第6話 プライドは漂白したほうがいい
「……はぁ。またこれか…」
ここはとある高層オフィス。
窓の外に広がる三途の川を見下ろしながら、人事部長が深くため息をついた。
「色々とご面倒をおかけしてしまい…」
そこには深々と頭を下げる気弱そうな男が一人。
デスクにはある男が提出した『同僚のネクタイの曲がり具合と業務効率の相関性について』という三ページにわたる苦情書が置かれている。
「優秀な社員なのですが…いかんせん我が強すぎまして。おまけにあの潔癖症。同期の間でも、あいつと一緒に昼飯を食べると栄養素の計算を始めてうるさい、と苦情が絶えませんで…どうしたものかと思いまして」
気弱そうな男は人事部長の顔色を伺いながら報告を行う。
「それを教育するのも君の仕事かと思うのだかね」
「面目次第もございません」
「仕方がないか。あれの父親は地獄庁のお偉いさんだ」
「どうしたら良いでしょうか…」
「仕方がない。少し教育が必要だ」
高官は受話器を取りある番号へダイヤルした。
「……あぁ久しぶり。ちょっとね、新人を送り込みたいんだけど…今度飯でもおごるからさ」
*****
その数十分後。
現世局・記録監査第四室ではすでに激しい火花が散っていた。
「……あの、九条さん。さっきから僕のデスクに除菌スプレーかけるのやめてもらえませんか?」
幽谷が、湿り気を帯びた自分のキーボードを指差して抗議する。
九条は眼鏡を指で押し上げ、そんな幽谷にゴミを見るような視線を向けた。
―九条 冥人
地獄庁のお偉いさんを父親に持つ、幽谷と同じ新卒社員だ。
髪は生まれてこの方、風に逆らっても乱れたことがないのではないかと思うほど端正に撫でつけられ、黒曜石のようにつやつやと光っている。
眉はきりりと整い無駄な一本すら存在を許されていない。
ゆくゆくは花形である地獄庁への道のりが約束されているであろうエリートである。
あるのだが人に厳し過ぎる性格をしているようだ。
「幽谷君。君のデスクの菌指数は三途の川の底に沈んでいる亡者の靴下よりも高い。私は清潔な環境でなければ思考の純度が下がるタチなんだ」
「靴下って……!これでも毎朝拭いてるんです!それに確認課は現場仕事なんだから多少の汚れは味じゃないですか」
「味?ほう。その思考停止があの大失態を招いたわけだ」
九条は懐から手帳を取り出し流れるような動作でページをめくる。
「飛び降り地縛霊、ターボジジイ、井戸の貞子、UFO捏造…君が味と呼んでいるのは、組織の威信を泥水で煮しめたような醜態のことかね?」
「うっ……それは、不可抗力っていうか……」
「不可抗力という言葉は無能が自分の準備不足を神のせいにするための免罪符だ。君の移動ルート、呼吸のタイミング、独り言の音量……すべてが非論理的で汚らしい。そんなゴミのような業務を続けていてよく給料がもらえますね。私なら恥ずかしくて今すぐ輪廻転生しますよ」
「なっ!そこまで言わなくてもいいだろ!僕だって必死に」
「必死は過程であって成果ではない。君の脳蓋の中には脳の代わりに綿菓子でも詰まっているのか?その様子では女性にキャッキャされた事もないのだろうな」
「なんだと!くっ、論破してやる……えーとつまりその…」
顔を真っ赤にして反論しようとする幽谷。
しかし九条の「立て板に水」の正論に言葉が詰まる。
そこへ紫煙と共にドスの利いた声が響いた。
「……おい、そいつ一発殴らせろ。我慢の限界だ」
現れたのは、不機嫌面を下げた黒井戸美影だった。
「なんだ君は…暴力か?野蛮な。マニュアルによれば」
九条の饒舌な口が、ピタリと止まった。
美影が九条の鼻先数センチまで顔を近づけたからだ。
「あ? なんだよそのツラ。あいつは確かにバカだが、うちのバカだ。部外者のエリート様に綿菓子呼ばわりされる筋合いはねぇんだよ。お前新卒なんだろ?数ヶ月しか働いてねぇ新卒に仕事の何がわかるってんだ、あぁ?」
美影の吐き出す毒素と、至近距離での「女性」の圧力に九条の脳がフリーズを起こす。
黙っていれば美人なのである。黙ってさえいれば。
