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月奏の調律師 〜無音の旋律は恋を知らない〜  作者: 寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
毒入りスープを飲み干して、無音の譜面を奏でる異常な私
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恋の譜面、読みたくなかった

昼下がりの音楽庭園は、いつもよりも静かだった。

柔らかな風が譜面をめくるように吹き抜け、遠くの塔の鐘が、午後を告げる。

学院の生徒たちは、自由演習の時間を思い思いに過ごしていた。


ルナは、噴水のそばの石段に腰掛け、《ハーモナイト》を膝に置いていた。

譜面は、無音のまま。

彼女の指先が譜面の上をなぞるたびに、淡い光が揺れるが、音は生まれない。


(……今日も、鳴らない)

心の奥に小さなため息が広がる。


「ここにいたか、ルナ!」


声が頭上から降ってきた。

見上げると、カイルが大きく手を振っていた。

汗を滲ませた額、真っ直ぐな瞳。

彼はいつも、ルナの静けさとは正反対の存在だった。


「ほら、演習の時間終わったし、次は例の――共鳴練習!」

「……またですか」

「“また”って言うなよ! 共鳴は数こなしてナンボだろ!」


彼は石段にドサリと腰を下ろし、譜面を広げる。

ルナの無音の譜面と、カイルの熱い旋律が並ぶと、それだけで空気が賑やかになるようだった。


二人が譜面を重ねると、カイルの旋律がルナの譜面を包み込むように広がっていく。

一瞬、空間に柔らかな和音が生まれた。

けれど、それはすぐに消えてしまう。


「くっ……やっぱり長くはもたねぇな」

「……ごめんなさい」

「謝るなって。俺は楽しいんだよ!」


カイルの笑顔は真っ直ぐで、少し眩しかった。

ルナはその眩しさを、うまく見返せず、視線を譜面に落とした。


(……彼の音は、まっすぐで、熱くて……私とは全然違う)


その時だった。

「……練習の邪魔になるかもしれないけど」


静かな声が背後から届いた。

振り返ると、ノアが立っていた。

白い外套の裾が風に揺れ、長い髪が光を受けてきらりと光る。

彼はいつものように、表情をほとんど動かさないままルナたちを見つめていた。


「ノア! 来るなら一緒にやろうぜ!」

「僕は……少し、見ていたい」


そう言って、ノアは噴水の縁に腰掛けた。

譜面を開くでもなく、ただルナの方をじっと見ている。


その視線に、ルナの胸がわずかにざわめいた。

(……見られてる)


カイルが譜面を鳴らすたび、ノアの瞳がかすかに動く。

彼の譜面は閉じられているのに、まるでルナの“無音”に耳を澄ませているようだった。


「ノアってさ、ほんと変わってるよな! 演習のときも音鳴らさないで観察ばっか!」

カイルが笑いながら言うと、ノアは少しだけ眉をひそめた。


「……音が鳴らなくても、響いていることはある」

「は?」

「彼女の譜面は、音がないけど……“感情”はある。僕には、それが聞こえる」


その言葉に、ルナの心臓が跳ねた。

(……聞こえる? 私の……?)


カイルが一瞬、ノアを見た。

その瞳の奥に、わずかな競うような色が宿る。


「へぇ……そういうの、俺にはよくわかんねぇけどな」

「……僕は、わかる」


二人の間に、目に見えない火花が散った。

ルナはその空気を感じながらも、何を言えばいいかわからなかった。

胸の奥で、音にならない感情が渦を巻いていく。


譜面を開けば、きっと何かが鳴る。

でも、それは――

(……鳴ってほしくない。まだ、わからないから)


風が吹き抜け、三人の譜面が重なった瞬間――

ほんの一瞬、透明な和音が空間に広がった。

三人とも、その音にハッと顔を上げた。


「今の……」

「ルナ、お前の譜面が――!」

「……共鳴、した」


次の瞬間、音は霧のように消えた。

残されたのは、三人の胸の中に刻まれた“何か”だけだった。


その夜。

ルナは部屋で無音の譜面を開きながら、指先を震わせていた。

胸の奥で、聞き慣れない音が鳴っている。


(……これは、恋……?)


無音の譜面に、小さな光が一つ、灯った。

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