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第9話:老兵は死なず、ハッカ飴を待つ

 ここは確認課からほど近い場所にある資料室。

 現世庁が誕生してから長い時間が経過しているこの資料室はとても埃っぽい。


 資料室というのは人により様々な役割を持つ場所へと変化する。


 ある者からすれば仕事をサボる場所になり、ある者からすると反省し涙を流す場所に変化する。


 そしてまたある者からすれば昼寝をする良い場所にもなるのだ。


「…」


 九条は前回の失態によりエリートとしての自尊心を粉々にされていた。


 経験はなくとも知識はある。


 九条はそれで世界は回るのだと信じていた。

 信じていたのだがやはり現実はそう甘くはない。


「どうして見つかってしまうんだ…」


 めちゃ美人な人を前にすれば動機が激しくなるし、見つかりたくないと思えば思うほど何故か人の注意を引いてしまうのだ。


 そんな悩みを抱えつつ、九条は「自己研鑽」という名のマニュアル読み返しに没頭していた。


「九条君いつまでも落ち込んでないでさ。部長が呼んでるよ。資料室の奥から『明治期の紛失物品管理簿』を出してきてほしいんだって」


 幽谷の呼びかけに、九条は眼鏡のブリッジを神経質に押し上げて答えた。


「……幽谷君。私は落ち込んでいるのではない。マニュアルの行間から『現場の非論理性』を抽出する作業に忙しいんだ。……だがいいだろう。エリートにとってアーカイブの整理は基本中の基本だ」


 ぶつぶつと文句を言いながらも素直に資料室へと向かう。

 九条の良い所は口うるさいが行動に移すのが早いという点だ。



 *******



 九条が資料室に入る。


「ゲホッ…全くここは埃っぽい…掃除されていないではないか。」


 埃を吸い込まないよう口元にハンカチをあてつつも目当ての資料を探す。

 ふと横にある埃の積もった長持ちが目に入った。

 はて、あんな物いつからあったのだろうか。


「…すぅ……すぅ……」


 長持ちの中から何から人の寝息が聞こえる。

 しかし長持ちは大きくはない。せいぜい子供が入れる大きさだ。


 まさか中に子供なんて入ってはいないだろうと思いつつも九条も人間である。


「…すぅ……すぅ……」


 変わらず中から音が聞こえる。

 この長持ちには「何かがいる」


 その湧き上がった好奇心には勝てない。

 九条は長持ちの蓋を儀式のように厳かに開けた、その時だった。



「……ふぁ。なんじゃ騒がしいのぅ」



 中から現れたのは、漆黒のおカッパ頭に引きずるほど丈の長い着物を着た幼女だった。まるで座敷わらしである。蛍光灯の光にさらされ目をシパシパさせている。



 九条はフリーズし、即座に「状況判断マニュアル」を脳内で検索した。



「……。現世庁のセキュリティーはどうなっているんだ。未就学児が資料室で寝ているなど……お嬢ちゃん、親御さんどこかな?許可証がないなら、速やかに退出し給え」


 九条は迷わず彼女を保護すべき「迷子」と断定した。



「なんじゃ貴様。わしは座敷めのうじゃ。年は聞くでないぞ」


 起き抜けにこの憎まれ口を叩けるこの人物も人物である。



「なんて口の聞き方をするキッズだ。とりあえず一緒に僕のオフィスへ来なさい」



「もうちょっと寝ておきたかったんじゃがのぉ…」



 眠い目をこすりながらグズる未就学児は九条に手を引かれ資料室をあとにした。




 *******




「あ、九条くんおかえり。え、その子…九条君の子供?」


 資料室から戻った九条を見た幽谷は驚く。

 子供にもだが甲斐甲斐しく手を繋いで自席のイスに座らせ、世話を焼いている九条にもだ。


「何を馬鹿げたことを。資料室で眠りこけている所を保護したのだ。さ、これで顔を拭きなさい。水も飲みなさい。脱水になってしまう」


「保護って…この子なんだか座敷わらしみたいだね」


「格好などどうでも良い。この未就学児を託児所へ返してくる。業務の邪魔だ」


「邪魔って言ったら可哀想じゃないか。飴食べるかい?」


「良いのか?ハッカ飴が好きなのじゃが」


「未就学児に飴など与えるでない!虫歯の原因になるではないか!」


「え、過保護だなぁ」



 ざわざわとした雰囲気に気づき、津田は九条が資料室から帰ってきたことを知る。

 淹れたての熱いお茶をすすりながら幽谷と九条に目線を移すも椅子に座りハッカ玉を転がしている未就学児を見るや、そのお茶を勢いよく吹き出した。



「…ッっ!!!???」



 津田が即座にめのうの元へと駆け寄ろうと立ち上がる。が、



「(黙っておれ小僧)」



 めのうは鋭い眼光で津田を制し、不敵に笑った。

 津田はその眼光に撃ち抜かれ身動きが取れないでいた。


「どうしたんですか部長?」


 盛大にお茶を吹き出し直立する津田を薄羽が怪訝そうに見やる。


「あ、ハハハ…なんでもないよ。お茶が熱すぎてね」




 遠くで行われている津田をよそに九条は現世庁の保育所の場所を確認している。


「さ、お兄さんと一緒に保育所へ行こう。私の手を握りなさい」



 めのうを連れ託児所へと向かう九条を見送り、薄羽は津田に話しかけた。



「あの子誰なんですか?」


「…現世庁立ち上げからいる重鎮だよ…僕の師匠…」


「またまたご冗談を。部長はお疲れなんですよ」


 震える津田を横目に薄羽は続きの書類仕事を片付ける。




 *******





「いいかいめのうちゃん。離れないようにしっかり手を握っていなさい。君を安全に届けるまでが私に課せられた任務なのだよ」


 九条は保護者としての責任感を胸に、しっかりとめのうの小さな手を握りしめて歩き出した。九条には年の離れた妹がいる。めのう程離れてはいないのだが妹を思い出すのだろう。つい世話を焼きたくなる。


