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『後方勤務の鬼 ― 在庫が合わないので戦争やめます。左遷された補給官、気づけば参謀本部』  作者: くろめがね


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第一話 在庫が合わない

戦場に立たない人間の話です。


剣も魔法もありません。

あるのは、帳簿と、順番と、誰かの生活だけです。


派手な英雄譚ではないかもしれません。

けれど、叫ばずに勝とうとする人間の物語を、

静かに書いていけたらと思います。


ここからでも読める構成です。

どうぞ、ゆっくりお付き合いください。

配給が止まったのは、昼だった。


怒鳴り声は、すぐに上がった。

兵士が怒鳴り、役人が怒鳴り、誰かが誰かのせいにした。


だが私は、その輪の外に立っていた。


机の上に広げられた帳簿。

紙の端は焦げ、数字はにじみ、判子だけが妙に鮮やかだった。


私は指先で一行をなぞる。


米、三百袋。

塩、五十箱。

薬品、二十。


……数が合わない。


それだけだった。


「おい、新入り。ぼさっとするな」


後ろから声が飛ぶ。

振り向かずに答えた。


「配給は再開できません」


「は?」


兵士が近づいてきた。鎧が鳴る。

怒りよりも、空腹の匂いがした。


「在庫が合わないので」


「そんなの後で――」


「後で合わせた在庫は、だいたい誰かが死にます」


言ってから、少しだけ間が空いた。

怒鳴られると思ったが、代わりに周囲が静まった。


私は帳簿を閉じる。


声を荒げる必要はない。

事実を言えば、人はだいたい止まる。


「輸送記録を見せてください」


役人が顔をしかめる。


「今は緊急時だぞ」


「だからです」


紙束が投げられた。

雑な扱いだったが、必要なものは揃っていた。


私はめくる。

一枚。二枚。三枚。


――多い。


いや、少ない。


数字が嘘をついている。


横で兵士たちがざわめく。


「早く飯を出せ」

「また遅れるのか」

「補給官は何してる」


私は顔を上げた。


「並んでください」


それだけ言った。


誰も従う理由はないはずだった。

だが列ができた。


理由は簡単だ。

怒鳴る人間より、順番を示す人間の方が安全に見えるからだ。


私は子どもたちに声をかける。


「水を配って。小さい子から」


彼らは頷き、走った。

誰かが勝手に動き、誰かがそれに続く。


怒号が、少しだけ減る。


帳簿をもう一度開く。


輸送は三回。

到着は二回。

署名は三つ。


つまり――


「一回、消えてますね」


私の声は、思ったよりも平坦だった。


役人の肩がびくりと揺れる。


「証拠は?」


「ここです」


私は紙を差し出した。


判子の角度が違う。

筆跡が急に整う。

そして――時間。


嘘は、だいたい急いだ形をしている。


周囲がざわめいた。


兵士の一人が言う。


「つまり、誰かが……」


「分かりません」


私は遮った。


犯人探しは後でいい。


先にやるべきことは一つ。


「配給量、半分にします」


怒号が戻る。


だが今度は違う。


「死ぬよりマシか……」

「半分でも出るなら並ぶ」


私は紙に数字を書き直した。


無駄を削り、順番を決める。

それだけで、崩れかけていた補給線は形を取り戻し始める。


そのときだった。


背後から、低い声が落ちた。


「面白いな」


振り返ると、見慣れない軍服の男が立っていた。

装飾は少ないが、質が違う。


周囲が一歩下がる。


私は一礼した。


「何か問題が?」


男は帳簿を覗き込み、静かに笑う。


「いや。問題はない。むしろ――」


少し間を置いて、続けた。


「問題を見つけるのが早すぎる」


私は答えなかった。


褒められる理由が分からなかったからだ。


男は言う。


「名は?」


「ありません」


「……ない?」


「呼ばれるほど、何もしていないので」


男は、少しだけ目を細めた。


「今日からは違うかもしれん」


私はその言葉の意味を考えなかった。


考えるより先に、数字を合わせる方が大事だった。


配給が再開されたのは、日が傾き始めた頃だった。


列は崩れなかった。

怒号も戻らなかった。


ただ、静かな音だけが残った。


器に落ちる米の音。

水が注がれる音。

そして、紙をめくる音。


私は帳簿を閉じる。


在庫は、まだ合っていない。

だが――


戦争より先に、今日を終わらせることはできそうだった。


そしてその日、

私はまだ知らなかった。


この帳簿一冊が、

私を前線より遠くへ、

そして誰より深く戦争の中へ引き込むことになるとは。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


戦争の話ではありますが、

この物語で描きたいのは「誰かの面倒を見ること」と、

その積み重ねがどこまで届くのか、という部分です。


もしよければ、

この主人公のやり方をどう思ったか、

一言でも残していただけると、とても励みになります。


また次話でお会いできたら嬉しいです。

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