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旗本・大名の家臣で残った戦国大名家(歴史雑談)  作者: 伊丹 美鈴


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第2話は今川家です

 第2話は今川家です。駿河国・遠江国・三河国を支配した戦国大名の今川義元さんが有名ですが、桶狭間の戦いで討死してしまったため、その後今川家は衰退し、今川氏真さんの時に領地を失い戦国大名としては滅亡します。今回は、今川氏真さんとお孫さんで高家初代当主となった今川直房さんが主な話です。

 今川家の先祖はというと、第1話の武田家と同じく清和天皇から始まる清和源氏です。鎌倉時代中期に足利義氏の庶長子である長氏が三河国吉良荘の地頭として現地に移住し、さらに吉良長氏の次男である国氏が三河国幡豆郡今川庄の3か村に地頭職を分け与えられて、今川氏を称するようになります。

 足利一門で吉良家の分家として、足利尊氏に従って各地で戦功を挙げたことから今川範国が遠江国と駿河国の守護に任じられます。その後、代々駿河守護職は今川家が世襲していきますが、遠江守護職は変更されることもあり、応永26年(1419年)以降は斯波氏となっていました。

 応人の乱の時は、今川義忠は東軍に属し、西軍である遠江守護であった斯波吉廉と対立します。しかし、遠江出陣中に討死します。後継者は、龍王丸(後の今川氏親)が4歳であったため、小鹿範満が龍王丸が成人するまで家督代行ということで話がつきます。しかし、龍王丸が15歳になり成人しても家督の返還がないため争いが起きます。この時に幕府から派遣された伊勢盛時(伊勢宗瑞=後の北条早雲)が活躍し、氏親が家督を継ぎます。

 今川氏親の時に遠江奪還を図ります。永正5年(1508年)に遠江守護に任じられると、永正13年(1516年)に引馬城を攻略、斯波義達は降伏します。

 今川氏親が亡くなると、今川氏輝が継ぎますが、急死します。また、続いて弟の彦五郎も亡くなると、僧籍に入っていた玄広恵探と栴岳承芳の二人の弟による家督争い「花倉の乱」が起こります。栴岳承芳が勝利して名前を今川義元と改めます。今川義元は、甲斐の武田信玄、相模の北条氏康との同盟「甲相駿三国同盟」を成立させます。そして、三河国に進出し、織田信秀との戦い「安城合戦」や「小豆坂の戦い」に勝利して、三河国から織田氏の勢力を排除します。

 しかし、永禄3年(1560年)桶狭間の戦いで今川義元は戦死します。重臣や有力国衆も多く戦死しますと、今川家の体制はそこから少しずつ崩れていきます。

 永禄5年(1562年)に松平元康は織田信長と同盟を結びます(清須同盟)。さらに永禄6年(1563年)に名前を松平元康から徳川家康に改名します。今川家と断交し、織田信長と結ぶことを選択したわけです。そして、徳川家康は三河統一に向けて今川方の城を順次攻略していきます。永禄7年(1564年)には東三河の吉田城が開城し、今川氏の勢力は三河から撤退します。

 そうすると遠江国の国人衆にも離反の動きが出てきます。この動きの中で、井伊直親・飯尾連龍は誅殺されます(他の説もあるそうです)。遠江国の混乱に乗じて、武田信玄が動きます。徳川家康と密約し、駿河侵攻を開始します。また、これに呼応して徳川家康も遠江侵攻を行います。今川氏真は駿府が占領された後、朝比奈泰朝の居城である遠江国の掛川城に逃れます。しかし、徳川家康に攻められ永禄12年(1569年)掛川城を開城し、降伏します。ここで、戦国大名としての今川家は滅びます。

 その後の今川氏真は、妻早川殿の実家である北条家を頼りますが、北条氏康が亡くなり、北条氏政の代になると、北条と武田が同盟したので、北条家を出ることになります。そして、今度は徳川家康を頼り、庇護されます。今川氏真は文化人としての道を歩み始めます。家康の庇護のもとで、京都に移住して、公家等と交流し和歌会や連歌会に参加したような記録が残っています。

 徳川家康が関ケ原の戦いに勝利し、その3年後に江戸に幕府を開くと、朝廷との交渉役が必要となってきます。今川氏真は、朝廷との交渉役を任されます。幕府創設当初は職名が整備されていなかったのですが、高家職のような仕事をしていたようです。

 そして、後に今川氏真の孫にあたる今川直房が今川家高家初代当主に就任します(寛永10年(1632年)には高家の職務を行っているのですが、就任は寛永13年(1635年)とされています。)

 また、今川氏真の次男の家も品川家として高家となっています。




 これは、筆者の個人的感想ですが、桶狭間の戦いから掛川城開城まで9年かかっているので、今川氏真さんにとって苦難の日々だったと思います。また、行くところが無くなって家康さんに頼って、家康さんも庇護するという戦国特有の感覚(敵になったり、味方になったりはよくあること)が不思議な感じがします。

 これで、第2話は終わりです。では、また第3話でお会いしましょう。

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