第4話 黒髪の先輩
本日は快晴なり。
通勤途中に野良猫を見かけたので小さくニャアと言ってみた。
期待はしていなかったがニャアと返された。
黒と白のハチワレ猫は少し汚れてはいたが、目がくりくりとしていて可愛い。
近づいても逃げることなく小さな頭を撫でさせてくれる。
ふわふわとして柔らかい。なんとも愛おしい生き物である。
「今日はなんだかいい日になりそうだ」
幽谷はぽーっとした気持ちで確認課へと向かう。
その予感は薄羽に呼び止められた時点で崩れ去った。
「今回は2人で行け」
それだけ言われて、先輩の隣に立つ人物を見る。
「…」
その人物はムスッとした表情で自分を睨んでいる。
黒髪ロング。腰まで届く量の多いストレートを雑に一つに束ねている。
表情は常に不機嫌。というか機嫌が良いところを見たことがない。
―黒井戸 美影。
記録課でもっとも口が悪い先輩だ。
「…なんで私がコイツと組むんですか?」
開口一番「よろしく」でもなく「こんにちは」でもなく。
「…(俺だってそうだよ)」
泥だらけになって帰還した時、この世の悪口を全て詰め込んで煮込んで油でカラッと揚げた塊を剛速球でぶつけてきたのがこの美影との最初の出会いだった。
シンプルに言うと最悪である。
「そう怒るなよ。今回行く場所は山の中だ。女性に何かあったら大変だろう」
「…(そんな気遣いされた事ないんですけど?)」
薄羽は「野郎はどうでもいい」を信条に仕事をしているのだろうか。
海底でも山頂でも豪雨でも嵐でも現世調査でそのような気遣いをされた記憶がない。
幽谷は「おかしくね??」という心の叫びをぐっと飲み込んだ。
「…わかりました…先輩はそうおっしゃるなら」
先程の勢いはどこへやら。赤ら顔でもじもじし始める美影。
少なからず薄羽の事を思っているのだろうか。
幽谷はそのへんの機微がだいぶ良くわかっていない。
分かっていないしどうでもいい。
「…おい新人。勘違いすんなよ」
「は、はい……」
先程のもじもじは何処へやら。
ドスの利いた声で脅されたが、一体何を勘違いするのか。
青春をオカルトに捧げた幽谷はなにもかもが分からなかった。
今回の依頼は山間の村にある。亡者の訴えはシンプルだ。
――自分が飼っていた猫がその後どうなったのか知りたい。
「分かってると思うけど確認するだけ。余計なことはするなよ」
現世へ転送される直前に美影はピシャリと言い放った。
いつも何かしらの「お土産」を持ち帰る幽谷への嫌味だろう。
「分かってますよ」
聞こえるか聞こえないかの声で反論をする。
転送されて美影はもういないのだが。念の為である。
******
村は想像以上に静かだった。
人影はほぼない。確認課の人間にとっては仕事がやりやすい。
だが空き家の多さが昼間でも妙に心細い。
掲示板に貼られたポスターには「村に人を呼ぶイベント発案会」の文言が。
そもそもこのポスターを見た人間はいるのだろうか。
そう思わせられるほど人の影がないのだ。
「ここ限界集落ってやつですよね。この先どうなっちゃうんですかね」
幽谷が思わずそう呟くと
「知るか。余計なことは考えるな。仕事しろ」
即座に切り捨てられた。
分かってはいる。いるのだが。
「ちょっと冷たくないスか?」
「あ?だったら何なんだよ」
「薄羽先輩にはそんな感じじゃなかったのになー!変だなー!」
「…ッ…うるさい!あれは」
口論に発展しそうなその時、民家から声が聞こえてきた。
「ミケざぶろうちゃーん!どこー?ミケざぶろうちゃーん?」
その住人は何やら慌てた様子で名前を呼んでいるようだ。
「あれ?ミケざぶろうって」
ガサゴソと依頼書を確認する。
そこには今回の主役である、飼い主を亡くした猫の名前が記載されていた。
間違いない。
「ミケざぶろうって…」
どんなネーミングセンスしてるんだよ、と心の中で突っ込む。
どうやら猫は依頼人の隣家の住人に引き取られているようだ。
「ここで世話になっているようだな。確認作業終わり。帰るぞ。」
「え?」
「あ?」
「あ、いや…、猫ちゃん見当たりませんけど」
庭にも家の中にも姿が見えない。
新しい飼い主も先程から探しているようだった。
「でも猫は隣が飼ってるのが分かったしいいだろ」
「それでいいんですかね。猫も確認した方が」
「飼っている事実は変わらないだろ」
「依頼主も飼い主も安心すると思うんですけど」
「そんな事知ったことか」
