拾.強行
「何を言い出すのですか、ひよどりを都に連れて行くなど許しませんよ?」
「いえ連れて行きます。向こうできちんと楽を教え、所作や字も習わせます。ひよどりの才を思えば、このような場所に、いつまでも留めておくのはもったいない事とお思いになられませんか?」
「ひよどりの事を思えばこそです。ここで静かに暮らす方が、この子のためになると思っております。自由に笛が吹けるのもここでこそだと思いますよ? 都で奇異の目に晒されて、不幸になる事は目に見えております。
「そんな事はありません。俺がさせません!」
数日留まった後、そろそろ都に戻らねばならないが、その前にやる事がある。
・・・と、その際にひよどりも一緒に都に連れて行き、そのまま俺が預かりたいと伯母上に願い出たのだが、予想以上の猛反対に遭っている。
こちらも引かずに御簾の向こうと声を荒げ合っていたが、しばらくの間が開いて、溜息の洩れる声が耳に届いた。
「・・・弘敦殿、皆が皆、あなたのように思う訳ではありません。例えあなたが守ると言っても、人の口に戸は立てられません。その声は巡り巡って、いずれひよどりに届き、哀しみ辛い思いをするのはあの子です。」
「しかし・・・、」
「しかしも何もありません。女の後ろ盾では心許無くとも、ここにいればまだ自由でいられます。ここでは笛を吹いても何も言う者はおりません。しかし都につれて行けばどうですか? 出自を詮索する者もいるでしょう。心安い者も無く、一人寂しい思いをする事になるのですよ? ・・・解りますか? 辛い思いをするのはひよどりで、あなたではありません。それとも宮仕えを投げ出して、四六時中あなたがついているとでも言い出すのですか?」
返す言葉は無い。
そうしたいと言える若さはあるが、それと同じく貪欲な出世への意欲も拭い去れず。はっきりとした返事を返せなかった。
「若いうちはせいぜい頑張って出世なさい。その方があなたのためです。今上さんの覚えがめでたいのでしょう? ・・・ひよどりに会いたければここにおいでなさい。私もあなたたちの合奏を楽しみにしているのですよ。これからも私を楽しませて下さい。弘敦殿、・・・ひよどりを私から奪わないで下さい。」
激しい言い合いの最後は、穏やかにきっぱりと断られた。
・・・しかし、これで諦める事は出来ない。
思いを遂げ、逢瀬を重ね、ますますひよどりから離れる事が出来なくなった。
しかし、いつまでもここに留まっているわけにはいかない。
友のように親しくして下さる帝の許を、無下に去るのも心苦しい。伯母上の言われるように、今出世をするのは確かに自分のためだろう。
けれど・・・。
心にあるのは、愛らしいひよどりの声、機知に富んだ話しぶり、黒い髪、白い肌、芳しい香に混じる恥らう姿。朝まだきの物憂げな姿も愛らしく、後に交わす文も素晴らしい。
そして--何度耳にしても、飽きる事無く心を惹きつけて已まない笛の音。
思いもかけずに手に入れてしまった幸運を、俺は手放す事が出来なくなった。
「いいんですか? 絶対木槿様は激怒なさいますよ?」
「いい。」
二十四夜の月の、細く心許無い光の下で、こそこそと馬を引き出した。
来た時と同様に達実を伴い、そして衣を引き被ったひよどりを鞍の前に乗せ、ひっそりと静まり返る伯母の庵を後にする。
ただ秋の虫の音が響く中、この世に住まう者は自分達だけではないのかと錯覚するほどの寂しげな道を、二頭の馬で駆け出した。
(用語解説)
・女の後ろ盾
いくら実際には女のほうが強くても、社会的立場はやはり低いのです。
・今上さん
今の天皇という意味です。
・後に交わす文
もちろん後朝の歌です。えーと・・・どう説明しようかな?
男女が睦まじい夜を過ごした後に、男から歌を届け、それに女が返歌を返します。
この歌の出来が悪かったり、寄越すタイミングが悪いと、嫌われたりします。
文だけでなく、それを花の枝に結んだりすると、高感度がアップします。
と、これで一章は終わりです。
世界観、文化、日常の暮らし、色々調べたつもりですが、
それでも分からない事だらけなので、最後はイメージで書きました(笑)
この先も、私の試練がいっぱいです(汗)
次章は「ひよどり」彼女の心の機微に焦点を当てますので、
時間軸的には、一章より前から始まります。