感情譜面学、始まりの講義
魔術学院の講堂は、朝の光に包まれていた。
天井には魔力灯が浮かび、空間には学生たちの譜面が漂っている。
それぞれが、期待と緊張の旋律を奏でていた。
今日から始まる新講義――
「感情譜面学」。
講師は、世界調律を成し遂げた“月奏の調律師”ルナ・ミレイユ=クラウス。
彼女の譜面は、白く、静かに震えていた。
それは、沈黙の中にすべての音を含む“完成された譜面”。
壇上に立ったルナは、ハーモナイトを手に取り、静かに語り始めた。
「魔力は音。
魔術は演奏。
そして、感情は譜面。
この世界のすべては、旋律でできています」
学生たちは息を呑んだ。
彼女の声は、風のように静かで、譜面のように深かった。
「私たちは、感情を抑えることで魔力を制御してきました。
でも、それは“音を閉じる”ことでもあります。
感情を譜面として視ることで、魔力はもっと自由に、もっと美しく響くのです」
ルナは、空間に譜面を浮かべた。
それは、学生たちの“心の旋律”。
喜び、不安、憧れ――
それぞれが、色と音を持っていた。
一人の生徒が手を挙げた。
「先生……譜面が視えない人は、どうすればいいんですか?」
ルナは微笑んだ。
「譜面は、目で見るものではありません。
心で感じるものです。
まずは、自分の感情に耳を澄ませてください」
彼女は、ハーモナイトを掲げた。
「召喚――The Association《Everything That Touches You》」
空間に、柔らかく包み込むような旋律が広がった。
現実世界の60年代ソフトロック。
愛と感情の深層を描くコード進行と、繊細なコーラス。
それは、譜面に触れるすべての感情を“音”に変える魔術だった。
学生たちの譜面が震え、色づき、整っていく。
魔力が安定し、感情が共鳴し、空間が澄んでいく。
講堂の後方で、カイルが腕を組んで見守っていた。
「……あいつ、教えるのも上手いな。
毒草の譜面を整えるのと、似てるかも」
レオンは、静かにノートを閉じた。
「完璧な譜面なんて、存在しない。
彼女の譜面は、揺らぎの中にこそ、美がある」
ノアは、講堂の外で待っていた。
彼の譜面は、淡い青に揺れていた。
「君の音は、やっぱり僕にだけ聴こえる。
でも、今日は……みんなにも届いた気がする」
講義の終わり、学生たちは静かに立ち上がった。
誰もが、自分の譜面を見つめていた。
それは、魔術ではなく、“自分自身”を知る時間だった。
その夜、学院の屋上でルナは月を見上げた。
譜面は、白く、静かに震えていた。
それは、調律師が“教える者”になった証。
そして、彼女の譜面に、淡い緑が差した。
それは、育てる音。
それは、未来の旋律。
それは、次なる共鳴への“前奏”だった。
だがその時、遠くの空に微かな濁りが走った。
譜面が一瞬だけ震え、空間に違和感が生じる。
「……これは、共鳴の暴走?」
ルナは、ハーモナイトを握りしめた。
新たな調律が、静かに始まろうとしていた。




