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月奏の調律師 〜無音の旋律は恋を知らない〜  作者: 寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
月の旋律は、あなたの孤独な音を癒やすための愛の調べ
25/50

感情の断片、恋の記憶

幻奏の塔――第二層、〈感情の領域〉。


そこは、音が“心”の形を取って現れる世界だった。

一歩踏み出すたび、足元の床が波紋のように揺れ、空には淡い色の光が漂う。

赤、青、金、白――それぞれが異なる“感情”を象徴している。


ルナ・ミレイユ=クラウスは、静かに息を吸い込み、その音を聴いた。

耳で聴くのではない。

胸の奥に、微かに響く旋律を“感じ取る”。


(……ここは、私の中にある音)


塔の壁には、無数の譜面が浮かび上がっていた。

けれどそのどれもが破れ、途中で途切れている。

旋律の断片――記憶の断片。


そのひとつに、淡い桃色の光が宿っていた。

それは、他のどの譜面よりも柔らかく、どこか懐かしい。

ルナはそっと手を伸ばす。


指先が触れた瞬間、視界が歪んだ。

次の瞬間、彼女は“別の場所”に立っていた。


――学院の中庭。

夕暮れの光が差し込み、風が穏やかに木々を揺らしている。

そこに、ひとりの少年が立っていた。


ノア。


彼は譜面を抱え、ルナに微笑みかけた。

「ねえ、ルナ。恋って、どんな音だと思う?」


その問いに、ルナは答えられなかった。

あのときも、そして今も。


(……恋の音?)


ノアは続けた。

「僕はね、恋は“休符”みたいなものだと思う。

 音が鳴る前と、鳴ったあとの“間”。

 その沈黙があるから、旋律が生きる」


彼の言葉は、今も心の奥で鳴っている。

けれど、当時のルナにはそれが理解できなかった。

彼女にとって恋は、“乱れ”だった。

譜面を汚す感情。調律を乱す衝動。


「私は……恋なんて、要らない」

あのときそう言い切った。

それが、彼を遠ざけた。

その痛みが、今、胸の奥に刺さる。


目の前の幻影のノアが微笑んだまま、口を開く。

「じゃあ、どうして泣いてるの?」


ルナはハッとする。

頬を伝う涙が、光の粒になって宙に溶けていく。

それは譜面の破片となり、彼女の周囲に散っていった。


「……これは、私の感情なのね」


幻影のノアがゆっくりと頷く。

「恋はね、調律を壊すんじゃなくて、調律を“始める”音なんだ。

 だって、誰かのために音を合わせようとするんだから」


その瞬間、空気が震えた。

塔の壁に刻まれた譜面が、ひとつの旋律を取り戻す。

それはルナ自身の“初めての恋”――そして“最初の無音”の記録だった。


(私は、誰かの音を恐れていた。

 自分が乱れることを怖がっていた。

 でも、本当は――重なりたかった)


幻影のノアがゆっくりと手を伸ばす。

「今なら、聴こえるでしょ?」


ルナは小さく頷き、目を閉じた。

沈黙の中で、微かな旋律が流れ始める。

それは涙のように静かで、しかし温かい音。


――恋は、沈黙の中で生まれる。


彼女が目を開けると、幻影はすでに消えていた。

ただ、彼の立っていた場所に、ひとつの譜面が残されていた。


そこには、見覚えのある旋律が書かれていた。

《ルナティック・リフレイン》――

のちに月光逆奏として完成する、“恋の記憶”の原型だった。


ルナはその譜面を胸に抱き、そっと呟いた。

「ノア……ありがとう。

 私、もう逃げない。

 この感情も、私の音として――調律する」


その瞬間、感情の領域が淡い光に包まれた。

塔の第二層の扉が、静かに開く。

そこには、新しい音の風が吹いていた。

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