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白花の笛  作者: 薄桜
弘敦の章
10/11

玖.月光

ひよどりと出会って、そろそろ二年が過ぎようとしていた。

その間に従四位下の左の近衛中将(このえちゅうじょう)から、従四位上に昇進しに任じられ、蔵人頭(くろうどのとう)も兼任となり、頭中将(とうのちゅうじょう)と呼ばれる身となった。

そして、以前にも増して帝に召され、楽や和歌の供をする機会が増えた。

以前、御前で琵琶を奏じてから、何となくそんな気はしていた。

宴や楽の遊びの度に召され、名誉な事ではあるのだが・・・今上(きんじょう)は歳若く、俺とあまり歳が違わないためか、遊び相手に丁度良かったのではないかと感じている。

それでも相変わらず暇を見つけては、伯母上・・・いや、ひよどりに会うために、伯母上の庵に通う事を続けていた。


「先日ひよどりの鬢削(びんそ)ぎを致しました。もうあの子も既に成人です・・・以前のような振る舞いなど・・・なされませんように。」

伯母上がそう言ったのは、日中はまだ暑さの残る、葉月の十五夜を三日過ぎた日の事だった。


几帳(きちょう)の向こうのひよどりとぎこちなく言葉を交わし、いつものように楽を共に奏でても、お互いに居心地の悪さを覚え、良い音は鳴らなかった。


「やはり不思議な気が致します。大人なのだから・・・と木槿(むくげ)様は仰るのですが、何となく不自由です。」

苦笑しながら琵琶を置くと、几帳(きちょう)の向こうから拗ねたような声がした。

「そうかもしれませんね。でも世の姫君は皆こうして几帳(きちょう)御簾(みす)の陰で、扇で顔まで隠して声もお聞かせ頂けませんよ。」

「そうかもしれませんが私は・・・もともとそういう者ではありませんので、頭では解っていても、どうにも慣れません。木槿(むくげ)様に聞かれると叱られるますので、あまり言えませんが・・・。」

そう、儚げに笑う。

「俺も慣れずに思う音が出せませんでしたが・・・ここにきて早々に伯母上に釘を刺されましたので、何も言わない事にしておきます。」

「そんな、弘敦ひろあつ様だけずるいです。私は本音を申しましたのに。」

「それが大人というものですよ。」

そう余裕があるように笑って見せたが、内心ではひよどりと同じく、この当たり前の几帳(きちょう)が邪魔で邪魔で仕方が無かった。



夜半に忍んで入り込んできた珍客の、秋の虫の側で鳴く音に驚いて目を覚ました。

・・・こういうものは、遠くで鳴くのを聞くのが良い。

妻戸(つまど)を開けて外に逃がし、差し込む月の光に誘われた。

そろりと音を立てぬように用心して外に出て、光を辿って見上げてみれば中天に居待月(いまちづき)が煌々と輝いていた。

望月には敵わぬものの、月はただそれだけで美しい。

もっとよく見える場所をと求めて簀子(すのこ)を歩き、この辺りかと足を止めると、ある歌を口ずさんだ。

「秋の夜の 月の光はきよけれど 人の心の隈は照らさず・・・か。」

後撰和歌集にあるものだ。どんなにこの月が明るくてもあの人の心の奥までは照らさない。想う人の心の機微は、几帳(きちょう)に隠れて思うようには量れない。

そんな思いを重ねて詠んだ。

それほどまでにひよどりの姿を見れないのが、堪えていた事に驚き溜息が漏れる。

幼い姿から、会う度に美しくなる様に、惹かれてゆくのを感じていた。

いや、すでに姿を見る以前から、その笛の虜だった。

物思いに沈みかけた時、不意にその歌に返しがあった。

「月にさえ 秘めし内まで照らさなば 人の思いの陰ぞ無しや?」

月の光に心の中まで照らされたら、隠し事など出来無いでしょう? とは見事な返しだ。この月を見ているのは自分一人だと思っていたのに、思いもかけず求めていた声を聞き、俺は迷いも無く歩を進めた。

「その声はひよどりですね?」

「そう言う声は、弘敦(ひろあつ)様でしょう?」

機知に富んだ返事があり、くすりと笑う気配を求めて角を曲がると、ひよどりが(ひとえ)に緋袴だけのあられもない姿で簀子(すのこ)に座っていた。しかも、行儀悪く高欄(こうらん)にもたれて、その隙間から足を出し、ぶらぶらとさせていた。

