第5話 プロフェッショナルの缶コーヒー
「あ、幽谷君ちょっと」
にこやかな表情で手招きされ津田に呼ばれる。
この部長は自身の感情とは反対に笑顔を浮かべることが多い。
となるといい話ではないという事か。
「今日は薄羽についていってもらえる?」
「はぁ。でもどうしてでしょうか?」
「先輩の仕事っぷりを少し見てもらったほうがいいかなと思って」
先日やらかした「井戸から貞子」の件を言いたいのだろう。
ニコニコしたその表情には「もっとしっかり仕事しろ」という言葉が張り付いている。
直接的な原因は自分ではないのだが…と、ちらりと美影のデスクに目をやる。
目があった瞬間そそくさと逃げていく。卑怯だ。
「承知しました」
何も言い訳はしてはならない。悪いのは自分(と美影)だ。
深々と頭を下げて自分のデスクへと戻る。
「今日は俺に同行するんだってな」
「色々とすみません」
―薄羽 朧。
存在感が薄すぎてたまに椅子しか見えない時があるこの人は、確認課では「完璧人間」と呼ばれるプロフェッショナルだ。
効率重視で無駄を嫌う。
かといって冷酷な人間ではない。
その見た目からしてファンも多いらしく、影でキャッキャしている女子社員も多い。
さぞかしプラベートはスーパーキャッキャしているのだろう。
そんな妄想を勝手にして勝手に嫉妬する。
青春をオカルトに捧げてきた幽谷ができる事はこのくらいである。
「…おい、聞いているのか」
「あ、スイマセン」
「今回の任務は都心の駅前の自販機の隙間に落ちた財布の確認だそうだ」
現世の人間が「あの財布には宝くじの当選券が入っていたんだ!」と死後裁判でごねているらしい。
大変くだらない理由である。
当選していたから何だというのだ。金を使う「体」がないのに。
「俺は無駄を好まない。さっさと片付けて帰還する」
キリリとした表情に男である幽谷も思わずドキッとする。
「俺の仕事を見ておけばもう大丈夫だ」
「…はい!」
この先輩の良い所は非常に男気のある所だ。
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば人は動かじ
そんな名言が聞こえてきそうである。
今日は学ぶことが多いかも知れない。
幽谷は薄羽のたくましくも細い背中を誇らしげに見つめ後に続いた。
*****
深夜の古宿駅前。
誰にも見られてはいけない確認課の人間からすると、深夜であれここ古宿駅前はかなりの高難易度である。が、薄羽にはそんな事は関係ない。
「装置、起動」
薄羽が胸元の存在希薄装置、通称『消えるやつ』のスイッチを入れる。
「俺の後ろを離れるなよ」
どこぞのかっこいい主人公がヒロインに言うようなセリフだ。
薄羽だから成立している。これが幽谷であれば誰も付いてこない。
そして彼は雑踏の中へ溶け込むように走り出した。
ただ走るのではない。歩行者の視線の死角を縫うように、一瞬だけ止まり、一瞬だけ加速する。
装置が作動しているので視界には入らないのだが念には念を入れる。
装置の制限時間は3分。幽谷ならパニックになるところだが薄羽は時計すら見ない。
さすが経験を重ねただけはある。
気がつけば現場に到着していた。
なるほど、無駄がない。
「……確認終了。中身はレシートのみ。あいつ嘘ついてたな」
該当の自販機の裏に素早く潜り込み戻ってきた薄羽は路地裏の影に滑り込んだ。
ここまで誰にも見られていないだろう。
完璧だ。これがプロ。これが確認課の真髄。かっこいい。
これは女子にキャッキャ言われても仕方ない。
「先輩すごいです! 感動しました!」
「……ふん。帰るぞ。だがその前に……一つ寄り道をする」
*****
薄羽が向かったのは駅前のきらびやかな場所から少し離れた、昭和の香りが漂うシャッター通りだった。
そこには今にも壊れそうな1台の古い自販機がぽつんと立っていた。
装置を起動し機敏な動きでここまでやってきたのは言うまでもない。
言うまでもないのだが。
「先輩…ここ任務に関係あります?」
「……静かにしろ…確か噂ではここに…あった。『剛腕・ブラック』だ」
「は?」
それは現世で30年ほど前に流行ったきり絶滅したはずの、やたらとカフェインが濃いだけの缶コーヒーである。一時期爆発的に流行ったのだがまだ存在しているようである。
「あの世の缶コーヒーはどうもパンチが足りない。鉄の味がするほどの苦味……これがいいんだ」
先輩の目が、任務中よりも鋭く光る。
彼は迷わず140円を投入し、ボタンを押した。
ガコンッ!
