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旗本・大名の家臣で残った戦国大名家(歴史雑談)  作者: 伊丹 美鈴


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戦国大名で旗本等で残った話です。第1話は武田家です。

 前回、何とか残った外様の小大名の話(歴史雑談)をお読みいただきました方、ありがとうございました。今回からは割と有名な戦国大名家で筆者も滅亡したと思ってた家が旗本等で残っていたというのを最近知りまして、その話で雑談してみようと思います。よかったらおつきあいください。

 第1話は武田家です。今回は、武田信道さん、武田信正さん、武田信興さんの話です。


 戦国武将として有名な武田信玄さんがおられますが、その武田家は武田勝頼さんの時に織田・徳川連合軍による甲州征伐により滅亡したと筆者も思っておりました。しかし、嫡流ではないのですが、その子孫が生き残って旗本として残っていました。今回はその話です。

 武田氏の祖先はというと、清和天皇から連なる源氏の系統です。源満仲さんの時に臣籍降下し、源頼義さんの三男の源義光さんが武田氏の祖とされています。実際には義光さんの孫の信義さんの頃に武田を名乗り始めます。そこから、戦国時代まで話を飛ばします。武田信虎・晴信(後の信玄)・勝頼まで続いています。

 そして、武田信玄さんの時代に全盛期を迎え、周辺諸国である信濃国・駿河国・上野国の一部・飛騨国・遠江国の一部・三河国の一部・美濃国の一部と勢力を拡大し、120万石ぐらいにまでなります。

 武田信玄の死後、家督を継いだ武田勝頼は、天正2年(1574年)に美濃国の明智城を攻略、さらに同年遠江国の高天城を攻略します。さらに翌天正3年(1575年)に三河国の長篠城を攻めます。これに呼応して織田信長が大軍を動員して長篠・設楽が原の戦いが起きます。設楽が原で両軍が激突し、織田・徳川連合軍が勝利します。

 そこから、7年後の天正10年(1582年)、木曽義昌が織田の調略により寝返ったのを皮切りに、織田・徳川・北条の軍が国境から侵攻を開始します。勝頼一行は、最後は天目山麓の田野で一族もろとも自害します。ここに戦国大名としての武田家は滅亡します。とここまでは、皆さんもよく知っている話だと思います。

 武田信道は、武田信玄の次男である海野信親(竜芳)の子で、天正2年(1574年)に生まれます。甲州征伐の時、海野信親は盲目でもあり、助からないと思って自害します。信道は救出され、信濃国安曇郡犬飼村へ逃れていました。その後、甲府の長延寺で出家し、慶長8年(1603年)跡を継いで長延寺2世住職となります。

 そして、武田信道は、武田遺臣であり、徳川家に仕えるようになった大久保長安の庇護を受けます。大久保長安という方は、鉱山開発の才能があり、武田信玄にその才能を見出されて家臣となった方でした。徳川家においても、佐渡金山や石見銀山の開発で貢献し、徳川家の財政に貢献された方です。しかし、大久保長安が慶長18年(1613年)に死去すると、いわゆる大久保長安事件が起きます。不正に私腹を肥やしていたとされ、大久保家一族が断罪に。大久保家も改易となります。そして、武田信道も連座して、元和元年(1615年)伊豆大島に流罪となります。そして、寛永20年(1643年)伊豆大島で亡くなります。

 武田信正は武田信道の子で、慶長5年(1600年)に生まれます。元和元年(1615年)に父信道と共に伊豆大島に配流されます。

 そして、そこから約50年経った寛文3年(1663年)に3代将軍家光の13回忌ということで赦免されます。本土に戻った際は、磐城平藩主の内藤忠興に預けられます。そして、忠興の娘婿となります。

 武田信興は、寛文12年(1672年)に武田信正の子として生まれます。貞享元年(1684年)に父信正が亡くなると、今度は、柳沢吉保(5代将軍綱吉の側用人等を務めた方、柳沢家も武田家の旧臣)が引き取ります。武田信興は元禄13年(1700年)に甲斐国八代郡内で500石を賜り、寄合に属する旗本となります。さらに翌元禄14年(1701年)五代将軍綱吉に御目見えします。そして、同年表高家衆となります。※高家職に就任すると奥高家となります。高家職に就任しない場合は表高家です。

 その後、信興の子信安は子がなく、養子信明ノブハルを柳沢家から迎えます。

 武田家の子孫が生き残っていたという話でしたが、今回のシリーズもいきなり波乱万丈でした。これは、筆者の推測にすぎませんが、大久保長安さんは鉱山開発の技術を持っていたので、その報酬としてもらっていたものが、徳川の他の家臣から不正に金銀を横流ししたと思われたのではないかと思います。さらに、武田信道さん。信正さんも大久保長安さんに庇護されていただけなので、事件に関わっていなかったのではないかと思います。それでいて、島流しになるし、武田家伝来の甲冑・軍配・馬印・軍旗・幔幕等の宝物が没収される等ひどい目にあってますね。

 これで、第1話は終わりです。では、また第2話でお会いしましょう。

 

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