月奏の調律師、恋を知る
世界調律が終わった夜、空は静かだった。
魔奏病の濁りは消え、都市の魔力塔は再び旋律を奏で始めた。
村々の薬草は色を取り戻し、人々の譜面は穏やかな調べを映していた。
だが、ルナの心には、まだ一つだけ、調律されていない旋律が残っていた。
それは、“恋”という名の旋律だった。
彼女は、学院の屋上にいた。
月が、静かに輝いている。
譜面は無音ではなかった。
だが、完全な旋律でもなかった。
「……私の譜面は、世界を調律した。でも、私自身の音は、まだ揺れてる」
ルナは呟いた。
そのとき、足音が響いた。
ノアが、静かに現れた。
「君の譜面は、ずっと僕に聴こえてた。無音のままでも、確かに響いてた」
ルナは、彼を見つめた。
「あなたの譜面も、私と同じだった。無音。でも、優しかった」
ノアは頷いた。
「無音は、孤独じゃない。誰かと重なったとき、初めて音になる」
ルナは、ハーモナイトを取り出した。
「……最後の調律を、始めてもいい?」
ノアは、そっと手を差し伸べた。
「君の音に、僕の音を重ねるよ」
二人の譜面が、空間に浮かぶ。
無音と無音。
だが、重なった瞬間――
微かな旋律が生まれた。
それは、恋の音。
それは、心の共鳴。
それは、沈黙の中に宿る、最も深い感情。
ルナの譜面が、淡いピンクに染まる。
ノアの譜面が、柔らかな青に揺れる。
二人の譜面が、重なり、響き合う。
「……これが、私の恋の旋律」
ルナは、涙を流した。
それは、悲しみではなかった。
それは、旋律だった。
そのとき、レオンが屋上の階段に現れた。
彼は、遠くから二人の譜面を見つめていた。
「君の譜面は、完璧じゃない。でも、美しい。僕は、それに嫉妬してる」
ルナは、微笑んだ。
「あなたの譜面も、揺れてる。それは、誰かを想ってる証」
カイルが、風のように駆け上がってきた。
「ルナ! 俺の譜面も、君に重ねたい!」
彼の譜面は、熱く、乱れていた。
だが、そこには確かな“想い”があった。
ルナは、三人の譜面を見つめた。
ノアの静かな共鳴。
レオンの揺れる感情。
カイルの燃える旋律。
そして、自分の譜面。
「……私は、恋を知った。でも、誰を選ぶかは、譜面が教えてくれる」
彼女は、ハーモナイトを空に掲げた。
三人の譜面が、空間に浮かぶ。
そして――
ルナの譜面が、ノアの譜面と重なった。
無音同士の共鳴。
それは、最も深い接触。
それは、言葉を超えた理解。
それは、恋の確信。
レオンは、静かに微笑んだ。
「君が選んだ旋律が、正解だ。僕は、それに共鳴する」
カイルは、拳を握りしめた。
「……悔しいけど、納得した。君の音は、俺には眩しすぎた」
ルナは、二人に向かって頭を下げた。
「ありがとう。あなたたちの譜面が、私を育ててくれた」
その夜、学院の空には、三つの旋律が浮かんでいた。
無音の共鳴。
揺れる感情。
燃える想い。
そして、ルナの譜面が、月の光を受けて輝いた。
それは、“月奏”の旋律。
それは、世界を調律した音。
それは、恋を知った調律師の、最後の音。