「その方が先輩褒めてくれると思うんですが」
「ミケざぶろう探すぞ」
女心というのは良く分からない。
分からないが先輩の名前を使えば操れそうではある。
******
いなくなったミケざぶろうを探すこと数時間。
気がつけば真夜中である。
「ミケざぶろういないっスね」
「…」
とんでもなくぶすくれている。
ぶすくれたいのはこっちも同じだ。
「どうしましょうかね、帰りますか?」
「…うるさい。見つけるまで帰らない」
「薄羽先輩に褒めてほしいんスか?」
「うるせぇひっぱたくぞ」
「ひっ…!」
「お前、薄羽先輩の名前出せばいいと思って!」
どうしてそんなに美人なのに、どうしてそんなに口が悪いんだ。
殴りかかろうとするジェスチャーまでしてくる。
「ひいぃっっっ…!」
反射的に頭を守る体勢になってしまう自分も自分で情けない。
その時だった。
「……猫の声、しません?」
わずかに猫の声がする。だがその声は震えて心細い。
「あぁ?しねぇよそんなもん!」
「シー!」
いらつく美影の口を手で覆い、あたりの物音に神経を集中させる。
「ニャア」
間違いない。確かに猫の声だ。
あたりを見回すと空き家があり、そこから声が聞こえる気がする。
近づいてみると民家の庭先にある古井戸の縁に、猫がちょこんと座っていた。
「猫!この子きっとミケざぶろうちゃんですよ!」
「お、おぉ…」
ミケざぶろうと名前を呼ぶと小さくニャアと返事をした。
「可愛い…ミケざぶろうちゃん…」
美影は部類の猫好きなようで目を輝かせている。
口うるさく暴力的ではあるが猫好きという点は好感が持てる。
「おうちに帰りまちょうねぇ…へへへ…お姉さんがいいとこ連れてったげるよぉ…」
高い声であかちゃん言葉を使いニヤニヤジリジリと猫に近づく美影。
見てはいけないものを見ている。幽谷はそんな美影を直視しないようにした。
「……フーッッ!」
猫も猫で焦ったのだろう。
黒髪ロングの女がニヤニヤとしながら近づいてくる。
身を守る本能が発動したっておかしくない。
この迫りくる脅威に井戸の縁の上で右往左往している。
「危ない!危ないよ!猫ちゃぁん!落ちちゃうにゃあ!」
危ないのはお前だろ、と喉の奥から出そうな言葉を幽谷は無理やり飲み込んだ。
「猫ちゃんゲットだぜ」
可愛いモンスターをゲットするアニメが如く、その身をボールに見立てて猫の捕獲へと飛びかかる。猫好きは猫を目の前にするとちょっとアレになるようだ。
妙な学びを得た幽谷をよそに、そのボール、もとい美影は猫の胴体に触れたと思ったが次の瞬間、ヒラリと避ける猫を横目に見る。
指先に残ったのは毛の感触に似た空気だけであった。
そして同時に幽谷の視界から美影が消えた。
どぼんという鈍い音と共に。
「美影先輩!」
幽谷が駆け寄った時にはすでに遅かった。
古井戸という事もあってか全身ドロドロである。
「大丈夫ですか!?」
「うるせぇ早く引き上げろ!」
「…ぷっ……はい」
「おい今、笑ったか?」
「あ、いえ全然笑ってないっス。ぶふっ……」
「てめぇ…ちょっと待ってろ今行くからな」
美影は自身を笑う幽谷を仕留めるべく、井戸から這い上がろうと壁の石に手をかける。
「ひいぃっっっ…!」
普段汚れた格好で帰還すると罵声を浴びせてくる美影が、猫にメロメロになった挙げ句、意味不明な事を口走りながら井戸へ落ち全身がドロドロなのだ。
これを笑うなという方が難しい。
そんな最中、どこからともなく声が聞こえてきた。
「誰かいるのか?」
「!」
大きな音に気づいたのか、はたまた二人の口論がうるさすぎたのか、一人の老人が懐中電灯を持って近づいて来る。
「まずい。あの世への転送機能ONにしたのでここで大人しくしていてください!」
笑うのを堪えているのか幽谷の声が震えている。
「あ?何の事だてめぇ」
「5分後には転送されますから!僕はミケざぶろうちゃんを家に届けます!」
「逃げんなこの野郎ぉ!」
井戸の縁に鎮座するミケざぶろうを小脇に抱え、幽谷は飼い主の元へと走った。
逃げたという方が正解か。
******
「なんだ?」
権三郎は夜中の物音に飛び起きた。
何やら人が争っているような声がする。
だがこの村には真夜中に争うような若人はいないはずだ。
若人。
ふと何年も前に都会に行った息子を思い出した。
息子とは何年も連絡を取っていない。
会えば喧嘩が絶えず、喧嘩別れとも言っていい。
