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第7話 事実は少女漫画よりも奇なり(前半)

 ここはいわゆるあの世。


 …といってもそこら中に鬼がいるわけでも、血の池地獄もなければ針山もない。ましてやキラキラとした草原も、入ったら全身が回復するような泉もなく、読者の皆さまと全く変わらない人間が住む世界が広がっている。


 違う所と言えば、現世で亡くなった方の対応をする地獄庁や現世庁などがあるくらいだろうか。


 なんやかんやあって亡くなった方々は、地獄庁にて裁判を受けその後が決定する。


 そしてその裁判の中で証言不足や強い未練、亡くなった方々の異議などで審理が滞った「判定不能案件」に対し、現世へ赴いて事実確認・証拠収集を行う。


 それが主人公幽谷灯が務める現世庁・記録監査第四室。通称“記録課”である。



 そんなお硬いお役所なのだが、そこにはおよそ公務員には似つかわしくないキラキラとした表紙の少女漫画と、付箋だらけの「恋愛行動心理学」の専門書を積み上げた九条冥人の姿があった。


「……なるほど。このシーンの『壁ドン』と呼ばれる行為は、相手の逃げ道を物理的に封鎖し強制的に視覚情報を自分のみに限定させる高度な心理戦術……。ふむ、論理的だ」


 九条は眼鏡をクイと押し上げ真剣な面持ちで漫画を熟読している。

 その隣で本作主人公である幽谷灯が引きつった顔で口を開いた。


「九条君。仕事中に何してるの。それ『君の心にバックドロップ』っていう超王道少女漫画だよね」


「幽谷君、言葉を慎みたまえ」


「いや慎まないよ。仕事してよ書類溜まってるんだから」


「これは『実戦』に向けたシミュレーションだ。私は次回の任務に向けて女性という名のバグだらけの個体を完全に攻略するアルゴリズムを構築中なのだよ。邪魔しないでいただきたい」


「美影さん苦手そうだもんね」


 黒井戸美影を簡単に説明するとこうだ。


 立てば芍薬座れば牡丹、口を開けばほぼマフィア


 である。幽谷と九条の1年先輩だ。


 任務態度が大きすぎるがゆえに先日から確認課に配属された九条は女性に免疫がない。そんな人間に美影をぶつけたらどうなるかは想像に固くない。


 幽谷はチラリと専門書を覗き見る。


 そこには『フェロモン感知時の回避ステップ』や『瞳孔散大に対する有効な返答パターン』といった理屈っぽい項目に付箋が貼り付けられていた。

 ふと幽谷は疑問を口にした。



「九条君もしかして今まで一度も女性と、その…お付き合いした経験ないの?」


 その言葉に九条の手の動きがピタリと止まった。


「…経験?ぐ、愚問だね。私は『エリートのための交際術』をA判定で修得している」


「知らんけど」


「実戦などマニュアルの出力に過ぎない。ただ生身の女性は、こう…非論理的な熱量を帯びていると聞くからね。念のための……予防接種だ」


「で、お付き合いした事はあるの?」


「貴様こそどうなのだ!その、付き合った事はあるのか!」


「ないけど」


「こいつ…!女性経験が皆無な事を平然と言ってのけやがった…恐ろしい…!」


「で、お付き合いした事はあるの?」


「うううう…うるさい!」


「ナカマ。オマエ。」


 どこか人生を悟ったかのような幽谷の問いに九条の耳がわずかに赤くなる。

 それを見逃さなかったのは紫煙と共に現れた美影だった。


「あ?なんだその真っ赤な耳。お前漫画読んでまで予習しねぇと女の前に立てねぇのかよ。潔癖エリート様が聞いて呆れるねぇ」


「黒井戸君!出てくるならちゃんと予告し給えよ!野蛮な君にはわからないだろうが、これは高貴なエスコートのための準備だ」


「エスコートねぇ。お前、こないだ女子校で女子生徒の『え、キモーい』って声にびびって心臓止まりかけで転送されてきたじゃねぇか。最高にダサかったぜ?茹で上がったタコみてぇでよ」


「ぐっ……あれは、音響学的に不快な周波数だっただけで……!」


「はいはい。そんなに自信があるならさっさと部長から任務もらってこいよ。お前のその論理的恋愛(笑)がどこまで通用するか見物といこうじゃないの。あぁ?」


 美影の美しい顔が眼前に迫ってくる。

 九条はプルプルと震えながら立ち上がった。


「見ていたまえ! 私の完璧なロジックで現世の女性を……その、陶酔させてみせる!」


「陶酔(笑)」


 九条は逃げるかのような足取りで少女漫画を小脇に抱えながら津田の元へと向かうのであった。



「部長!この九条冥人、現世の不規則な変数(女性)を完全に制御するメソッドを確立いたしました。次の任務をお与えください。」


 九条がビシィッと机を叩くと、津田部長は湯呑みを置いていつもの仏のような笑顔を向ける。


「それは頼もしいね。ちょうど君のようなスマートなジェントルメンにしか務まらない、繊細な案件が来ているんだ」


「……ほう。私にしか務まらない?」

 九条が露骨に口角を上げる。

 背後で美影が「うわ単純……」と呟くのも耳に入らず。


「対象は銀金台の高級マンションに住む白鳥麗華さん。最近亡くなった大富豪の隠し子じゃないかって話があってね。内容によっては判決に影響が出るんだ。大富豪によれば彼女の部屋に一緒に撮った写真があるそうなんだ。それを回収してきてほしいい」


「なんだ、簡単ではないですか」


「ただね彼女、ものすごく鼻が利くというか…他人の気配に敏感でねぇ…過去に送った調査員はみんな失敗してるんだよ」


 津田が差し出した写真には氷細工のように美しく、そして冷徹な瞳をした美女が写っていた。


「(カワイッ!美しっ!無理!)」


「ん?なにか言ったかい?」


「ゲフンゲフン…白鳥麗華。ふん…論理的な美しさだ。いいでしょう、私が最新の恋愛心理学に基づいた『不可視のエスコート』で、彼女に悟られずかつスマートに任務を完遂してみせますよ」


「期待しているよ。見つからずにスマートにお願いね」


「愚問である!!」


 九条は小脇に少女漫画を抱え直し意気揚々と転送ゲートへと向かった。



「部長…同行した方がいいでしょうか?」

 幽谷の不安げな問いに津田はニコニコしながら答える。


「今回は一人で行かせよう。知識だけの頭でっかちだと物事はうまく進まない事をしっかり学んでもらおう。経験は最高の教科書だよ」


 知識のみで女性に挑む。

 色々な経験がない九条は一体どうなってしまうのだろうか。


 幽谷は不安を覚えながらも「まぁいいや」と自分の仕事に戻るのであった。


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