「もうすぐ着くぞ。しっかりついてくるのだ」


 しかし、その直後である。


 ふっ、と。握っていた手の感覚がまるで霧のように消失した。


「……!?」


 九条は驚愕して立ち止まり、自分の手のひらを見つめた。

 つい一秒前まで、確かにそこには柔らかな子供の手の温もりがあったはずだ。


 慌てて周囲を見渡すと数メートル先の廊下の曲がり角から、ひょっこりと黒いおカッパ頭が顔を出した。


「遅いのぅ。九条、おぬし足に重りでもつけておるのか?」


「めのうちゃん! 勝手に離れてはいけないと言っただろう!」



 九条は早足で彼女を捕まえに向かう。

 しかしそこは昼休みと重なり廊下は大勢の職員たちで行き交っていた。


「くっ、めのうちゃん危ない!立ち止まりなさい!」


 九条は人波をかき分け、衝突を避けながら必死に進む。

 しかしめのうは違った。


 彼女は向かってくる巨漢の職員の歩幅の隙間を流れる水のようにすり抜けた。

 ある時は資料を抱えた職員の視線の死角へ。

 ある時は立ち話をしている二人の脇の下へ。


「待ちなさい!」


 九条は彼女の着物の裾を捉えようと手を伸ばすが、指先が触れる直前、めのうはまるで予見していたかのようにスッと重心をずらす。


 彼女は人を避けているのではない。

 人の意識が向かない空白地帯を選んで、最短距離で滑走しているのだ。


「……信じられない。これだけの群衆の中で一度も誰にも接触せず、かつ誰の意識にも残ってはいない…」



「カカッ!ここじゃよ!」



 気づけばめのうは保育所の入口の前でハッカ飴を転がしていた。

 九条は肩で息をしながら、ようやく彼女に辿り着いた。


「おぬし頭は回るが目が見えておらぬのぅ。それでは仕事も出来ぬのではないか?」


「……はぁ、はぁ…君のそのすばしっこさは認めるよ。だが仕事は甘くない。現世の人間は庁舎の職員ほどお人好しではないんだ」


 九条は自分の胸装着された最新型の希薄化装置を誇らしげに指で撫でる。


「確実な仕事を完遂させるのは、この最新技術が導き出す『論理』と『不可視化』だ。君のその身軽さはあくまで子供の遊び……」


 その言葉を遮るように、めのうがふっと九条の懐に飛び込む。


「なっ何をするんだ……!」


「おぬし、おもちゃを過信しすぎじゃ。人の目は気配で物を見る。機械に頼らずとも仕事はできるんじゃよ」


「未就学児が何を言う!」


「今からあそこの受付の机の上にある折り紙を誰にも気づかれずに持って来るがよい。おもちゃなしでな」


「無茶を言うな!」


「いいから行け。空気と喧嘩せず風の流れに乗れ。おぬしが『自分はここにいる』と意識するから、世界はおぬしを弾くんじゃよ」


 めのうに背中をドンと押され、九条はよろけながら保育所のロビーへと踏み出した。


 目の前には、元気な子供たちを預かり忙しく立ち働く職員たちが数名。

 本来なら実体化したまま近づけば一秒で終わりである。


「(……めのうちゃんは何を言っているんだ…だが何故だろう…やるしかないと思えてくる。論理的ではないが……彼女の言う風の流れに乗る感覚……)」



 九条は、めのうの歩き方を必死に思い出た。



 床を蹴らず体重移動を最小限に。

 呼吸を周囲の雑音と同調させ、視線が自分に向く直前に意識の空白へ滑り込む。


 職員が視線を外した瞬間。彼は音もなく受付に移動し折り紙を回収。そのまま再び影となってめのうの待つ廊下へと戻る。まるで景色と同化したような感覚だった。


「できた。装置なしで…」


 九条は自分の手を見つめて震えていた。



「カカッ。少しは風が分かったようじゃな。」


「……めのうちゃん。君は、一体……」


「覚えておけ。最後におぬしを救うのは機械ではなく、おぬし自身の五感じゃ」





 *******





 翌朝。


 確認課に出勤した九条を待っていたのは彼のデスクで堂々とハッカ飴を転がしているめのうの姿だった。


「……めのうちゃん!? どうしてここに!?」


「カカッ。両親が長い出張になっての。しばらくは津田の家で世話になる事になったんじゃ」


 こうして確認課に新たな看板娘、誰も正体を知らない「めのうちゃん」が誕生したのである。


 震える津田を除いては。

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