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白花の笛  作者: 薄桜
弘敦の章
7/11

陸.花見の宴

弘敦(ひろあつ)殿、あなたは何を考えているんですか?」

伯母上の前に座すと、いきなりそう切り出された。

白蓮(びゃくれん)に引き続き御簾(みす)の向こうの伯母上からもお小言を頂戴した。

自覚を持って非常識な事をしでかした訳であるから、反論の意思など無い。

小言・・・と言うには相当にきつい言われようだったが、神妙にそのお言葉を頂いた。


「生まれが卑しくとも、幼く歳が離れていても、ひよどりは(わたくし)の大事な友人です。無体な真似はなさらないで下さいまし。」


途中、伯母上はそう言った。

その言葉を聞いた俺は、目から鱗でも落ちたような衝撃を受けた。

貴族の世界で生まれ、その中だけで生き、何不自由無い生活を当たり前だと思ってきたが、しかしこの世はそれだけではない。市井の者は多くいる。むしろ貴族の方が稀で特殊な存在だ。

だが、生まれが高貴で良い師がついたとしても、あれだけの笛が吹ける者はまずいない。しかし、ひよどりはそんな師も無く、心揺さぶる音を出す。

高貴を誇る者は出自を気にし、それだけで卑しく劣ると軽んずる。しかし、生まれが卑しいからといって、何も出来ないと思うのは間違いであると、ひよどりが見事に証明してくれた。

「・・・もちろんです、私はここに来る途中聞こえた笛の音に魅せられ、茂みに分け入りその主を探し、ある女童(めのわらわ)の笛に魅入られました・・・頬はその時のものです。無体な事などしたい訳ではありません。あの笛に生まれなど関係ありません、あれは天の与えた奇跡です。それを前に・・・いえ、ひよどりがその笛の女童(めのわらわ)と同じであるのか確認致したく、不覚にも取り乱しました。悪い事をしたと思っております。」

そして更に、深く頭を下げた。

「それで、ひよどりで間違いありませんでしたか?」

「・・・はい。」

御簾の向こうから嘆息の声が聞こえた。

「・・・莫迦ですか?」

呆れた物言いに、俺は否定のしようが無い。

立場が逆なら俺も同じ事を思うだろう。

「怒る気が失せました。・・・あなたは笛の事しか頭に無いのですか? 耳に届く噂とは、随分と違うじゃありませんか。あなたは絵物語の主人公のような、派手な生活を好んでいるものとばかり思っておりましたのに・・・それとも、都の女は皆、笛の名士なのですか?」

まったく嫌味な人だ。笛を吹く女がいるはずが無いだろう。

とりかへばやの女君ですら、男の姿から女に戻る時、これが最後と覚悟して笛を吹き悲しんだのだ。

「そんな訳が・・・、いえ、派手な生活は好んでおりましたが、」

「でしょうね。」

刺すような見事な合いの手に、一瞬怯みそうになるが、ここで折れてはならない。

「・・・いやしかし、ひよどりを見て少し考えを改めました。」

「何をですか?」

女が笛を吹く事の何が悪い? 見事な技の前に男も女も無い。貴賎の差も無い。

そうであると思い込む事の方が悪だ。

「慣習の思い込みの愚かさです。」

一瞬の沈黙を経て、懸命な思いは一笑に伏された。

「まあまあ、悟ったかのような事をおっしゃるのですね・・・まぁ良いでしょう。ではあなたの莫迦さ加減に免じて、白蓮(びゃくれん)殿の言われるように、笛を聞かせてさしあげますよ。」

「ありがとうございます。」

俺はただただ頭を下げた。

呆れられた度合いの方が多そうだが、その声には慈愛が込められているような気がする。とりあえずは許しを得る事が出来たらしい。

そして、きちんとした席まで設けてひよどりの笛が聞ける。これは嬉しい事だ。

「・・・そうですね、せっかくですから花見と洒落込むのも良いですね。弘敦(ひろあつ)殿、今宵のあなたは楽士です。存分に皆を楽しませて下さいましね。」

・・・おかしな事になったな。だが、当然俺には拒否権など無い。

内心にある不満を押し隠し、承諾の意を示して再び頭を下げた。

「あー、それと・・・また絹を届けて下さいましね。もちろん今度は皆にですよ?」

なるほど、それは迷惑料ってやつだな。



宵闇の庭にいくつもの篝火が灯され、八重の桜を白く白く際立たせる。

(きざはし)の先に舞台を設けて、その端にもそれぞれ篝火が焚かれた。

急の思いつきのくせに、まったく大した準備である。

火に(あぶ)られてはぜる松の音を遠くに聴きながら、燈籠の吊られた簀子すのこで、俺は慣れぬ誰かの琵琶を掻き鳴らした。

御簾の向こうの(ひさし)の間には伯母上達が並び、各々花を愛でている。

空を見やれば、東に上弦の月が浮かんでいた。


闇が増すほどに冷えていく風に当てられて、冷える体を酒で温めながらひたすら楽士として奉仕した。

だが、伯母上達の側に行き、あの厳しい言葉の続きを聞かされるより、気ままに奏でているの方が気は楽だった。

時に求めに応じて曲を奏で、また時に唄った。誰ぞ舞う者もいた。

昔の姫君が(そう)の琴を奏で、和歌を競う者もいた。


酒も十分回り、場が和みに和んだ頃、ようやく待ち侘びた時が来た。

伯母上が一同を制して、ひよどりを呼んだ。

「ひよどり、あなたの笛を聴かせて?」

はいと可愛らしい声がした後、薄い紅の(あこめ)に白い汗衫(かざみ)の正装を身に着けた一人の女童(めのわらわ)が、緊張した面持ちで庭に据えられた舞台に上がった。

白々とした光を放つ月は、東から幾分高い位置に移動している。


ひよどりは先ず、ぎこちなく頭を下げて、顔を上げると深呼吸をして目を閉じた。

そしてゆっくりと篠笛を口に当てると、次の瞬間全身に鳥肌が立った。


笛から流れ出る高く澄んだ音は、酒を帯びて緩んだ空気を一変させて()く。

皆がその音に耳を傾けて口を閉じ、雑音とも思われる談笑の声は次第に止んだ。

ようやく待ち望んだ音を耳にして、俺はその慣れぬ旋律を身に刻みでもするかのように全身で受け止めた。やはりひよどりの笛には何かがある。

これほどまでに心を震わすのは何故(なにゆえ)か? これほどまでに惹かれるのは何故(なにゆえ)か?


・・・俺は我知らず涙で頬を濡らし、天賦の才に心酔した。

(用語解説)


・とりかへばやの女君

 「とりかえばやものがたり」の主人公です。男勝りの姫が男として生き、女々しい若君が女として生きるお話です。そうなったのは天狗の仕業らしいのですが・・・途中で、男女が戻ります。好きなんですよ、この物語。男女入れ替わりも面白いんですが、オイオイ!って展開がいっぱいあって。

で、笛は男の楽器なので、女の姿に戻るともう吹けなくなります。それを覚悟して、もう吹く事も無いんだなぁと、悲しんだ(くだり)があります。


(きざはし)

 要は階段です。寝殿の南面中央に位置する五段の階段。


(そう)の琴

 日本の琴の事。琴は中国から渡来したままの物・・・って感じで良さそうです。


汗衫(かざみ)

 元は下着だったようですが、女の子の正装を指します。(あこめ)の上から羽織ります。

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