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月奏の調律師 〜無音の旋律は恋を知らない〜  作者: 寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
さよなら、私の愛しい人。この旋律が、永遠の愛の証明
44/50

世界の旋律、ルナの指揮

夜が明けはじめていた。

学院の鐘楼が、淡い朝焼けに染まっている。

空はまだ薄暗く、街の屋根には夜露が光っていた。

世界は――まるで息を潜めて、次の“音”を待っているようだった。


大講堂の中央には、砕けた譜面と幻奏の残滓がまだ漂っている。

しかし、昨夜までの不気味な沈黙はもうなかった。

代わりに、微かに揺れる“震え”――再び音を取り戻そうとする、世界の鼓動があった。


ルナは《ハーモナイト》を胸に抱き、静かに立っていた。

夜の戦いの余韻がまだ全身に残っている。

足元には割れた譜面の欠片、空には薄く光る音符たち。

それらすべてが、彼女を中心にゆっくりと回り始めていた。


「……あとは、君次第だ」

ノアの声は低く、しかし確信に満ちていた。

彼の無音の譜面も、ルナと呼応するようにかすかに震えている。


カイルは袖をまくり上げ、疲れた顔で笑った。

「まったく……最後まで無茶するな、ルナ。だけど――あんたしかいない」


二人の視線を受け、ルナは小さく頷いた。

(……この世界の“音”を、取り戻す)


ルナは《ハーモナイト》を高く掲げた。

朝日が結晶に差し込み、まばゆい光があたりに広がる。

無音の譜面が空中に展開され、世界の“空白”にゆっくりと染み込んでいく。


まず学院の中庭から――

枯れかけた花々の譜面が、淡い和音で震え始める。

学生たちが校舎の窓を開け、外を見つめた。

昨日まで濁っていた譜面が、少しずつ澄んでいくのが目に見えるようだった。


次に、街へ。

石畳の広場では、市民たちが夜明けとともに外に出ていた。

無音の夜を越えた彼らの表情には、不安と希望が入り混じっている。

その頭上を、ルナの無音の旋律が、風に乗って届いた。


最初に震えたのは、広場の噴水だった。

水面が波紋を描き、透明な音符がふわりと舞い上がる。

それをきっかけに、街角の楽器職人の店から、子どもの口笛から、パン屋のオーブンの音から――

ばらばらだった“生活の音”が、少しずつひとつの旋律に溶けていく。


(……聴こえる。世界の音が、戻っていく)


ルナの胸の奥で、無音の譜面が大きく震えた。

それは彼女自身の“心”の音でもあった。


学院の高台から見下ろすと、王都のすべてが朝日に照らされていた。

空には、淡い譜面の帯が幾重にも広がり、風に乗って世界の果てまで伸びていく。

まるでルナが指揮する“見えないオーケストラ”だった。


ノアがその光景を見つめながら、静かに言った。

「君は――調律師じゃない。指揮者だ」


カイルも、破れた譜面を抱えたまま笑った。

「世界をまとめて響かせるなんて……やっぱり変人だな、ルナ」


ルナは微笑んだ。

「私は……ただ、“音”を聴いてるだけ」


そのとき、空がひときわ強く光った。

ルナの無音の譜面と、街のあらゆる音が一斉に重なったのだ。

音と無音、喜びと痛み、喪失と再生――すべてがひとつの旋律として響き渡る。


それは、ヴァレリオが幻奏で奪ったものと正反対の“共鳴”だった。

誰かが誰かを支配するのではなく、互いを聴き合い、受け入れ、響き合う音。

世界全体が、一人の少女の譜面を中心に調律されていく。


その旋律は遠くの森にも届き、湖にも届き、夜の海の向こうまでも広がっていった。

風が運ぶ音は、かつて失われた“日常”そのものだった。

街の人々が手を取り合い、譜面を掲げ、泣きながら笑っている。

学院の生徒たちは、屋上に駆け上がり、夜明けの空を見上げていた。


カイルは深く息を吐いた。

「……なあ、ノア。世界、ちゃんと“鳴ってる”な」

「――ああ。君がいたからだ」

二人の視線の先で、ルナが風の中に立っていた。


ルナは目を閉じ、空に向けて指揮棒のように《ハーモナイト》を振る。

音が、朝の空にあふれた。

無音の譜面は、もはや“空白”ではない。

それは、すべての音を包み込む“舞台”になっていた。


(――これが、私の旋律)


夜が完全に明けた。

街と学院を包む光が、一つの長い和音となって響き続けた。

それは、新しい時代の“始まり”を告げる音だった。

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