第三話 会議室の温度
第三話です。
参謀部の建物は、静かだった。
戦場の近くにあるはずなのに、怒鳴り声がない。
代わりに、靴音と紙の擦れる音だけが続いている。
私は案内された部屋の前で立ち止まった。
扉が厚い。
音を外に漏らさない作りだと分かる。
「入れ」
中から声がした。
開けると、長い机があり、軍服の男たちが並んでいた。
視線が一斉に集まる。
値踏みの目だった。
私は一礼し、席の端に立った。
椅子は勧められない。
それで問題ない。
「例の補給官だ」
昨日の男が短く言った。
数人が顔をしかめる。
「子どもに配給をさせたという?」
「順番を示しただけです」
私は答える。
誰かが鼻で笑った。
「現場の小細工が、ここで役に立つとは思えんがな」
私は何も言わない。
反論は、必要なときだけでいい。
机の上には地図が広がっていた。
赤い線。青い印。
補給路が何本も引かれている。
そして――数字。
私は無意識に近づいた。
「触るな」
別の男が言う。
声は冷たいが、怒りはない。
ただ、邪魔だと思っている顔だった。
「見ているだけです」
私は手を止めたまま言う。
地図の端に、昨日見た印があった。
輸送記録と同じ番号。
だが、位置が違う。
「……一つ質問しても?」
誰も答えない。
だから私は続けた。
「この補給路、昨日は閉鎖されています」
部屋の空気がわずかに揺れた。
「報告は上がっていない」
中央に座る男が言う。
年齢は高くない。
だが周囲が自然に従っている。
「帳簿では、止まっています」
「帳簿?」
誰かが笑った。
「戦争は紙の上では起きていない」
私は頷いた。
「はい。ですが、紙の上で崩れることはあります」
沈黙。
私は地図を指さした。
「ここからここまで、三日の遅れがあります。
それなのに、補給量は増えている」
中央の男が眉を寄せる。
「つまり」
「どこかで数字を足しています」
小さなざわめきが走る。
「証拠は」
「ありません」
正直に言う。
「ですが、列が短すぎます」
数人が首を傾げる。
私は続けた。
「現場の列は、嘘をつきません。
人が並ばない補給路は、だいたい届いていません」
中央の男がゆっくり椅子にもたれた。
目だけが、私を見ている。
「名前は?」
「呼ばれるほどでは」
昨日と同じ答えだった。
だが今回は、笑いは起きない。
「……後方勤務の鬼、か」
誰かが小さく呟いた。
部屋の温度が、少しだけ変わった。
⸻
会議は続いた。
私はほとんど話さない。
だが、時々、数字だけを指摘した。
「ここ、二重記録です」
「ここ、印が違います」
「ここ、袋数が合いません」
誰も怒鳴らない。
代わりに、紙をめくる音が増える。
やがて、中央の男が言った。
「……この補給路、調べろ」
別の将校が頷く。
最初に笑った男は、黙っていた。
その顔に浮かんだものは、怒りではない。
――警戒だった。
⸻
会議が終わる頃、私は椅子に座っていないことに気づいた。
足が少しだけ重い。
だが疲労よりも、違和感が残る。
ここは前線ではない。
それでも、戦っている空気がある。
武器は剣ではなく、紙だった。
「残れ」
中央の男が言う。
他の将校たちが出ていく。
扉が閉まる。
静かになった部屋で、男は言った。
「現場に戻りたいか」
質問の意味が分からなかった。
「仕事があるなら、どこでも」
本音だった。
男は小さく笑う。
「出世欲は?」
「在庫が合う方が大事です」
少し間が空いたあと、男は頷いた。
「……いい」
机の端から紙を一枚差し出す。
「臨時補給監査官。仮だ」
私は紙を受け取った。
字はまだ乾いていない。
「正式な任命ではない」
「十分です」
私は頭を下げた。
役職の重さは、まだ分からない。
ただ――
机の上の地図が、少し近くなった気がした。
⸻
部屋を出ると、昨日の男が壁にもたれていた。
「どうだった」
「静かでした」
男は笑う。
「それは珍しい」
私は紙を見せる。
男の眉が上がる。
「早いな」
「仮だそうです」
「仮でも十分だ」
少しだけ歩いてから、男は言った。
「……敵が増えるぞ」
「知っています」
私は答えた。
敵は怒鳴る人間ではない。
静かに数字をずらす人間だ。
廊下の窓から、遠くの煙が見えた。
戦争はまだ続いている。
だが私は、剣を持たない。
持つのは、帳簿だけだ。
それでも――
誰かの勝敗を、数字が決めてしまうことを、
私はもう知っていた。
⸻
誤字脱字はお許しください。