「お前も女にキャッキャされた事ない顔してるぞ?オイ」
図星である。狙った女性に自分の魅力をアピールするのだが皆散り散りに消えていく。
九条はその理由がわからない。
「あ、あ……う……ち、近い!女性がこんな至近距離に……不潔だ!不潔だ!その左右で3ミリズレた非論理的な髪の結び方は!」
「んだとテメェ表出ろ。その眼鏡の度数を左右逆にしてやる」
「ひいっ暴力!」
九条は半泣きで津田部長の背後に隠れた。
「津田部長!この部署は狂っている!この野蛮な女から私を引き離したまえ!」
「はい、じゃあ皆仲良くなった所で」
「断じてなっていない!」
「任務。いってらっしゃい」
「…はい」
ニコニコとしたその瞳の奥に隠れた殺気を感じ取ったのか、九条は大人しく書類を受け取る。
ぎゃあぎゃあと任務に向かう幽谷と九条の背中を見つめ、薄羽が聞く。
「どうしたんですか」
「んー、教育」
「大変そうですね」
「あの子のお父さんからも厳しくしてやってくれって言われちゃって」
「若いっすね」
「若いっていいよねー」
*****
深夜、郊外のコインランドリー『ふわふわ丸』。
今回の任務は、亡者のお気に入りだった靴下を探してほしいとの事だった。
「なんですかこの任務は」
「お気に入りだった靴下の片方を紛失しちゃって、もしかしたらコインランドリーにあるのかもって気になって仕方ないらしいよ」
「くだらない。時間の無駄です」
「そういう人がいたっていいじゃないか」
「まぁいいでしょう…フタを開けて確認する。私の計算では180秒で終わります。見ていなさい」
幽谷は近くの電信柱にて待機し、九条は最新型の「不可視化スーツ」を起動し姿を消した。
このスーツは研究課に父親の名前をちらつかせ無理を言って作らせた九条だけのものだそうだ。クドクドと自慢されたがよく覚えていない。
そんな素敵で最強なスーツを起動し九条は優雅な足取りで対象の3号機の前へと立った。だが。
「……?……ぬ、ぬぅ……?」
フタが開かない。
対象のコインランドリーは回し始めた直後だったらしく、ガッチリとドアロックがかかっていたのだ。
「開かないのかよ」
幽谷の呟きに姿の見えない九条が逆上したのが分かった。
「マニュアルによれば、この型番は上方に45度の角度で40キログラムの負荷をかければロックは強制解除……されるはず!」
どうやら九条は「引いてダメならもっと引け」という脳筋な思考回路をしているようだ。
先程まで理詰めの正論をかましていたというのに。
九条がスーツの出力を上げ力任せにフタをこじ開けようとした、その時だった。
パチッ。
乾燥機から発生していた猛烈な静電気が九条のハイテクすぎるスーツに干渉し、不可視化機能が激しくバグを起こす。
九条の身体は消えたままだが洗濯機を全力で引っ張っている紺色の高級スーツの両腕だけが、この世に実体化した。
ガタガタガタガタガタガタッ!!
無人のランドリーに洗濯機を破壊せんばかりの金属音と、
宙に浮く「腕」が必死に悶える光景が広がる。
「ヒッ、ヒィィィィッ!!」
奥で漫画を読んでいた家出少年が、ひっくり返ってスマホを掲げた。
画面に映るのは誰もいないはずの空間から生え、猛烈な勢いでフタを引きちぎろうとしている腕。
九条が焦ってこじ開けようとしたせいでフタの動きはさらに不気味さを増し、「ガタガタ」という怪音が夜のランドリーに響き渡った。
「腕だ! 洗濯機の腕だぁぁぁ!!」
*****
戻ってきた二人を待っていたのは、爆笑する美影と引きつった笑顔の津田だった。
「衝撃映像!ランドリーのテケ腕…ヒヒヒヒ…!さすがエリートは違うなぁ!」
「…そ、それは…」
「おまけに蓋を無理やり開けて壊すとはなぁ!ヒヒヒ…っ!」
ニヤニヤと画面を九条に見せながら大笑いする美影。
「……あ、ありえない……計算では……」
九条は自分の腕を呆然と見つめたまま固まっていた。
幽谷はそっと九条の肩に手を置いた。
「始末書の書き方教えますから来てください」
九条は無言で席に座る。
その横顔は洗濯機と格闘した時の情熱を失い、漂白されたかのように白かった。




