しい気分で琵琶に触れる事は出来なかっただろう。
いつものように達実一人を共に連れ、それぞれに仕立てた衣と、未だ手付かずの絹と、ひよどりのために龍笛を持ち、自分の琵琶と龍笛も忍ばせて、馬に揺られて伯母上の庵を目指した。
この度は茂みに分け入る事も無く、強い日差しに何度か馬を休ませたが、他に道草はしていない。
以前のように嫌々ではなく、蝉の煩く啼く道程を、楽しみと恐れの混じった心持で歩んだ。
庵に着き持参の品々を預け、伯母上への挨拶もそこそこにひよどりを探して会ってみれば、胸を焦がす嫉妬は何方かへ去り失せて、楽しい思いだけが心を占めた。
久しぶりに見たひよどりは、少しばかり細いものの、どこからどう見ても貴族の姫君にしか見えなかった。
新しげな杜若の衵を着て、俺に向かって簀子を駆けて来た。
・・・姫君にしては少々元気が良すぎる。が、咎める気は無かった。
「また一緒に演奏してくれますか?」
息も切らさず狩衣の前にしがみ付き、嬉しそうにそう問われ、こちらの方が恥ずかしくなった。
この辺りも深窓の姫君とは程遠い。
「も、もちろん。この度はそのつもりで、琵琶や笛を持参しました。」
後ろに従う荷物持ちの達実を振り返り示すと、達実は口を開いて唖然とし、ひよどりもそれを見て恥じ入ったように離れた。
「ご、ごめんなさい。またあの琵琶が聴けるかと思うと・・・嬉しくて。」
頬を染めた姿は幼く、あどけなく、感情の起伏が大きくて、微笑ましい。
「それでは白蓮殿に挨拶をして、それから一緒に演奏しましょう。案内をお願い頂けますか?」
ひよどりが駆けて来た方向を蝙蝠扇で指して促すと、
「はい。」
と、元気な返事をした。
・・・ひよどりを見てると、どうにも自然と表情が緩む。
「まあまあ、・・・はしたないですよ。しかし、随分と懐かれたものですね、弘敦様。如何なる手妻を使われたのでしょう?」
「心外な事を・・・何もしておりませんよ。・・・実は俺も驚きました。まさか駆けてくるとは思いも致しませんでした。」
こちらの主である白蓮に挨拶すると、まずひよどりはそのお転婆を咎められた。
「弘敦様が来ると聞くとすぐに駆け出してしまい、正直肝を冷やしました。まだまだ以前の暮らしが抜けませんね。もっと躾をうるさく言わないといけないかしら?」
「そんな、白蓮様・・・。」
ひよどりが御簾の向こうで情けない声を上げた。
「・・・以前の暮らしという事は、引き取られたのですか?」
確か以前伯母上が、引き取りたいと言っていたが、
「えぇ、木槿殿が引き取られましたが・・・聞いておられませんの?」
聞いていない。正しくは、簡単な挨拶をしただけで、その場を逃げてきたというのが正しい。
「はい、聞いておりません。・・・そうですか、引き取られたのですか。」
お転婆なひよどりは、形の上では本当に貴族の姫になったらしい。
「えぇ、親はこちらで下働きに雇っておりますので、呼んで話をし、正式に木槿殿が預かる事に致しました。会おうと思えばいつでも会えるので、ひよどりも二つ返事でこの申し出を受けてくれました。」
白蓮の和やかな声を受けてか、何やら姫二人の笑いあう声がした。
「このように朝霧も喜んでおりますし、可愛らしい住人が増えて私も喜んでおりますのよ。」
そして再び可愛らしい声が響いた。
「今日はひよどりにお土産を持って参りました。」
几帳を脇に除けて正面に座るひよどりに、漆の塗られた箱を開けてうやうやしげに絹を巻かれた籐巻きの龍笛を取り出して渡すと、目をぱちくりさせながらおずおずと受け取り聞き返してきた。
「あの、これは・・・?」
その様は新鮮で、思わず頬が緩む。
文に何も無いだとか、土産が無いだとかで怒る女は多くいるが・・・
「龍笛です。篠笛より少し重く低い音を奏でますが、私はこれを嗜みます。」
「・・・はぁ、これを私にですか?」
「はい。篠笛とそう変わりは致しませんよ。一緒に吹きませんか?」
そう言うと途端に面が煌く。
これ程までに喜ばれると、作らせた甲斐があるというものだ。
「まだ慣れませんが、楽しいです。木槿様が仰られていましたが、本当に笛もお上手なんですね。」
ひよどりは、上がる息に弾む胸を押さえきれない様子で、頬を染めて言葉を紡いだ。
「いえいえ、ひよどりには負けたと思いましたよ。」
事実、一時は激しく嫉妬に駆られた。
今こんなに楽しく、清々しいのが不思議なほどに、苛烈な思いに苛まれた。
さすがに今は、慣れぬ道具に探りながらではあったが、おそらくすぐに慣れるだろう。
まったく大した才能だ。
「そんな、私は・・・私はあの夜、桜を愛でた夜の弘敦様の琵琶に感動致しました。一緒に演奏したのもとても楽しくて・・・あの、琵琶も弾いて下さいますか?」
龍笛を握る手を膝の上にきちんと置いて、可愛らしくもじもじと見上げてお願いされれば、断る理由は無い。
「ええ、もちろん喜んで。」
ぱっと、花のようにほころぶ顔に、思わずつられて目元が緩む。
こうも一々素直に喜んでもらえると、嬉しくて仕方が無い。
笛を脇に置いて琵琶を取り、軽く鳴らして音を確かめた。
「何か曲の希望はありますか?」
「いえ、まだきちんと曲を学んでおりませんので・・・何でもいいです。」
・・・ひよどりまで一番困る答えを返してくれるか。
苦笑して目を閉じ、弦を鳴らしながら頭を悩ませた。
さて、何を弾いたものか・・・。
「では、夏の曲をやりましょうか?」
講義のつもりでまず解説をして、知る意欲に溢れた顔に満足し、琵琶の弦をかき鳴らした。
(用語解説)
・お召しの絹まで下賜されて
当時の褒美は絹です。素晴らしい演奏をした者に、身分の高い者がその場で着ている着物を脱いで、授けるのは名誉な事だったらしいです。逆に言えば、身分の高い者は着物を脱いで渡すのが当たり前だったらしいです。たくさん着てないと出来ませんよね。
・杜若
花ではなく、花をイメージした色です。どんな色かは検索してみて下さい。
・狩衣
元は狩や外に出てアクティブに動く時の服装ですが、男性貴族の普段着というのが正しいです。
・蝙蝠扇
扇子の事です。扇は尺から変化したもので、檜で出来た扇を指します。しかしそれでは重く風も起こらないので、今と同じく竹の骨に紙を貼った物を、その形から蝙蝠と呼んだそうです。
・手妻
手品、奇術の事。魔法という言葉の変わりに使いました。この時代にそんな言葉があったのか知りません(オイ)江戸時代にはあったようですが。
・籐巻きの龍笛
外側に籐が巻いてあるのは飾りです。樺も巻くそうです。
・文に何も無いだとか、土産が無いだとかで怒る女は多くいるが・・・
枕草子から引用致しました。清少納言はそういう事で怒っておりました。