この村は俗に言う限界集落だ。
住人は少なく皆高齢者ばかり。
そんな事ではいけないと人を村に呼び込むアイデアを募るも何も出てこない。
話題になるようなホットスポットも、名物になるような食べ物もない。
だから余計に声が気になった。どうやら喧嘩をしているようだ。
権三郎は懐中電灯を手に物音がする場所へと向かった。
向かいの空き家だろうか。
何もないこんな村だが愛着がある。何かあってはやはり困る。
「誰かいるのか?」
恐る恐る空き家の裏手にある庭へと近づく。
そこには何かおぞましい気配があった。
懐中電灯の光が弱々しく井戸を照らす。
確かに気配がする。この世のものではない気配。
―まさか。
権三郎は小刻みに震えながら昔を思い出す。
自分が小さい頃に村長からこんな話を聞かされた事がある。
この家に住んでいた女が賊に襲われ、逃げている最中足を滑らせ井戸に落ちた。
住人が必死に探すも見つからずそのまま命を落とした。
発見された時その女は泥にまみれ、目を覆うほど無惨だったという。
それからというもの、その女は夜な夜な井戸から這い出て、自分を見つけてくれなかった住人への恨み節を撒き散らしながら、その身を清めるために水を探し求め徘徊する。その女と出会ってしまった人間は井戸に落とされてしまう。
だからこの空き家、特に井戸には近づいてはならない。
子供を井戸から遠ざけたい大人のホラ話だと思いここまで年を重ねたが、あれは本当だったのか。
その時である。
井戸の底から、ぬるりと音がした。
「まさか」
嘘であってほしい。
権三郎はガタガタと震えながら物陰に隠れ生唾を飲む。
震える手でスマホを取り出し、何年も会っていない息子にビデオ通話で連絡する。
もう終わりかも知れないと思うと最後に息子の顔が見たかった。
突然の連絡に戸惑うも、なんだよと聞こえる息子の喧嘩腰の声。
声が出ず今起きている事にカメラを向ける。
権三郎は目を離せないでいた。
画面の向こう側にいる息子も言葉を失っていた。
井戸の中から、ぬっと手が伸びる。
濡れた服が井戸の縁に擦れぴちゃりと水滴が落ちた。
その瞬間、腐った水と古い布の臭いが空気に混じって漂ってくる。
そして井戸の縁に両手をかけると、ぐっと頭が持ち上がる。
顔を完全に覆い尽くすほど長く重く、そして水を吸った黒髪が前へ前へと垂れ下がっている。
揺れた黒い髪がゆっくりと左右に割れ、
その奥から、一つの目があたりを見回す。
「あの野郎ぉぉ……許さねぇ……(幽谷)」
彼女は震えながらこの世の怒りを口にする。
そして井戸から這いずり出る。
人間の動きを模倣することをとうの昔に諦めたような動きで。
「洗わないと…見せられない…(薄羽に)」
少しづつ、少しづつ。
カクン、カクンと不規則に止まりながらそれでも確実にこちらへと向かってくる。
噂は本当だったんだ。
老人は恐怖のあまりその場で気を失った。
老人の映す画面は、這いずる女の身体がゆっくりと薄くなり始めるのを捉えている。
画面の向こう側にいる息子が目を凝らす中、女は音もなく消えていった。
そこには――這いずった泥の跡だけが残っていた。
******
「二人ともおかえり。どしたのその格好」
自席でコーヒーを飲んでいた津田部長がびっくりした様子で2人に声をかける。
一方はシャワーを浴びたのか、タオルを首にかけている。
一方は両頬にビンタを食らったのか、涙目である。
「「…なんでもないです…」」
「あらら、お二人仲がいいね」
「「仲良くないです!!」」
******
ある村では「井戸から這い上がる黒髪の女」が出るのだそうだ。
動画がSNSで拡散されると、噂は一気に広まった。
これは村興しに使えるとひらめいた村人の老人達は、
井戸の怪談話を復活し、夜には肝試しツアー、古民家を改装し簡易宿泊所を作り、村の入口には黒髪女のイラスト看板を立てた。
老人とは呼べない程の速さである。
動画配信者が訪れ、週末には少しづつ人が来るようになった。
自然に囲まれた環境を気に入り移住してくる者も増えた。
村興しに一生懸命な権三郎を見た息子も軽口を叩きつつ自分の家族を連れて戻ってきたようだ。
「井戸から這い上がる女を見たぞ」
「写真に写った」
「声を聞いた気がする」
目撃談は増殖した。
だが誰一人、本物を見た者はいなかった。
それでも村は潤った。
幽霊がいた方が、人は幸せになることがあるらしい。




