第六話 少佐任命
第六話から動き出すそうです。
正式な任命書が届いたのは、日が傾き始めた頃だった。
封蝋には参謀本部の紋章。
紙は厚く、折り目が正確で、触れるだけで“中央”の匂いがした。
倉庫の空気が少し変わる。
兵士たちが手を止め、子どもたちが遠巻きに見る。
誰も近づかない。
私は静かに封を切った。
そこに書かれていたのは、短い文字だった。
――臨時補給監査官、少佐待遇。
ただそれだけ。
昇進というより、位置が変わっただけだと感じた。
「……少佐か」
倉庫長が低く呟く。
声には祝福よりも、警戒が混じっていた。
私は紙を畳み、机に置く。
数字はまだ合っていない。
肩書きが変わっても、やることは変わらない。
⸻
夕方。
倉庫の前に止まった馬車から降りてきたのは、大佐の階級章をつけた男だった。
年齢は五十を越えている。
背筋は伸びているが、歩幅がわずかに重い。
前線を長く歩いた人間の足音だった。
「貴様が、例の少佐か」
声は低い。
私は一礼する。
「臨時です」
「臨時でも少佐は少佐だ」
大佐は倉庫を見回した。
列の長さ。
子どもたちの動き。
袋の積み方。
すべてを一度で測っている目だった。
「副官が一人、消えた。
中佐殿は機嫌が悪いぞ」
私は答えない。
階級の話は、数字に影響しない。
大佐は一歩近づき、帳簿に手を伸ばした。
「……貴様のやり方は、兵站を変える」
それは褒め言葉ではない。
警告だった。
「変えるつもりはありません」
私は言う。
「崩れない形に戻しているだけです」
大佐の口元がわずかに動く。
笑ったのか、呆れたのか分からない。
⸻
夜。
参謀本部から新しい地図が届いた。
赤い線が増え、補給距離が伸びている。
だが輸送量は変わらない。
私は計算を始めた。
灯りの下で数字が並ぶ。
三日。
三日後、補給線が崩れる。
指先が止まった。
胸の奥が少しだけ重くなる。
決断が必要だった。
⸻
「輸送を止めます」
倉庫長が顔を上げる。
「……少佐、それは命令違反だ」
「はい」
私は頷いた。
机の上に紙を置く。
計算式。
減少率。
列の長さ。
言葉より数字の方が早い。
倉庫長は長く息を吐いた。
「大佐が怒るぞ」
「怒ると思います」
それでも、順番は変えられない。
私は命令書を書いた。
少佐の署名欄に、自分の名前を書く。
ペン先が少しだけ重い。
責任という重さが、初めて紙に乗った。
⸻
深夜。
馬車の音が響く。
参謀本部付きの中佐が降りてきた。
顔は険しい。
「……貴様か。輸送停止命令を出した少佐は」
「はい」
中佐の背後に兵が立つ。
倉庫の空気が張り詰める。
「前線の大尉が怒鳴り込んできている。
説明できるのか」
私は帳簿を差し出した。
言葉ではなく、紙を先に。
中佐はしばらく黙って見つめる。
沈黙が長い。
やがて、低く言った。
「……通す」
周囲が息を呑む。
倉庫長が目を見開く。
中佐は続けた。
「責任は俺が持つ。
だが少佐、次はないと思え」
私は首を振った。
「責任は私です」
中佐が小さく笑った。
「……若いな」
⸻
翌朝。
前線からの伝令は、疲れ切った顔で現れた。
「……昨日の輸送、止めたのは貴官か」
「はい」
彼は袋を机に置いた。
裂けた袋。
ほとんど空だった。
「襲撃された。
予定通り送っていれば、前線は三日で崩れていた」
倉庫が静まり返る。
兵士たちの視線が私に集まる。
私は何も言わない。
勝ったわけではない。
ただ、崩れる順番を少し変えただけだ。
伝令の大尉が、小さく頭を下げた。
「……礼を言う、少佐」
胸がわずかに重くなる。
礼を受け取る理由が、まだ分からない。
⸻
夕方。
参謀本部から第二の封書が届いた。
封蝋は金。
中将の紋章だった。
私はそれを見つめ、少しだけ息を吐く。
倉庫長が低く言う。
「……もう、ただの補給官じゃないな」
私は答えなかった。
列が外まで伸びている。
子どもたちが走り、兵士たちが静かに待つ。
私は帳簿を開いた。
肩書きは増えた。
敵も増えた。
それでも、やることは変わらない。
在庫を合わせる。
順番を決める。
そして――
叫ばずに、戦争を少しだけ遅らせる。
軍部の深いところに入りそうで入らない主人公です。




