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白花の笛  作者: 薄桜
弘敦の章
3/11

弐.白い花の向こう

踏み込んだ茂みは高い木の間を埋めるように、低木がひしめく場所だった。

未だ枯れ色の中に、それでも枝という枝から少しだけ顔を出した芽に邪魔をされ・・・いちいち衣を引っ掛けながらも、必死にそこを抜けると、後は枝打ちされ下生えも少ない、よく手入れされた山を進む事が出来た。


乾いた落ち葉を踏みしめて進み、時折その音を避け立ち止まり、耳を澄ます。

衣擦れの音さえ立てないように、ただ耳に神経を集中させて、風に揺れる葉のざわめきのの中から、笛の音だけを探した。


それを何度か繰り返すうち、もう耳を澄まさずとも笛の音が聞こえてくるようになった。細く高く震える音。あれは篠笛(しのぶえ)のものだろう。

このあたりに住まう卑しいものの中にも雅を解する者がいるのだなと、ますますその奏者に興味が湧いた。

篠笛は、貴族の使う笛『龍笛』(りゅうてき)から派生した、装飾など一切無い竹そのままといった庶民の笛だ。

龍笛より高い音を出し、祭りや仕事の合間の謡いに使われるらしい。


俺はそんな祭りなんかに参じた事などないので人伝(ひとづて)に聞いた程度だが、こんな演奏を耳に出来るのなら、忍んで加わってみるのも一興かもしれない。


それにしてもなかなかのものだ。まったくどのような者がこれを奏でているものか、早く近付いて是非その姿を見てみたい。

楽しくもない伯母上の所に行く用より、こちらの方がよっぽど良い。


音に惹かれてしばらく()くと、大きく開けた場所に出た。

何やら小さな建物のようなものがあり、その前には簡素な鳥居。何かの神・・・おそらく土地の神を奉ったものだろう。

その粗末な社殿の脇に、真っ白い雪柳の花が垣のように低く広く植わっていた。

風に散らされた花びらが地を覆う様は、名の通り季節外れの雪のようで・・・とても美しい光景だった。


その白い地面を踏み散らしながら進むと、雪柳の向こうに粗末な身なりの女童(めのわらわ)が一人立っていた。


そう、それが俺の探していた者だった。


その女童(めのわらわ)は目を閉じ、一心に篠笛を吹き鳴らしていた。

衣から伸びる手足は細く、足には泥が散っている。

しかし、そのしなるような手足には、若木のような伸びやかな生命力を感じさせた。

無造作な振り分け髪は、その身なりの割りに艶やかで、笛を鳴らすたびに揺れて光を返した。


・・・惹き込まれた。


たかが10になるやならずやの、卑しい女童(めのわらわ)にだ。


その笛の音。笛を鳴らす指の動き。吹くたびにしなる体。

音に(おのれ)を乗せるように閉じられた目蓋には、切なそうな影が刻まれていた。


一歩足が前に出た。

遠くから姿を見るだけでは物足りない、もっと近くで。

もっと近くで、その音を聴きたい・・・。


そしてもう一歩。


俺は左大臣の息子だ。

なのに・・・何故、こんなにも下賤の女童(めのわらわ)を切望しているのか?


分からない。

・・・分からない。


だが、俺は近付こうとした。


・・・どうして?

聞きたい。


・・・いや、『欲しい』そう強く思った。

女ながらに笛を吹く、類稀なる卑しい者をだ。


側に置いて、その()を聞きたい。

好きな時に、俺の琵琶と合わせたい。

神から授かったかのような、その音をいつまでも愛でていたい。


熱に浮かされようにふらふらと、目で捕らえた女童(めのわらわ)のもとへ歩を進め、

・・・そして何かを踏んだ。


おそらくは何かの枝だろう。

しかしそれは、以外にも大きな音を立てた。


その音を耳にした女童(めのわらわ)は、動きを止めて辺りを見回して、俺で目を留めた。

無論、俺も女童(めのわらわ)を見ている。


驚きの表情はみるみるうちに翳りを帯び、やがて、

「あっ・・・、」

と、細い澄んだ声を上げた次の瞬間。

脱兎の如く逃げ出した。


「待てっ!」


と、かけた声は無駄で、その姿は既に茂みに紛れて跡形も無い。


もっとその音を聴きたかった。もっと奏でる童女を見ていたかった。

・・・いや、俺は何をしようとしていたんだ?

女童(めのわらわ)を捕らえて、連れ帰る?

・・・自らの手で?



自嘲の笑みが浮かんだ。


今をときめく貴公子が、何たるざまだ?

俺は大きく溜息を吐いて、姿勢を正した。


いずれにせよ、喪失感は否めない。

何処の誰だか判らぬ下賤の者に、再び遇える訳もない。

先程の浅ましい自分を思うと、無理に探す気にもなれない。


・・・それでもやはり、諦めきれず。

何か手がかりは無いものかと、女童(めのわらわ)の居た場所を見回してみた。


しかし辺りには、これといった物は無く。

踏まれた草の上に、小さな足跡が残っているくらいのものだった・・・。



俺は、腹立ち紛れに一度地を蹴り、未練を断ち切るように背を向けた。

そして、一度通った道無き道へと足を踏み出した。


俺の本来の目的である、伯母上のもとへと向かうために、

残してきた達実(たつみ)の待つ場所に向かって・・・。


<補足>

笛は男の楽器だったんだそうです。


貴族と平民の間では、天と地ほどの差があり、人として扱われません。

五位以上の天上人と、それ以下の位の間にも、大きな差があるわけですから、

当然だったんでしょうね。


誘拐やレイプは、女が一人でいる方が悪いという認識だそうです。

なので、「もし襲われたら騒がずに従い、過ぎるのを待て」と教えていたそうです。

下手に暴れて、殺される事がないようにと。


やー、怖いですね(^^;


(用語解説)


龍笛(りゅうてき)

 当時は貴族が使ってた、高価な横笛です。

 ちなみに笛は男の楽器で、そのラインを踏み越える者は普通いないようです。琴が女の楽器・・・だよね?


・卑しい女童(めのわらわ)

 そこら辺の庶民の女の子です。王朝文学、貴族でなければみんな「卑しい者」扱いです。


・人攫い

 ざらにあったようですね。ちなみに「辻攫い」だと強姦の意味らしいです。京の都の辻で、一人で歩く女を捕まえる・・・と。逆にそれが出会いの場でナンパって意味もあるらしいです。


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