第四話 消える袋
4話です。
補給監査官。
紙に書かれただけの役職だった。
だが倉庫に戻った瞬間、空気が変わった。
昨日まで怒鳴っていた兵士たちが、少し距離を取る。
役人たちは視線を合わせない。
私は机に帳簿を置いた。
やることは同じだ。
順番を決めて、数字を合わせる。
それだけ。
「……戻ったのか」
倉庫長が低く言った。
顔色が悪い。
眠っていないのだろう。
「仮の監査です」
紙を見せると、彼はため息をついた。
「面倒なことになったな」
本音だった。
私は頷く。
「はい」
⸻
午前の配給は静かに始まった。
子どもたちが水を配り、兵士たちが列に並ぶ。
怒鳴る者は減った。
だが、別のものが増えている。
――視線。
倉庫の奥から、誰かが見ている気配がする。
私は帳簿を開いた。
昨日までと同じ数字。
だが、袋の数が違う。
「……少ない」
独り言だった。
運び込まれたはずの十袋が、九袋しかない。
誤差ではない。
誰かが抜いている。
私は倉庫長に声をかけた。
「今日の輸送、誰が受け取りました?」
彼は少しだけ迷った。
「……副官だ」
名前は言わない。
言えないのかもしれない。
私は頷き、袋の口を確かめる。
縫い目が新しい。
布が違う。
そして――重さ。
軽い。
「……詰め替えですね」
倉庫長の肩が揺れた。
「証拠は」
「まだありません」
私は立ち上がる。
犯人を探すためではない。
列を崩さないためだ。
⸻
昼前、騒ぎが起きた。
兵士の一人が袋を落とし、中身が床に広がる。
白い粒の中に、黒い石が混じっていた。
「なんだこれは!」
怒鳴り声が戻る。
私はしゃがみ込み、石を拾った。
砂利だ。
量を増やすために混ぜられている。
怒りよりも、先に理解が来た。
――急いでいる。
誰かが、短期間で数字を合わせようとしている。
私は立ち上がり、声を出した。
「列を止めます」
兵士たちがざわめく。
「またかよ」
「腹が減ってるんだぞ」
私は静かに言う。
「このまま配ると、明日、誰かが倒れます」
少しの沈黙。
そして、誰も逆らわなかった。
怒鳴らない命令は、時々よく通る。
⸻
倉庫の奥で、男が立っていた。
見慣れない顔。
軍服は整っているが、靴が新しい。
現場の匂いがしない。
「随分と慎重だな」
声は柔らかい。
だが、目は笑っていない。
「数字が合わないので」
私は答える。
男は近づき、袋を蹴った。
「多少の誤差は戦場では普通だ」
「死ぬ量の誤差は普通ではありません」
男の眉がわずかに動く。
周囲が静まる。
私は続けない。
言い過ぎれば、反発が増えるだけだ。
男は肩をすくめる。
「好きにしろ。仮の役職だろう?」
そう言って去っていく。
背中が軽い。
本物の現場の人間ではない。
私は帳簿を閉じた。
敵は怒鳴らない。
笑いながら数字を動かす。
⸻
夕方。
配給は半分に減らしたまま続いた。
兵士たちは文句を言わない。
腹は減る。
だが、倒れる者はいない。
子どもたちが静かに働いている。
列は崩れない。
私はそれを見ながら、ふと気づいた。
監査官としての仕事は、犯人を捕まえることではない。
崩れない形を作ることだ。
その形の中で、嘘は自然に浮かび上がる。
「……お前、敵を作るぞ」
後ろから声。
昨日の男だった。
「もういます」
私は答える。
男は小さく笑う。
「分かってるならいい」
少しだけ間を置いて、続けた。
「参謀部が動く。例の補給路、やっぱり消えてた」
私は頷いた。
驚きはない。
数字は、だいたい正しい。
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夜。
倉庫の灯りが落ちる頃、私は一人で袋を数えていた。
一つ。
二つ。
三つ。
足音が近づく。
振り返ると、昼に会った男が立っていた。
笑顔のまま、低い声で言う。
「……帳簿、好きなんだな」
「はい」
「それ、武器になると思うか?」
私は少し考えた。
「人を減らせるなら」
男は黙った。
そして、小さく言った。
「……怖いな」
そう言って去っていく。
私はその背中を見送った。
怖いと言われた意味は、まだ分からない。
ただ一つ、確かなことがある。
在庫は、まだ合っていない。
そして――
この戦争は、
剣より先に、帳簿で壊れ始めている。
誤字脱字はお許しください。