おまけにその足は袴をたくしあげ、白い素足が月の光に晒されている。

「・・・それは、行儀が悪いでは済まない姿ですね。」

後ろに長く垂れた髪は無造作に広がり、光を返して悩ましげに艶めく。

「夜はよく、こうやって月を見ます。」

どこかで鳴く鈴虫や松虫の声が辺りに響き、天の月と相まって風情ある情景を成している中、心の臓は無粋にも不自然に早く打ち鳴らされた。

「しかし、その格好は無いでしょう?」

「今宵は弘敦(ひろあつ)様がいらっしゃいましたが、普段は誰も居ませんもの。」

月の光が当たり、さらに白さを際立たせた面は、事も無げにそう吐いた。

「以前にも夜中に目が覚めると、戸の隙間から月を見ていました。こうしているとあの頃に返ったような心地が致します。無論、こんなに立派なお屋敷などではなく、粗末なあばら家ですけれど・・・そういえば、以前読ませて頂いた草子に似合わないと書かれておりましたが、月の光は何処へでも射しますのに。」

懐かしむような口ぶりから、不意に少し不満気な顔をして乱暴に足を振り上げると、白い足がさらに覗き目のやり場に困る。

「・・・雪も何処へでも降りますからね。あの女史は忌憚(きたん)無い方のようですので、自分の意見を人がどう思おうが、おそらく気にしてはおりませんよ。」

「私は苦手です。・・・雅の方々は皆そうなのでしょうね。ここの人達は皆優しくて、でも・・・世では私のような者は取るにも足らぬのでしょう。」

「そんな事は無い! ひよどりの笛は誰にも劣らぬ・・・神から下されたかのようなその才に、生まれなど問題ではない。」

力無く洩れ出したひよどりの内からの声に、俺は心乱れる思いがしてその言葉を必死に否定した。

こんなにも才に溢れた人が、自らを卑下する姿は辛く哀しい。

弘敦(ひろあつ)様?」

「・・・俺がこんなにも心惹かれているのを、存じてはおられぬのでしょう?」

ひよどりの側に方膝をつき、肩にかかる髪を一房取って滑らせると、さらさらと流れて白い(ひとえ)に広がる。

「あれほど幼かったのに、いつの間にやら美しくなり・・・なのに、ひよどりは無防備過ぎます。せっかく自制しておりましたのに、(たが)が外れてしまいます・・・」

肩からそのまま(ひとえ)の絹の上を撫で、高欄(こうらん)に置かれた柔らかい手に添わせ、上から握った。

「あの・・・弘敦(ひろあつ)様・・・・・・」

座したまま見上げてくるひよどりを掻き抱いて口を塞ぐと、焚き染められた侍従(じじゅう)の、仄かな香りに更に胸が騒ぐ。

そして戸惑うひよどりをそのまま(さら)い、月の目より逃れて(ひさし)の間に入りて、募る思いを遂げた。

(用語解説)



・従四位下 左の近衛中将(このえちゅうじょう)

 従四位上、蔵人頭(くろうどのとう)

 頭中将(とうのちゅうじょう)

 えーと、難しい所。階位と役。はっきり言って分かりません。

近衛は宮中の警備員で、その中将。トップは大将なのでその下になります。

蔵人は天皇のお世話をする係り。そのトップが蔵人頭。

そして近衛中将と、蔵人頭を兼任する人が頭中将と呼ばれます。

物語にはよく出てくるので、そのまま使わせて頂きました。貴族のお坊ちゃまのの出世コースです。

参考にした本を書かれた橋本治さんも、この辺投げ出されてたので気が楽になりました。貴族は結局、政なんか何もしてないから、階位を上げて出世してその位に合った役を付ける。そして私服を肥やして、遊びに耽る。と、そんな結論に達されてまして、なるほどなーそれなら納得したと、安心しました。


・妻戸

ドアです。


居待月(いまちづき)

18日目の満月からやや欠けた月。

立って待つには長すぎるので 「座って月の出を待つ月」って意味らしいです。


(ひとえ)に緋袴だけ

 姿としては巫女さんの格好です。しかし袴はもっと長く足は一切見せません。ちなみにこれは下着姿です。


・髪

 かなり髪にこだわって書いてると思われたかもしれませんが、髪はセクシャルな場所なのです。この時代少しイスラム的ですね、女性は人目に触れないようにとか・・・いや、性に対する倫理観は全く違うな。


・鈴虫や松虫

今とは名前が逆なのだそうです。


・以前読ませて頂いた草子

これも枕草子。下衆の家に月の光が差し込むのは、もったいないのだそうです。下衆の家に雪が降ってきれいなのも似合わないそうです。あー貴族社会なんだなって実感する部分です。


・あの女史

もちろん清少納言です。


侍従(じじゅう)の、仄かな香り

 薫香の1つ。秋の香りだそうですが、私もどんな香りなのか知りたいです。

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