調律師たちの夜明け
夜の学院は、不気味なほど静かだった。
ヴァレリオの幻奏襲撃から数日。学院の譜面はまだ完全には修復されておらず、あちこちに“ひび”が残っていた。
魔力灯の光がそのひびを照らし、夜の校舎に淡い影を落とす。
講堂には、十数名の学生たちが集まっていた。
ルナ、カイル、ノア、レオン――そして、各科から呼びかけに応じた調律師候補生たち。
この学院の歴史で、学生たちだけで自発的に会合が開かれるのは初めてのことだった。
沈黙を破ったのは、カイルだった。
「――俺たちで、立ち上がるしかない」
彼の譜面はいつになく強いリズムを刻んでいた。
「教師たちはヴァレリオの意図を掴みきれていない。だったら俺たちが、“音”で応えるしかないだろ」
ざわめきが広がる。
誰もが恐怖を抱いていた。
だが同時に、胸の奥に小さな火が灯るのを感じていた。
ルナが一歩前に出た。
無音の譜面が広がり、講堂の空気が静かに震える。
「……私は、もう逃げない。
あの日、奪われた音を――今度は、私たちが取り戻す」
その声は小さいが、譜面の震えは講堂全体に染み込んでいく。
無音の呼びかけが、一人ひとりの胸の奥に届いていく。
ノアが頷き、譜面を展開する。
静謐な旋律が空間を満たし、ルナの無音と溶け合った。
やがてカイルの激しいビートが加わり、空気が少しずつ明るくなっていく。
そして――最後に、レオンが立ち上がった。
全員の視線が集まる。
完璧な譜面の持ち主、レオン・アルヴェール。
彼は視線を逸らし、しばらく沈黙していた。
(僕は、譜面の乱れを恐れてきた。
でも――彼女たちの音を聴いていると、“ひび”が……音になる)
胸の奥で鳴る、小さな透明な音。
あの日、氷の譜面に入ったひびが、再び響いた。
「……僕も、参加する」
その言葉に、講堂の空気が一瞬だけ静止した。
そして、ざわめきが広がる。
完璧な氷の譜面が、初めて“合奏”に加わった瞬間だった。
ルナは微笑んだ。
無音の譜面が、彼の譜面の端にそっと触れる。
レオンの譜面はわずかに震えたが――今度は、彼はそれを拒まなかった。
「作戦を立てよう」
ノアの落ち着いた声が響き、学生たちが一斉に譜面を広げる。
幻奏への対抗策、学院防衛の調律網、共鳴訓練の分担……
夜の講堂は、いつのまにか“合奏”の場へと変わっていた。
外の空には、夜明け前の薄明かりが差し始めていた。
黒と藍の境界が、ゆっくりと白んでいく。
譜面の光が、その淡い空と重なった。
ルナは窓の外を見上げ、心の中で静かに呟いた。
(――夜は終わる。音は、まだ消えていない)




