表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月奏の調律師 〜無音の旋律は恋を知らない〜  作者: 寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
壊れた譜面を調律する、私のこの手が震えるほどの恋心
37/50

再共鳴 ― 完璧と無音の間で

学院の屋上は、冬の気配を含んだ風に包まれていた。

昼間の喧騒が去った後の静寂。

夜の譜面灯がひとつ、またひとつと灯り、

遠くの塔から微かな鐘の音が響いてくる。


ルナ・ミレイユ=クラウスは手すりにもたれ、

《ハーモナイト》を胸に抱いていた。

月光を受けて、結晶が淡く光っている。


(あの夜――ヴァレリオの幻を断ったはずなのに……)


世界は調律された。

けれど、心の奥ではまだ、ひとつの“濁り”が残っていた。

あの完璧な旋律の少年、レオン・アルヴェール。

共鳴を拒み、沈黙を恐れ、孤高の譜面を貫いた彼。


ルナは夜空を見上げた。

星の光が震えている。

それはまるで、音になりきれない“未完の和音”のようだった。


(……彼の中にも、まだ“揺らぎ”がある。

 私が聴かなくちゃいけない)


足音が聞こえた。

振り向くと、屋上の入口にレオンが立っていた。

黒い外套の裾が風に揺れ、月明かりにその横顔が浮かび上がる。


「君がここにいると思った」

低く、よく通る声。

だが、その旋律にはかすかな“疲労”の色があった。


「あなたが屋上に来るなんて、珍しいですね」


「静かな場所が必要だった。それに……君と話がしたかった」


二人の間に、風が通り抜けた。

譜面のない沈黙が、まるで会話の前奏のように流れる。


レオンは手を伸ばし、空気に指を走らせた。

微かな魔力の波紋が広がり、

淡い光の譜面が宙に浮かび上がる。


「これが……僕の譜面だ」


それは完璧だった。

均整の取れたリズム、狂いのない音高。

だが、その譜面は“息をしていなかった”。


「……やっぱり、綺麗。でも、苦しそう」


ルナの言葉に、レオンの眉がわずかに動く。


「苦しそう?」


「はい。整いすぎていて、どこにも“余白”がない。

 音が行き場を失ってるの」


「余白は、弱さだ」

レオンの声は冷ややかだった。

「弱さを残せば、調律は崩れる」


ルナは静かに首を振った。

「でも……崩れた音にしか、生まれない“響き”がある」


その言葉が、冬の風よりも深く彼の胸に刺さった。


「……君は相変わらずだな」

レオンは目を閉じる。

「僕は君の“無音”が理解できない。

 だが――あの共鳴拒否のとき、確かに音が生まれた」


彼は《ハーモナイト》を取り出し、静かに掲げた。

「もう一度、確かめたい。

 あれが錯覚なのか、それとも……僕が崩れたのか」


ルナも頷き、結晶を掲げた。

無音と完璧。

再び、二つの譜面が空間に展開された。


――共鳴、開始。


音が生まれ、沈黙が寄り添う。

レオンの旋律は冷たく澄んでいた。

ルナの無音は柔らかく、その周囲を包み込む。


最初は、何も起こらなかった。

けれど数秒後、空気がわずかに震えた。


レオンの譜面の端が、微かに“歪む”。

そこから、かすかな和音が滲み出す。


「……これが、君の音?」

彼の声が、揺れた。


「いいえ。

 これは、あなたの中の“迷い”が鳴っている音です」


ルナの無音が、彼の譜面に寄り添う。

完璧な旋律が、沈黙の波に溶けていく。


「僕は、迷ってなどいない……!」

レオンが叫ぶと、譜面が激しく光った。

旋律が跳ね上がり、風が渦を巻く。

だが、その音はどこか悲しかった。


ルナは一歩踏み出し、彼の手に自分の手を重ねた。

「迷うことは、壊れることじゃない。

 音楽は、揺れるから“生きてる”の」


レオンの瞳が見開かれる。

その瞬間、二人の譜面が重なり、

完璧な旋律と無音が――ひとつになった。


光が溢れ、風が止む。

空間に広がったのは、透明な二重奏。

沈黙と旋律が交互に呼吸するように重なり、

まるで“涙の音”のように響いた。


レオンの譜面に、初めて“色”が差した。

それは淡い青。静寂と憧れの混ざった色。


「これが……僕の音?」

「はい。ずっと、聴こえていました」


レオンは目を伏せ、かすかに微笑んだ。

「……君の沈黙は、恐ろしいほど静かだ。

 でも、その静けさが――僕を許す」


風が止み、月が雲の切れ間から顔を出す。

その光が、二人の譜面を淡く照らす。


「共鳴、完了……ですね」

ルナの声は、夜の終わりのように柔らかかった。


レオンはしばらく何も言わず、やがて呟いた。

「君の“無音”は、欠落じゃない。

 音楽が還るべき、最初の場所だ」


ルナの胸に、温かな響きが生まれた。

それは恋という言葉よりも静かで、確かな音。


彼女は微笑み、手を離した。

「あなたの譜面、今度は自由に歌えるはずです」


「……そして君は?」


「私は、また誰かの“沈黙”を聴きに行く。

 世界はまだ、たくさんの音を失ってるから」


風が吹き、譜面が散った。

空には無数の星。

それぞれが小さな音を宿しながら、夜空に瞬いている。


ルナは振り返らずに歩き出した。

背中越しに、レオンの声が届く。


「君の沈黙が、また僕を呼ぶなら――

 そのときこそ、僕の音を君に返そう」


彼女は立ち止まり、振り返らずに微笑んだ。


「約束、ですね」


その言葉を最後に、月が雲に隠れた。

無音の夜に、わずかに響いた二人の旋律だけが残った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