小気味よい音と共に、銀色の缶が転がり出る。
薄羽がそれを手に取り、愛おしそうに見つめる。
「先輩」
「なんだ。邪魔するな」
「なんスかそれ」
「剛腕・ブラックだ」
「いや名前のことじゃなくて。さっき“俺は無駄を好まない”とかドヤってませんでした?」
「これは無駄ではない。趣味だ」
「趣味」
「現世の缶コーヒー集め、それが俺の趣味だ」
「はあ」
「剛腕ブラックがここにあるとの噂は聞いていたがまさか本当にあるとはな…ふふ…この剛腕ブラックは生産終了し幻と言われていたんだがメーカーが密かに製造をしていてだな、マニアの間では生きる伝説とも言われていてな。味もいいのだがデザインも良くてな。見てみろこの毒々しい赤い文字の」ブツブツブツ
「早口気持ち悪いんスけど」
人というのは完璧ではない。どこか歪んでいてこそである。
だが薄羽には歪んでいて欲しくなかったと思う幽谷であった。
薄羽が薄ら笑みをたたえながら缶コーヒーを開けようをしたその時である。
「ベンベン!ハローY TUBE!ミミカキンだよ!今日は真夜中の生歩き配信していまーす」
自販機の向こうから、自撮り棒を持った若者が現れた。
「ミミカキン…ッ!」
薄羽は咄嗟に『消えるやつ』を起動する……が。
「あ」
装置のランプが赤く点滅し、一瞬で消えた。
薄羽の姿が夜の街に実在したままになっている。
任務中は十分すぎるくらいの残量を残していたのだが、寄り道のせいで電池切れを起こしていた。
「もう夜中だし人はいないかなー?」
「…シィ…ッ!」
薄羽はカメラのレンズがこちらを向くコンマ数秒前、驚異的な反応速度で幽谷を抱え自販機の裏の狭い隙間へと滑り込んだ。
だが、誤算が一つ。
買ったばかりの『剛腕・ブラック』が指先から滑り落ち、放り出されていたのだ。
「……え? 待って、今の見た!?」
ミミカキンが大げさに叫ぶ。
カメラが捉えたのは、誰もいない自販機の前で「ふわりと宙を舞う銀色の物体」だった。
自販機の裏に隠れた薄羽は姿を晒すわけにいかない。
しかし、せっかく出会った宝物の缶コーヒーは何としてでも奪還したい。
空中でふわりと弧を描く缶コーヒー。その名も剛腕・ブラック。
地面に落ちれば缶がボコボコに折れてしまう。
焦った薄羽は足元に落ちていた「掃除用の火バサミ」を隙間から突き出し、見えない位置から缶を回収しようと試みた。
「…(何やってんスか先輩!)」
「…(うるさい!俺の剛腕ブラック!)」
しかし、その焦りが仇となる。
隙間から必死に伸ばされた火バサミの先端が、缶を掴むどころか勢いよく上空へと弾き飛ばしてしまったのだ。
「うわぁあUFO?!銀色の円筒形物体が変な動きで動きで飛んでったぞ!!」
配信画面の中では缶が自らの意思で重力を振り切り、夜空へ消えていったように写っていた。動画は大きくバズりミミカキンの登録者数は更に増えていったのである。
*****
戻ってきた幽谷達を待っていたのは、スマホを片手に笑顔を引きつらせている津田だった。
「古新宿にUFO出たみたいだね」
「…」
薄羽は津田に深々と頭を下げると自席に戻り、無言で始末書を広げ震える手でペンを走らせていた。いつにも増して存在感が薄くなっていた。
同じく津田に深々と頭を下げた幽谷がトボトボと自席に着くとボソリと呟く。
「…あの自販機、明日からオカルトマニアが集まってもう買えないだろうな」
幽谷は遠い目で薄羽の綺麗な横顔を見つめた。
そういう事ではない。
「俺……もっと、しっかりした人間になります」
幽谷は確かな学びを得て自分の始末書を書き始めた。




